日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

235.サザエさんの青春

1957年12月 東宝 製作 公開  カラー作品   監督 青柳信雄

サザエさん(江利チエミ)とフグ田(小泉博)は婚約しますが、フグ田の一年間九州転勤により結婚延期となったので 花嫁修業を始めます。その間の数々の失敗・ドタバタを描く、シリーズ3作目のコメディ映画です。

前半 サザエさん一家がピクニックに出掛けることになりますが、父親の磯野松太郎(藤原釜足)を始め 次々と忘れ物を思い出しては取りに帰る始末です。
サザエさん・父親・母親(清川虹子)・カツオ(白田肇)・ワカメ(松島トモ子)・ノリオ君(藤木悠)の一行6人が漸く駅に到着すると
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(本日スト決行中)の立て看板があり 改札口前に机が置かれて駅員らしき男が来た人に説明しています。
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駅舎に掲げられている筈の駅名は、映らないように撮影されています。でも周囲の様子と看板等から、この駅は小田急電鉄 喜多見駅と思われます。
直前の商店街シーンは東宝撮影所最寄りの成城学園前駅付近と思われるのに、何故かしら駅前のシーンでは喜多見駅を使っている様です。その後 フグ田がタクシーで現れ、サザエは母親から弁当の入ったバックを渡され(6人分?)出掛けます。

中盤 花嫁修業の一つとして家計管理を担うサザエですが 保険屋の口車に乗せられてしまい、赤字となった家計の穴埋めにデパートでアルバイトすることになります。
いよいよ初出勤の日 スーツにハイヒール姿で、軽やかに歌い踊りながら喜多見駅へやって来ます。折しも小田急電鉄の茶色い4連電車が、出発して行くところです。3扉の車両ですが、形式は不明です。
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サザエが駅舎直前に来た時 一瞬 駅舎上部の駅名板の一部分が映り、「ENOKI-ZAKA」と書かれた部分が見えます。作中 カツオが通っている学校が、「榎坂学園」らしいので、この地を榎坂という架空名に設定している様です。
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改札口を入って 上り線ホームへ階段を上がると、小田急電鉄標準形三角屋根駅舎や下りホームへの構内踏切が映っています。この頃は未だ跨線橋がありませんし、ホームも4連用の様です。
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サザエは更にホームを進むと、ベンチに置かれた帽子の上にいきなり座ってしまいます。
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持ち主の男はそっと取り返そうとしますが、怪しい動きにサザエは怒り出します。
でもお尻で潰した帽子を見て、慌てて逃げるように到着した電車の前方に乗り込むサザエなのでした。
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ベンチの後方に「大和学園」の看板がありますが、これは現在 駅の東に在る( 聖セシリア喜多見幼稚園 )と思われます。

続いて 72系らしき山手線内回り電車が、新橋~有楽町を走行する姿が映ります。山手線と分離運転化されて一年後の、南行 京浜東北線電車も映っています。
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そしてカメラが左へ回ると、建設中の東京高速道路の高架線が晴海通りとクロスする所で止まっている部分が映っています。東京初の高速道路で、この映画公開の1年半後に開通します。
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サザエは銀座三越で働く様なので、小田急電鉄で新宿へ出て 山手線か中央線+京浜東北線で有楽町まで来ていたのでしょう。



PS.
   本作からカラー作品となり、東宝としても当たり作として長いシリーズ作品に決めた様な筋立てになっています。 鉄道シーンとしては短いのですが、現在とは隔世の感がある喜多見駅周辺・ホーム等 印象深い作品です。
  喜多見の名が入った看板を映しておいて、何故 駅名を架空名にしたのか不思議ですね。また表札の父親名が磯野波平ではなく 松太郎となっていたのは、原作でもこの頃は表記が無いので 脚本家が付けたのかもしれません。
  作中で松太郎は女房を長年「おい」とか「お前」と呼んでいたので 名前を忘れてしまい、サザエから「フネ」であると教えてもらい 当人から呆れられる場面があります。原作者もここから母親の名を「フネ」としたのかも・・・

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239. 炎上

1958年8月 大映 製作 公開   監督 市川崑

吃音故か内向的な溝口吾一(市川雷蔵)は父親の遺言で京都 驟閣寺の徒弟となるが、戦後 急に寺が観光化し 尊敬していた老師の堕落を目にして人間不信から放火に至る苦悩を描いた映画です。

溝口は田山道詮老師(中村鴈治郎)にとって亡き親友の息子なので、地元中学から古谷大学へ進学させ 寺の後継者とも考えられていた。戦後 寺には 外国人をはじめ観光客が大勢詰めかけて拝観料収入が増大し、
寺は豊かになって 街で芸者連れの老師を見かける溝口でした。本来の姿を失ってゆく驟閣寺内外を憂え、勉学の意欲を失い 人間不信になってゆく溝口です。

ある日 京都市電10系統 北野線電車が
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通り過ぎた後を、渡って刃物屋へ溝口が入ります。明治時代開通の京都電気鉄道以来の古典的 狭軌1形電車がポールを上げて、走り抜けて行きます。
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時代離れしたこの北野線は、この3年後 1961年7月末に惜しくも廃止となりました。溝口は小刀を買った後、隣の薬屋で睡眠薬のカルモチンを購入します。
そして 学友の戸苅から三千円を借りて故郷で自殺を試みますが、至らず 挫折感を深めてゆく溝口です。

その後 戸苅に挑発されて老師に嫌がらせをしたり、有名な禅海和尚に助言を求めても答えを得られず 人間不信に陥り 遂には信愛する 驟閣寺に火を点け全焼させてしまいます。
そして裏山で燃え行く美しい驟閣寺を見ながら自殺を試みますが、またも失敗して逮捕・起訴されてしまいます。

時計が 9:25を指す中 京都駅舎へ、刑事に両脇を挟まれた溝口が入って来ました。居合わせた人々は「あれが驟閣寺を焼いた犯人や」「あの人のお母さん鉄道自殺しはったそうですな」などと言ってます。
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更に時計が 10:10を指す頃に、一行は改札口を通ってホームへ出て行きます。そこへ C62形蒸機 26号機が牽引する客車列車が入線して来ました。東京へ護送するので、東京行の急行列車の様です。
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次に車内シーンが映り 窓際に溝口が座り、通路側の横と前に刑事が座っています。溝口が横に座る刑事の顔を見ると、「便所か」と刑事が聞き 溝口は頷きます。
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刑事と連れ立ってデッキの便所前に来ると、手錠を外してくれます。その時突然 溝口が刑事を突き飛ばし、デッキの扉を開けて 飛び降りようとします。
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そうはさせじと 刑事は背後から組み付き、何とか飛び降り自殺を防ごうとします。二度三度とデッキから飛び出そうとする溝口を引き戻す刑事ですが、遂に突き飛ばされた後 飛び降り自殺されてしまいます。
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刑事は呆然とした顔で、飛び降りた方を見送るだけです。
蒸機の汽笛が悲しく響く中、列車は高速で過ぎ去って行きます。
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続いて 警官二人がムシロが掛けられた遺体のある現場保存をする所へ、逃避された刑事達が車で到着したところでエンドマークとなります。
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背後では小型蒸機らしき、甲高い汽笛の音が聞こえています。石山付近なのでしょうか。






 PS.

原作 三島由紀夫 作「金閣寺」のモデルとなった金閣寺放火事件が起こったのが 1950年7月なので、当時を想定して製作された映画の様です。市電北野線 N電を登場させて、雰囲気を盛り上げています。
その年の暮れに東京へ護送される最後の場面では、当時走っていた 京都 10:44着の熊本発 34レ東京行の急行列車を想定している様です。

2年前に全線電化された東海道本線ですが、本編で登場した C62形蒸機が牽く列車は 姫路発 936レ京都行 普通列車と思われます。10:29到着なので、あたかも東京行の急行列車の様に見えます。
1958年4月の山陽本線 姫路電化までは、東海道本線 京都までの蒸機牽引列車が多数残っていたそうです。撮影はギリギリのタイミングで行われた様ですね。


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238.女のみづうみ

1966年8月 松竹 配給 公開  現代映画社製作   監督 吉田喜重

結婚8年目を迎えた水木宮子(岡田茉莉子)が出入りのリフォーム デザイナーと密会の折 撮らせたヌード写真ネガを、夜道で男にバッグごと奪われ 脅迫されるサスペンス調映画です。


男から「明後日 上野発 4:28の急行に一人で乗り 切符は片山津まで買え。来なければご主人にフィルムを送り付ける」と電話が有り、宮子は覚悟を決めて 男の指示通り出掛けます。
上野駅広小路口で密会相手の北野(早川保)に会い、片山津へ行くことを告げます。宮子は止める北野を振り切って、着席券の案内看板が目立つ 中央改札口へ向かって歩いて行きます。

宮子が改札口を通り抜ける時、職員が頭上に吊るされた列車案内板を取り換えています。外した案内板には 9:18と記載があり、ロケが行われたのは 9:20頃と思われます。
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そして 14番線ホームへと歩いて行きます。東北・上信越方面への新幹線が全く無いこの時代、構内はとにかく人人人で ごった返しています。
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入線している列車の次に入る列車を待つ人か、込み合っている 14番線を進んで宮子は乗車します。デッキから入った車内は 指定席一等車の様で、通路に立っている人もいる中 女子の隣に座ります。
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一方北野は迷った末に入場し、14番線へと急ぎます。ホームを前方へ急ぎ足で進みながら車内の宮子を探して行くと、漸く窓際に座っているのを発見するも 一瞬目を合わせただけで視線を外す宮子なのでした。
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その後 暗くなった車窓を見つめる宮子の姿が映った後、列車は とある駅に停車して下車します。構内放送から「北方線 脱線事故の為 片山津方面の方は当駅の待合室でお待ちください」と聞こえて来ます。
宮子が暗いホームのベンチに座っていると
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男が近寄り「お困りでしょう」「いいえ」「どちらまで」「片山津です」と短い会話があります。どうやら脅迫してきた男が現れた様です。
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しかし後続列車で北野が追いついたので、男はその場を諦め 宮子は北野と一緒に再開した列車で片山津を目指します。翌朝 EF 80形電機らしきが映った後
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小さ目の駅舎から出てくる二人です。
ここまで観てくると 上野から宮子が乗ったのは、10:00発の 601レ急行 白山 福井行と思われます。脱線事故があった北方線とは北陸本線と思われ、高岡か金沢辺りで運転見合わせとなったのでしょう。
片山津温泉は有名ですが片山津という駅は無く、最寄りの駅は動橋(いぶりはし)です。宮子と北野が下車するロケが行われた この駅は北陸本線 金津駅の様ですが、謎の男が二人の後を付けています。
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それから片山津温泉で宮子・北野・男 桜井銀平(露口茂)のやり取りがあり 再び 北野を振り切って桜井の所へ向う時、ロケ前年9月に廃線となった北陸鉄道片山津線の廃線跡沿いの道を歩いて行きます。
レールを剥がされ、砂利と柵柱だけ残され 車の置き場となった姿が哀れです。もう一年前にロケが行われて、北鉄の電車で二人が片山津温泉を目指す場面があったら良かったのですが・・・
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宮子は桜井を東尋坊の崖から突き落として 写真も焼き払い 解決したと思ってホテルへ戻ると、北野から電話で全てを聞いた夫 水木雄造(芦田伸介)が夜行列車で来ていました。
男は死んだと聞かされた水木は、帰ろうと告げます。ED 70形電機の走行シーンの後
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何処か不明の駅のホームで待つ水木・宮子の前に
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直江津行のサボを吊り下げた旧型客車列車が到着します。

無言で向かい合わせに座る二人の横の窓越しに、戸袋が丸形窓になっている特徴のある車両が一瞬映ります。ひょっとしたら京福電鉄のデハ 106形でしょうか?
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京福電鉄 永平寺線・丸岡線で走っていた車両なので、ホームの様子などから永平寺線と北陸本線が接続する金津駅と思われます。

列車が駅から離れて加速した頃 突然前方のデッキから桜井が現れ、宮子の前を無言で通過して最後部デッキへ歩くのを宮子は追って行きます。
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水木は桜井の顔を知らないので、トイレにでも行くのだろうと気にしません。最後部デッキで桜井は「奥さんの計画は失敗しましたね」と言いますが
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その後の展開は?という所で唐突にエンドマークです。








水木と宮子が金津駅から乗ったとすると 下りの北陸本線を日中走る普通 直江津行は、手元にある 1967年5月改訂時刻表では 11:05発の233レが唯一の列車です。
そしてこの列車に乗ると 金沢に 12:29到着し、13:00金沢始発の 1002D特別急行はくたか号に接続して 上野に 21:00到着するので筋が通っています。

東京に住む人間にとって北陸へ行くのに信越本線経由という思い込みがあるのか、架空列車や駅を登場させても実質 行きは急行白山を使っている様です。
何事も無ければ 10:00発で当時は福井行の急行白山が動橋に着くのが 20:33頃なのです。温泉に行くには遅すぎる時刻です。
一方 東海道新幹線が開通している当時は 東京発 11:35の(こだま115号)に乗れば 14:48 米原着で 15:03発(急行第二立山)に乗り換えて 17:10動橋着と所要時間を比べても大差があります。

鉄道シーンが全編の一割以上ある本作は国鉄の全面協力でロケが行われた様ですが、脱線事故の構内放送(アフレコ?)などよく了承したもだと思います。

当ブログを発表以来 コメントを頂いた中で 石川在住の いずみ様 からの情報により、当初 大聖寺か?と記した駅が 金津駅と判明したので本文を訂正させて頂きました。




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