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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

399.ブルートレインひとり旅

1982年6月 中山映画 製作  配給 映画センター全国連絡会議  カラー作品   監督 中山節夫

優秀な兄・姉の下で 成績がイマイチな 少学6年生 岩田たけし(上野郁巳)が、家出して 熱望する寝台特急はやぶさ号に乗って 西鹿児島を目指す 冒険ミステリータッチの前期青春映画です。

東京機関区を出区する 1000番代のEF65形電機は
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品川客車区へ移動し、
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寝台特急はやぶさ号の 24系25形編成を牽引して 始発駅東京へ向かいます。
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何度もブルートレイン乗車を 願い出た岩田ですが 仕事に忙しい父親は 応じてくれず、遂に貯金で切符を買うと 東京駅9番線へ来ました。

16:17 はやぶさが入線し
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16:30向かいの10番線から ブルトレ一番手 長崎・佐世保行の 1レ特急さくら号が出発して行くと、岩田は家に電話しようと 公衆電話を取りますが 迷った末に止めてしまいます。

そして 3レ特急はやぶさ号の 発車ベルが鳴りだすまで 乗るか迷っていた岩田は
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4号棟に飛び乗り発車です。
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指定された席に行くと 話好きの女性が向かいの席に到着し、後に 鳥栖へ一人で向かう 篠山あずさ(永浜三千子)も現れます。

18:14熱海を通過する頃
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岩田の家では家出が発覚し 19:14静岡で機関士交代の頃、父岩田隆介(川津祐介)と 母美樹(水野久美)は(はやぶさ)に乗ったと確信して 東京駅へ向かいますが 20:12発の最終新大阪行 ひかり185号に乗り遅れ 大阪で追い付く作戦は失敗です。
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車掌長(高城淳一)が 再度あずさの元へ検札に来た時、家出した「6歳の中村まさとし君(星野光司)愛称マー坊を捜している」と皆は聞きます。
20:30頃 岩田は食堂車で ハンバーグ定食を注文した時 ウエイトレス(青木菜々)と知り合いますが、食堂車内は 黒服3人組男も居て 何やら怪しい雰囲気も漂っています。
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そして4号車内では コート姿の男がダイヤを 黒服男に盗まれ、更に男のミスで ダイヤをマー坊の 紙袋に落としてしまいます。その一部を目撃した岩田は あずさに話しますが信じません。しかし下段の女性が「大型トランクが怪しい」と話すので、男の寝台へ二人で行き トランクを開けると マー坊が死んだ様に寝ていました。

そこへ怒った顔の 3人組の男達が現れ「紙袋に入ったダイヤはどこだ!」と迫りますが、岩田が男の手に噛み付き逃走し 空いていたA寝台個室に 二人は逃げ込み隠れます。
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しかし刑事風のコート姿の男(常田富士男)は マジシャンで 男達は弟子なのが分かり、騒がせたお詫びの マジックを披露してくれ マー坊も匿ってあげました。

その後 岩田とあずさは 閉店となった食堂車で ウエイトレスから、自作の{ブルートレインひとり旅}という歌を 聞かせてもらいます。
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一方その頃 一人で追いかける父親は 東京21:00発の名古屋行ひかり541号で 23:16に名古屋に到着し、23:20発 9レあさかぜ1号に乗り継ぎました。
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これに乗れば 翌朝6:28着の広島で、6:34発の始発こだま431号に乗り継ぎ 博多にて余裕で 追いつける目論見です。

そしてはやぶさ号は 下関に到着すると
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牽引機関車が EF81形電機に付け替えられますが、
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ここでマー坊は 鉄道公安官に保護されてしまいました。 
関門トンネルを抜けた はやぶさ号は、
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次の門司で更に ヘッドマーク無しの ED76形電機に交代して 九州路を走り出しました。
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博多到着が近付いた頃 あずさに「御言付が届いてますので、乗務員室へお越しください」と放送があります。博多ではマジシャン一行と 下段の女性が下車して、車内は寂しくなりました。
あずさが(門司→3レ)業務連絡書を受け取ると、家を出た母親が 鳥栖駅に 出迎えに行くと書いてあり 一安心です。
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DE10形内燃機に連結された 赤い50系客車が停まる 鳥栖駅に着くと、399-21.jpg
あずさの母親(長内美那子)が出迎え 二人は涙の再会を果たします。でもはやぶさ号が出発して行くと あずさは列車を追い掛け、大きく手を振り 岩田に別れを告げるのでした。
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岩田が席に戻ると、父親が座っていて 驚きます。当然叱られますが「あさかぜ1号から広島で 山陽新幹線こだま431号に乗り継ぐ筈が、寝過ごし徳山で こだま421号に乗り継ぎ 博多9:20着。急いで9:22発の はやぶさ号に、スレスレ乗り込んだ」と父親が話すと 二人の間が和みました。

そして父親は「熊本で降りて 熊本空港から大阪へ飛んで、午後2時からの 会議に間に合わせる」と言って、終着西鹿児島までの乗車を 許してくれました。熊本で切り離した後部編成を 移動する為、DD16形内燃機が 父親を追い抜いて行きます。
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ラストシーンでは 空撮によって、はやぶさ号が海沿い・鉄橋・牛ノ浜駅での 上下はやぶさ号のすれ違いシーンがあって 西鹿児島駅到着でエンドマークとなります。
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PS.
  国鉄のPR的作品でもあり 国鉄・国労・動労・鉄労・全動労の協力を受けて、通常撮影不可能な位置からの 見ごたえある映像が随所に見られます。

  なにより協力の度合いが凄いのは 東京~西鹿児島を実車の 寝台特急はやぶさ号で 連続2往復して、その間4号車を貸し切り スタッフ・俳優の全30人が 不眠不休に近い状態で撮影したそうです。

  途中駅ホームでの撮影も 大手作品の何倍も有り、国鉄挙げての協力の程が 見て取れます。

  食堂車の場面は 営業終了後の午前1時過ぎから借りて 機材セットから始まり リハーサル・本番と進め、NG・予期しない揺れや音で 撮り直しも数々・・朝食準備が始まるまでに 片付け清掃しなければと 忙しかったことでしょう。

  1970年代半ばから 九州内では 寝台特急 ヘッドマーク取付が省略されて、本作内でも 寂しい姿で映っています。本作製作の 2年後に復活しますが はやぶさ号は 1997年11月末から 熊本打切りとなり、最後は富士号との併結運行となって 2009年3月に廃止されました。

   (参照:鉄道ジャーナル1982年7月号)

  




  本作は 学校や公会堂での上映を前提に 教育的シナリオで製作され 一般映画館では 公開されなかったそうですが、1982年7月10日から 3週間に渡って 名古屋ミリオン座で 公開上映された記録があります。(併映作は → さよならは半分だけ)

  次回は 400回記念号なので 皆様からリクエストの多い アレではなく、あの作品を取り上げます。本作で ベテランの味で演じている 常田富士夫氏が、意外な役で出演するも クレジットに 名前が登場していない作品です。


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398.盛り場ブルース

1968年8月 東映 製作 公開  カラー作品   監督 小西通雄

銀座のクラブ 麗の渉外部長 高見啓一(梅宮辰夫)と ホステスの 三宅かおり(野川由美子)が、数々のトラブルに会いながらも 夜の銀座で生きる 二人の愛欲の機微を 描いた映画です。

かおりは 独り者という触れ込みで 働きだすと たちまち人気者と なりますが、インターン研修医 牧野吾一(蜷川幸雄)と同棲中でした。
土手の上らしきで 話し合う二人の 背後には、上り勾配区間 を走る 帝都 高速度交通営団 地下鉄 丸ノ内線らしきの 電車が映っています。
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その後 かおりに惚れている 客の岡林(金子信雄)は 金で二号にしようとしますが、騙されたと知った かおりは逃げ出し 行方不明となります。
かおりの弟で 流しから高見によって クラブ麗で歌い出した 三宅信一(森進一)の処へ 届いた手紙から、高見は潜伏先の仙台へ行って
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かおりを捜し出し 東京へ連れ戻そうと列車に乗ります。
ED75形電機らしきに 牽かれた列車が映り、
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いかにも セット撮影の客車内で かおりと高見は 並んで座っています。
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その後 少し寝た高見が起きると、隣のかおりは 荷物と共に 消えていました。
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高見が必死に 車内を捜すと、閉鎖されている食堂車手前の デッキでかおりを発見します。
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しかし かおりが突然 扉を開けて 飛び降り自殺しようとするのを 阻止した高見は、頬を叩いた上に 接吻し抱きしめるのでした。
二人は 1:54に到着した 次の停車駅 平で降り、
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「平~ 到着の列車は 2:03発上野行 急行十和田号でございます」と 放送が流れる中 
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無人のホームを 改札口へと歩きます。
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駅前旅館で 互いの愛情を確認した高見は クラブと縁を切る為、翌日 急行列車の 6号車デッキで かおりの見送りを受けながら
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「今日中に戻る」と言い残して 東京へ向かいました。
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高見が辞表を出すと 予想通り 社長の取り巻きから リンチに会い、更に麗の女給 朝子(白木マリ)から 高見の計略を聞いた牧野に 背中を刺されてしまいました。

担ぎ込まれた病院で 治療を受けている頃、平駅の改札口では かおりが 高見の帰りを待っていますが 現れません。
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高見が 警察の聴取を受けている頃 部屋から 平駅舎を見ていて
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諦めた かおりは 常磐屋旅館を引き払い、番頭(相馬剛三)に 見送られて 一人寂しく 平駅2番線から ED75形電機牽引列車に乗るのでした。
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PS.
  最初の画像は 帝都高速度交通営団地下鉄 丸ノ内線の 赤坂見附駅から 四ッ谷駅へ向かって、トンネルから出て 上り勾配を走る姿と 思われます。

  4枚目の画像からの 車内シーンは 明らかにセット撮影ですが、美術さんは あえて1等と2等席の 中間的な感じの座席に したのでしょうか。1950年代後半の 新東宝映画 車内セットの様です。

  8枚目の画像で映る列車は アフレコと思われる「2:03発上野行急行十和田号」と放送音が入っていますが 急行札が無いので、7:58青森始発で 翌日 0:34平着 0:51発の 上野行228レで ロケが行われたと想像します。
  また平駅での 発着時刻は合っていますが 210レは第一十和田号なので、その後に 第二~第四まで十和田号は 続いて来ることから 放送に 第一を付け忘れることは 無いと思われます。

  10枚目からの画像で映る デッキでの別れのシーンは、自動扉ではない 旧型客車ならではの 哀愁が漂っていますね。

  最後の場面で映るのは 高見を諦めた かおりが再び 仙台へ向かうべく 平駅2番線で、ED75形電機牽引列車への 乗車を待つ場面で 磐越東線のDC列車も 片隅に映っています。


本作では 当時から 人気歌手となった 森進一と 後年 世界的に有名な 演出家になった 蜷川幸雄が、役者としての台詞も多く それなりの俳優として出演しています。

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397.サザエさんの婚約旅行

1958年8月 宝塚映画 製作  東宝 配給 公開   監督 青柳信雄

九州での 法事出席に向かうサザエ(江利チエミ)カツオ(白田肇)の道中や、婚約者フグ田(小泉博)との 九州北部旅行の 珍道中を描いた コメディ映画です。

序盤 父親の名代で 若松の伯父さん宅での 法事に出席すべく 明日昼過ぎの若松到着予定で、東京駅からEF58型電機牽引の 急行列車らしきに乗って出発し 有楽町駅付近を走行する列車が映っています。
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長い道中の列車が深夜に 上郡駅に着くと、
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乗って来た老人(沢村いき雄)が サザエ達が座るボックス席の前で止まります。
そして 荷物が置いてある サザエの向かい席を見て「ここ空いてますか」と言うので「空いてます」と サザエが答えると、カツオの向かいに座る男(由利徹)は「塞がっている」と答えてサザエは呆れます。
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サザエが言い返すと 男は漸く席を空け、足を伸ばしました。カツオがトイレに行くのに 男の下駄を履いて行き びしょ濡れにして戻ると、男が怒りますが 平然と「だって汽車が揺れるんだもの」と答える カツオでした。
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翌日昼過ぎに 筑豊本線の終点 若松駅に到着しますが
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 駅前からの市営バスに サザエが乗り間違えて
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カツオと揉め、列で待つ 大阪の叔母さん 西野ちえ(浪花千栄子)に 衝突して 印象を悪くしてしまいます。

続いて 伯父さんの家に向かう 若松市営バスからの映像らしく、商店街のある 中川通りの 若松市営電気軌道上を進んでいます。
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その後も サザエは法事後の席で 酒に酔って踊り出し、伯父さんから「大阪の叔母さんの旅館で 行儀作法を教えてもらいなさい」と 怒られてしまいます。

そこへ休暇をもらった フグ田が現れ、サザエとカツオを 九州北部旅行に 連れて行ってくれるのでした。先ず長崎へ向かう場面で 海沿い区間を走る、晩年の門デフ付き C51形蒸機牽引列車でしょうか。
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長崎市内観光後に 雲仙・島原へ行き、佐世保駅から 西海橋行のバスに乗ります。
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更に 唐津へ寄ってから 旅の最後に博多へ着いた場面で、西鉄福岡市内線の 路面電車が映っています。
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フグ田から 帰りの切符を貰った サザエですが 夜行列車内で フグ田から「今度大阪へ転勤になる」と聞いた話を 思い出し、大阪で途中下車して 叔母さんの旅館で 行儀見習いとして 暫く滞在すると カツオに伝えました。
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SP.
  当時 東京から若松へ行くのは、大変な旅でした。最初の画像は 日中に出発する 九州行の急行列車と思われます。
  ところが 山陽本線 上郡が 0:54発車との脚本ですが、そもそも上郡には 急行列車は停車しません。昼過ぎに 若松駅到着との脚本なら、該当するのは 東京13:30発39レ長崎行の 急行雲仙号が近いでしょう。

  39レは 午前1:00頃上郡を通過し、10:12に 鹿児島本線折尾駅に 到着します。階段を降りて 筑豊本線に乗り換えで、折尾発 11:09 → 11:30 若松と 昼前に着いてしまいます。この後 直通は 20:30発の 41レ筑紫号となり、若松着が夜になります。
  東京18:30発 7レ特別急行あさかぜ号を使えば、10:43門司着で 11:18発佐世保行 327レに乗り換え 折尾12:05着 12:40発722レに乗り換え 12:59に若松着と 脚本に合致しますが 実態に合いません。

  7枚目の画像に映る 若松市営電気軌道の線路は、1936年 埋め立て地に進出した工業地帯で使う 原料や製品輸送の為に 若松駅から敷設された 電化された貨物専用線で 1975年まで使われました。

  8枚目の画像は不鮮明ですが 給水温め器の後ろに 二つコブがあるので、門デフ仕様で 1960年頃まで走っていた C51形蒸機かもしれません。

  車内シーンは 勿論セット撮影ですが 宝塚映画製作の カラー映像で、北九州広域での ロケを行いました。しかし 唐津くんちの場面だけは 撮影だけで 現地に俳優は行かず、現地の祭り衆は 肩透かし喰らった様です。

  

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