日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

 85.運ちゃん物語

1956年11月 大映 製作 公開    監督 天野信

大阪で人のいいタクシー運転手として働く、秋田源伍(堺駿二)の素朴な人情劇映画です。

昼番の運転手 秋田(通称 源さん)は同じ車を夜番で使う女運転手 真山波江(春風すみれ)が起こした事故の身代わりに名乗り出たが、ひょんなことから礼金を受け取ることとなったのです。
ある日大阪駅で軍隊時代の司令官 小牧元将軍(見明凡太郎)を乗せ、バレリーナをしている一人娘のことを聞きました。同僚の佐竹(伊達三郎)が熱を入れてるレビューの踊り子ではと捜すと 小牧みどり(浦路洋子)でした。

源さんは小牧元将軍が九州へ帰る前に娘に一目会ってもらおうと波江と計り、みどりをバレリーナに扮装させ大阪駅へ駆け付けたのでした。大阪駅改札前のパタパタに 22:25発 急行きり島 2・3等鹿児島行と表示が出ます。
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小牧元将軍は後ろを振り返りながら改札を入り3番線への通路を歩いて行きます。遅れて源さん達3人が改札を通り、急行きりしまが停車中の3番線へと急ぎ足で向かいます。
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小牧元将軍が3番線への上り階段を数段上がったところで追い付きました。「閣下お嬢さんをお連れしました」と源さん。「おとうさん!」バレリーナ姿のみどりは父親に走り寄り、抱きつきました。
「閣下どうです お嬢さんの晴れ姿 来月はいよいよ東京公演だそうです」と源さんが持ち上げます。そして みどりが閣下へと貯金したお金だと伝えて、礼金の包を小牧に渡しました。

その時 きりしま号の発車のベルが鳴り始め、一同は3番ホームへと急いで上がりました。3等車のデッキに乗った小牧は源さんに「秋田君 これをみどりに渡してほしい」と包を託します。事情を察知していたのでした。
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みどりは父に近寄り「お父様 必ず立派なバレリーナになってお迎えに参ります」と告げました。やがて汽笛が鳴り響き、汽車はゆっくり動き出しました。小牧は頷き 手を振り、遠去かって行ったのでした。
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スハフ42 の最後部にも客があふれ、夜行急行きりしまの混雑ぶりを表しています。ホームには駅員3人が列車の姿が見えなくなるまで見送っているかの様です。
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急行きりしまは 1950年11月より東京~鹿児島で走り始め、撮影時は東京 12:35発の35ㇾで22:16大阪着 22:25発ですから9分停車です。それ故 階段で話をしたり、ホームでゆっくり別れの挨拶が出来たのです。

そして終着 鹿児島(西鹿児島ではなく鹿児島本線の終着駅)には翌日 18:18の到着です。大阪発車時は13両編成で、1,2号車が2等寝台車 3,5号車が特別2等車 4号車が普通2等車6号車は3等寝台車 7号車は食堂車 8~13号車が3等車でした。
つまり きりしま号は食堂車を挟んで前半が特別車両という第一級の急行列車でした。2等寝台車は高嶺の花で大阪~博多で3等車が1320円なのに、1号車2等A室下段が一番高く5920円(運賃+料金)と4倍以上の高額でした。

一番安い2号車2等寝台C室上段でも 4360円です。これでも前年1955年7月より1号車は1等寝台が2等A,B 室へ格下げされ、マイネ40形1等寝台特別室下段 9440円 → マロネ40形 2等寝台A室下段 5920円と値下げされたのでした。
これは航空路線が充実してきて大阪~福岡が1954年 所要2時間で 5520円 1956年 6300円と高級客ではライバルとなったからで、きりしまの乗車率は 1等寝台で25%から値下げ後も35%と微増 2号車ロネは値段変わらず70%程でした。

庶民用3等車は常に満席でしたが、この年待望の3等寝台車が復活。切符さえ手に入れれば指定席の寝台で寝て行け、上段なら同区間が 2040円と2等寝台車最安の C室上段の半値以下でした。
しかし復員直後で懐の寂しい小牧元将軍にとっては普通3等車以外の選択肢はなかったのでしょう。こうして父親との仲を取り持ち、みどりの後ろ盾となった源さんと波江の仲もいつしか近付いたのでした。



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