日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

 50. 若い瞳

  1954年2月 宝塚映画 製作  東宝 配給 公開     監督 鈴木英夫

 勝気で純情な高校3年生 松川ひろ子(八千草薫)を中心とした青春映画です。50回記念に思い入れのあるこの作品を取り上げました。

 ひろ子が京阪神急行電鉄(現 阪急電鉄)六甲駅を降り、学校へ向かう朝の風景から鉄道シーンが始まります。
 改札は木製のラッチで、そこを覆う小さな木造駅舎は仮設のバラック風です。1973年に現在の阪急電鉄に改称しますが、この頃も略称 阪急で通用していたそうです。

 元々隣に住んでいた大学生の中山治夫(太刀川洋一)と付き合い始めたひろ子だが、中山が就職試験に連敗したことから冷たくなり自殺をも考えるようになる。
 暗い顔で阪急神戸駅(1968年より現 三宮駅)のホームに上がるひろ子。大阪行最終電車ですと放送していますが停車している 920系966に乗ろうとせず、ホームのベンチに座り込みます。
 阪急神戸駅は当時阪急の神戸方終着駅で櫛型ホームでした。その後改造され 1968年神戸高速鉄道、山陽電鉄との相互乗り入れ開始時に通過駅となり駅名が三宮に改称されました。

 それでもなんとか ひろ子は900形 918 に乗車します。下車駅である芦屋川駅に920系 956 で着いた時にはすっかり笑顔に変わっています。
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 当時の時刻表によれば、この終電は阪急神戸 23:30 発で 23:44 芦屋川ですから今より終電が早いですね。改札には弟の松川保(井上大助)が迎えに来ていました。

 この芦屋川駅舎も木造の小さなバラック風で、本作の翌 1955年公開の東宝製作「不滅の熱球(監督 鈴木英夫)」でも同じ姿で映っています。
 また 1959年 大映製作「細雪(監督 島耕二)」や 1966年 日活製作「青春のお通り 愛して泣いて突走れ!(監督 斎藤武市)」でも各時代の駅の姿を見ることができます。

 そして東京で就職口が見つかった中山は別れを告げるべく六甲駅でひろ子を待ちます。ホームで話す内 961 を含む3連が到着しますが見送ります。
 遠ざかる 920系3連 構内の外れでは踏切警手が白旗を振っています。50-2.jpg
この頃六甲駅は構内踏切付の島式2面4線構造であったんですね。
 この 920系は 1934年より製造された2扉の名車でした。本作中では2連か3連で登場しますが、特急では4連で走っていました。

 続いて二人は国鉄神戸駅に着きます。やや迷った様子の中山は意を決した感じで 17:20 ホームへ向かいます。ホームへ上がると同時にC59129蒸機が牽引する神戸 17:35発の急行列車が到着します。50-3.jpg

 中山は席に荷物を置いて再び降りてきます。ホーム中央で別れの言葉を交わす内、遂に汽笛が響き渡ります。
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デッキに乗り込み尚も手紙の約束などする内、加速する列車は二人を引き離します。
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 悲しい BGM が流れる中、煙を残して中山の乗る列車はひろ子の視界から消え去って行くのでした。このC59129機関車はお召列車の先頭を牽いたこともある優良機で当時岡山区に所属していました。

 中山が乗った急行 アフレコと思われる構内放送では 17:35発の急行東京行らしいのですが、語尾がハッキリ聞こえず急行何号?か分りません。
 1953年は3月と11月に時刻改正がありました。ロケが行われたと思われる 11月以後も以前も17時台に上りの急行列車はありません。
 たぶん ひろ子の下校時刻に会い、神戸駅まで来て明るい内に別れのシーンなので架空の 17時台半ば発車とのシナリオになったと思われます。

 当時の時刻表では 17時台は姫路発各停 928ㇾ三宮行が 17:17 これだけです。その後は 18:28 に佐世保発の 1006ㇾ東京行の特殊急行列車(後の急行早鞆)があり東京には 6:40 到着です。
 その前は熊本発の 32ㇾ東京行急行阿蘇であり神戸 9:16発で終着東京は 20:08です。つまり 17時台では東京着が早すぎるので東京行の急行が存在しないのです。
 できれば急行券の発売枚数制限の付いた豪華編成の特殊列車 1006ㇾで撮影してほしかったものです。当時の山陽本線は西明石以西が非電化で、電化区間もC59はじめ全線で蒸機天国でした。
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