日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

 42. 生きとし生けるもの

 
 1955年2月 日活 配給 公開    監督 西河克己

 伊佐早靖一郎(三國連太郎)と菅沼民子(南寿美子)を中心とした、会社内の人間関係を巡る企業系青春映画です。

 曾根鉱業社員の伊佐早は経理課の民子とつきあっていたが、社長の息子 曾根夏樹(山内明)が民子を気に入ったのを知り身を引こうとする。伊佐早の弟 令二(三島耕)はそれを聞き兄を罵り、曾根鉱業に入社した後労組活動に熱を入れる。
 夏樹が民子を秘書として伴い上野から仙台支社を経由して北海道の炭鉱へ向かおうとする場面に、この映画の鉄道シーンがあります。

 上野駅地平ホーム 12番線 最後尾に荷物車を連結した列車が先ず映ります。次に一等寝台車マイネ 41 に乗る民子が香取あき子(東谷暎子)から見送りを受けるシーンがあります。42-1.jpg
窓下には青森行のサボが掛っています。
 あき子は曾根の父である社長の曾根周作(山村聡)が息子 夏樹との結婚を望む仕事関係の有力会社々長令嬢であるが、夏樹は民子の方を望んでいます。

 あき子は民子にウイスキーのポケット壜を渡し、夏樹に渡してほしいと告げます。一等寝台車マイネ 41 の 1200㎜巾ある広い窓際に座る民子越に通路を挟んだ向こうの席に座る女性も見えます。
1950年に新製された最新型寝台車で進駐軍監修の元製造されただけに車両の前後に2か所男女別トイレが有り、更に両方共洋式トイレ!でプラス広い婦人洗面室まで付いています。定員は 24人で夜はゆったりと過ごせます。
 一等車とはいえ、プルマン式寝台車の昼状態のボックス座席では枕部分の白布もありません。収納式の仕切り板が下げられていて、車内の見通しは良く座席の枕部分が異様に厚く見えます。
 特別二等車である特ロは各映画会社にセットが組んであるかの様に多くの映画に登場しますが、三等制時代の一等寝台車がチラリとはいえ映っているこのシーンは貴重かなと思います。

続いて夏樹と南ゆき子(轟夕起子)がホームで話し42-4.jpg
デッキに乗ろうとする時、会社の部下達が北海道の炭鉱がストに入ったので仙台支社には寄らずに北海道に直行してほしいとの伝言を伝えに駆け付けます。
 その後八代恵美(北原三枝)も上野駅に駆け付けますが、一足遅く列車は煙を残しあき子とゆき子が見送る中 12番線ホームを去り行くところでした。
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 さてこの列車は何か? この映画が撮影された頃の昼行 青森行急行といえば、みちのく号です。でも 12番線からではなく、高架ホームの 7番線から 9:50の出発であったと思われます。
 ロケがあった頃の 1954年10月に時刻改正があり、その前から走っていた昼行急行みちのく号青森行にこの改正から 1号車に 二等寝台車が連結されることになりました。
 そして この1両のみ 23:44 青森到着後に切り離され客が乗ったまま青函連絡船に積み込まれ、更に函館からは急行大雪号網走行に組み込まれ 札幌まで連結されお昼に到着との予定でした。

 しかし 1954年9月26日起きた洞爺丸事故により客車の航送は中止。時刻表に載っているこの 1号車は連結されることなく欠車、全車青森行となったそうです。
 本編にある炭鉱ストが頻発した 1950年頃の話であるとすると、1950年10月~1951年5月急行みちのく号(名称が付いたのは11月から) 1号車に一等寝台車マイネ40が連結され 1号車のみ航送し札幌行でした。
 つまり現在の北斗星やカシオペアと同じく上野~札幌の列車が実在していました。上野発 9:35ー23:50青森0:40ー5:10函館5:50ー12:00札幌と所要26時間25分、民間航空路はまだ再開していない(航空路は 1951年11月から)ので最速でした。

 12番線から出る主な列車に仙台行 9:00発の急行青葉 13:00発の急行松島があり、撮影されたのは後の列車かもしれません。1954年10月改正前だと一等寝台車が連結されていた青森行は後に急行十和田となった 1201ㇾ特殊列車だけでした。
 この列車は進駐軍専用列車ヤンキーリミテッドとして東京~札幌に運行され1952年4月から枚数制限付で日本人も乗れるようになった急行で、連絡船から接続の急行(後に洞爺となった)まで列車番号は全て 1201ㇾで統一されていました。
 でもこの列車は東京駅 19:00発 上野駅 3番線を 19:20発と夜行列車であり、マイネフ 38を使っていました。つまり当時 昼行青森行で一等寝台車が連結されていた列車はありません。

 思うに本編では車両に東シナ マイネ416 と記されていることから、当時マイネ41 を連結していた東海道本線の急行 彗星、月光、筑紫の間合いか予備車を品川駅に運んでもらいサボを美術さんが製作し撮影されたのでは?とも考えられます。
 監督が何故一等寝台車に拘ったのか?当初は仙台支社に立ち寄ってから渡道する予定でしたから上野~仙台の乗車予定です。大会社幹部の出張なので一等車と思ったか?映像からも一等車とはいえ寝台車の昼状態は豪華な4人掛けボックスシートの様です。

 この頃の長距離急行列車にほぼ連結されていた特ロこと特別二等車のリクライニングシートの方が遥かに乗り心地が良い筈です。料金面から見ても仮に上野~仙台を急行一等車で行ったとすると、運賃 2920円+急行料金 1080円 合計 4000円です。
 急行特別二等車で行くと、運賃 1460円+急行料金 720円+特別二等車料金 420円 合計 2600円とかなり違います。上野~札幌で比較すると一等寝台車下段で合計 11080円 二等特ロで合計 5720円 飛行機が 10200円となり一等寝台車がいかに高いか!
 この為 1950年には利用率が高かった一等寝台車も飛行機が普及してきたことから次第に下がり、1954年夏の調査では後に急行十和田号となる特殊列車で 33%と低く 1955年7月より格下げされ全車二等寝台車となりました。

この後あき子は北海道へ行くことになり、D51牽引列車が映ります。42-3.jpg

 
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