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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

390.あの橋の畔で 第一部

1962年7月 松竹 製作 公開   監督 野村芳太郎

数寄屋橋で将来を誓い合った 菅野光晴(園井啓介)と 新村葉子(桑野みゆき)が、過酷な運命に翻弄されながらも 魅かれ合う姿を描いた メロドラマの序章です。

父親の看護の為に 長崎へ帰郷した葉子を 菅野が大学を卒業し就職したら 迎えに行く約束でしたが、菅野は実権のある 葉子の兄 新村健二郎(南原宏冶)に 結婚を断られた矢先に 重症の交通事故に会ってしまいます。

その後 菅野と三ヶ月間 音信不通だった葉子は 上京を決意し、特別急行列車あさかぜ号に乗って 東京へ向かいました。
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思い出の 数寄屋橋畔の公園で 漸く菅野と 待ち合わせることができて、背後に都電が行き交う公園で 再会した菅野は 手足が未だ不自由な状態で 葉子は別れ話をされてしまいます。
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一方 葉子の兄夫婦の策略で 上司の沢野伸介(穂積孝信)と 政略結婚させられそうになった葉子は、菅野が転勤した 北海道夕張へ向かうべく 兄の家を飛び出し 上野駅へ向かいました。
上野駅 12番線で 急行北上号に乗った葉子は、菅野の親友 藤川俊春(山内明)と 柏村綾(千之赫子)から 見送りを受けています。
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藤川は葉子に 餞別を渡し、
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綾は「これで幸せになれるんだから」と励まします。
更に「お化粧道具持ってる?」と聞くと、葉子が否定したので バックを逆さに開けて 中身を 渡しました。
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葉子は 二人の親切心に涙し、二人は葉子と 菅野の幸せを祈り 手を振って見送ります。
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青森行急行北上号は ゆっくり加速して、12番線を離れて行くのでした。
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菅野が 飲み屋ひさごやの女給 のぶ(渡辺美佐子葉子)と 一夜を共にした頃、葉子を乗せた 蒸機牽引列車が 一路夕張を目指して 走行するシーンがあります。
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そして 遥々東京から到着した葉子と 菅野が 大夕張ダム湖畔で 抱擁する場面では、背後にダム湖を横断する 下夕張森林鉄道 夕張岳線 第一号橋梁が 映っています。
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更に この特徴ある 三弦トラス橋を渡る 森林鉄道列車の姿も、映像からは 僅かに見て取れます。
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しかし葉子は のぶから 自分と菅野が 深い関係にあることを 告げられると、D50形蒸機が牽く 運炭列車が近付く道で 汽笛を鳴らされると 絶望感にみまわれ しゃがみ込んでしまいます。
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のぶは 何とか菅野を 自分のものに しようとしますが 菅野に難く断られると 自殺を図り、止めようとした菅野と 共に崖から転落してしまいます。
のぶは重症ながらも 助かりますが 菅野は行方不明となり、帰京した葉子は 泣く泣く沢野との 結婚を承諾するのでした。

それから一年後 立野という名の 記憶喪失症の男が 東京に現れ、付き添っている チカ坊(中山千夏)の話から 男は死んだと思っていた菅野であると 皆が確信します。

葉子は 何とか菅野の 記憶を取り戻そうと 奔走しますが、それが 沢野や 同居する姑(沢村貞子)との 関係悪化に繋がるのでした    第二部へ続く・・・





PS.
  1枚目画像の EF58形電機牽引 特別急行あさかぜ号は、電源荷物車を含め 牽引定数いっぱいの 20系14輌フル編成です。

  長崎県平戸の 生月島からの 上京を考えると、生月島―(連絡船)・・・平戸口 11:39 ―(621レ)― 13:08 佐世保 13:27 ―(2308レ準急第一弓張)― 15:49 博多 16:30 ―(4レ特別急行あさかぜ)― 9:30東京

  4枚目画像からの 上野駅見送りシーンでは、青森行 急行北上に乗る葉子が 映っています。しかし当時のダイヤで 急行北上は7番線から、16:30発と 明るい内の出発です。

  このシーンの撮影は 12番線で 夜間に行われているので 国鉄の協力の元、20:50発113レ 青森行普通列車に 北上の札を付けてもらい ロケが行われたのでは?と推察します。

  11枚目の画像に映っている 下夕張森林鉄道 夕張岳線 第一号橋梁は、作中でも登場する 大夕張ダム建設の為 1958年に完成した 珍しい 三弦トラス形式の鉄橋です。
  大夕張ダムは 本作公開と同じ 1962年の完成ですが、下夕張森林鉄道 夕張岳線は 翌年の1963年に廃止されてしまい 森林鉄道の橋梁として使われたのは 僅か5年間でした。 本作中には 貴重な走行映像の片鱗が 映っております。

  その後 レールだけ撤去されましたが、美しい姿は 地域のシンボルとして 残されました。しかし 大夕張ダムの下流側に より規模の大きい 夕張シューパロダムが 2015年に完成し、現在では 渇水期に姿を現すだけで 通常期は水没しています。

  本作は メロドラマの大御所 菊田一夫氏の原作で、当時は TBSテレビで連続ドラマとして 放送中に製作されました。
テレビでは 新村葉子役は 島倉千代子ですが、菅野光晴役は 園井啓介が映画と掛け持ちで 出演したそうです。(当時の本人は 本業がテレビ俳優で、映画はアルバイトだそうです)


まもなく迎える №400号を記念して、№400号の前後 №390~410を カラー作品特集と致します。今回の(390.あの橋の畔で)は 全4作の長編なので、前半2作と後半2作に分けて 取り上げる予定です。










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コメント


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あの橋の畔で

「あの橋の畔(たもと)で」は松竹メロドラマ史、中期のロマン大作である。
この頃の桑野みゆきは現代的で活発でイケズな娘役が多かったが、この映画では「耐える女」を見事に演じている。

このヒロイン役で桑野みゆきは岸恵子、岡田茉莉子、有馬稲子など松竹トップ女優の仲間入りを果たしたと言える。

同じく菊田一夫原作の「君の名は」(←この映画の原点)が今見るとテンポものろく、時代遅れの感があるが、「あの橋の畔で」は映画的クオリティも高く、野村芳太郎監督の手慣れた演出で極上級の通俗的メロドラマとなっている。

その上、カラー作品である。当時のカラー映画と言って侮るなかれ!
実に綺麗で見飽きない色調で、一幅の絵のような風景が続く。

第一部、二部、三部、完結篇と計4本製作されたのも当時では珍しく、それほど人気が高く興行成績が安定していたからであろう。

この4作の中でヒローとヒロインは日本全国津々浦々を列車で駆け巡り、そのつどハラハラ、ドキドキの「すれ違い」に巡り合い、観客は一時たりとも気が抜けないのです。

この映画をきちんと再評価してくれる評論家センセイ、誰かおられませんかねぇ…

東京・数寄屋橋から長崎、北海道、下関、宮崎・青島などへと日本各地、第3部では何と! 海を越えて舞台はプノンペン、タイのバンコクへと飛んでいく。
この映画のよって、鉄道ファンは昭和30年代後半の国鉄全盛時代の一端が把握できるのではないか。
このサイトもあと2部~完結編まで計画されているので楽しみである。

リアルタイムで見た前年の「あの波の果てまで」(紛らわしいタイトルだが)とともに、「すれ違い」ドラマの大ファンであった小生はそれぞれの続編の公開が待ち切れず、何度も映画館の予告ポスターを見に行ったものだった。

この映画の画像5~7の列車はセットと思ったぐらいに、列車の窓が(小生には)まるで建物の出窓のように大きくみえる。
列車の窓枠は実際にこんなに大きかったのだろうか。

画像12についてひと言。
桑野みゆきはなにかあるとすぐに(自殺するために)鉄道線路内に闖入(ちんにゅう)するのだ。
それはいいとして、今では考えられないほどの危険で違法な(?)撮影を平気で行っていた。

テレビ版では主題曲だけかと思っていたら、島倉千代子がヒロインを演じていたらしい。
むしろ、このテレビ版の方が見てみたい。

赤松 幸吉 | URL | 2023-06-12(Mon)16:48 [編集]


見事なアングル

「あさかぜ」の20系先頭車両はナハネフでは無くナハフですね、EF58がブルトレ塗装
ではなくブドウ色2号の直流電機一般塗装なのが残念ですが20系で統一された編成は
見事です。
函館線?のD51牽引客車列車も当時はこれだけ長編成の列車の需要があったんだな、
と感動しました、画的にも北海道らしく放し飼いの羊にハエタタキと見事な構図です。
まるで鉄ファンのような撮影をしたカメラマンは何方でしょうか?

N.Nlc33100 | URL | 2023-06-13(Tue)23:40 [編集]


Re: あの橋の畔で

赤松様 熱の入った長編のコメントありがとうございます。

全4部作にもなった本作が、公開当時いかに大ヒットしたか分かりますね。
赤松様ご指摘の様に第二部では、本作に倍する鉄道シーンが登場します。

画像5~7はセット撮影と思われます。旧型客車の側窓は、広いタイプで1mありました。(狭いタイプは600・700ミリ)並二等車オロ40形などは1200ミリもありました。
画像4は 普通列車に一般的な、側窓巾1mの オハ35形と思われます。

画像12は事前に国鉄の、撮影許可を受けて行われていると思います。
それ故 盛大に警笛を鳴らし、機関士側から 機関助士が顔を出して 安全確認しています。

テツエイダ | URL | 2023-06-14(Wed)14:18 [編集]


客車はセットのようです

テツエイダ様

上野駅のシーンはどうもセットのようです。2等座席車とすれば窓は横1m×縦74cmが基本ですが、正方形に近いような気がします。もうひとつ、山内明と桑野みゆきがほぼ同じレベルにいるのは不自然で、ホームに立つ見送り人は腰かけた旅客を見下ろす関係になるはずです。当時の汽車ホームは国電ホームより低く、年寄りなどはデッキのステップを「どっこいしょ」と上がっていましたが、それにしてもこれほどの位置関係にはならないと思います。

好意的に考えれば、両者の顔がほぼ同じ位置で画面へ収まるように最初から立ち位置を加減してセットを製作したのかもしれません。もちろん、雰囲気自体は悪くありませんし、駅名板やサボなどは借り物と思われます。
車内から窓越しに撮る場合は通路をまたいだ反対側の座席を取り外してカメラや照明をセットするスペースをつくる必要があると思われ、撮影用の特別な号車を増結しないかぎり上野駅でのロケはむずかしいのではないでしょうか。さらにはこの時代、桑野みゆきが上野駅に現れた!!となれば、群衆整理も大変なことになりそうです。

客車に関しての話題ですが、国鉄末期に不要となった客車や貨車を売り出したところ、映画会社(どこかは聞き洩らしました)がセット用に購入しようという話がありました。丸ごとはいらないので、半分に切るというところまで話が進みましたが、結局お流れになったそうです。そのようなものを撮影所の片隅に置くくらいの体力も、もはやなかったのでしょうね。

73おやぢ | URL | 2023-06-14(Wed)14:59 [編集]


Re: 見事なアングル

N.Nlc33100様 コメントありがとうございます。

当時は 途中駅までの 乗降客を考慮して、ナハ20・ナハフ20と2輌の 二等座席車を 連結していたのですね。
その後 全車寝台車となり、小生が見たのも この姿です。

撮影者は松竹の資料では、川又昂カメラマンです。

テツエイダ | URL | 2023-06-14(Wed)15:06 [編集]


Re: 客車はセットのようです

73おやぢ様 コメントありがとうございます。

鋭いご指摘ですね 4枚目の画像は上野で ロケが行われたと 思っていましたが、もう一度観ると 確かに不自然な部分が多いですね。
当初は5~7枚目の車内画像が、セット撮影と考えていました。

8枚目の画像は 上野駅12番線で ロケが行われた様で、映像では 撮影カメラに気付いた 乗客のオヤジが手を振って 目立っています。

テツエイダ | URL | 2023-06-14(Wed)15:40 [編集]


私もセット撮影に賛成です。急行「北上」は昭和20年代の終わりにはスハ43系で統一されていて、30年代には早々とナハ10系に更新されています。
従って北上を使っての撮影ではありません。さらに青森行き各停を使ったのなら使用客車は43系ではなく、写真を見れば狭窓車に見えるのでスハ32系かオハ60系でしょうが写真の窓は700㎜にしては広く、1000㎜より狭く見えます。また前に置いたボストンバッグの位置からも座席間隔が狭すぎるように思います。これらから実車を使ったのではなくスタジオでのセット撮影だったと思うのです。

米手作市 | URL | 2023-06-14(Wed)21:28 [編集]


Re: タイトルなし

米手作市様 コメントありがとうございます。

73おやぢ様への返信で書いた様に、小生も画像4~7は セット撮影で、画像8のみ 実際に上野駅12番線において 20:50発113レ 青森行普通列車で 撮影したと思います。
 但し いかにも桑野みゆきを 見送っている様に 手を振ってますが、勿論乗っていません。存在しない対象に 手を振っている様です。

テツエイダ | URL | 2023-06-18(Sun)10:04 [編集]