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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

388.自分の穴の中で

1955年9月 日活 製作 公開   監督 内田吐夢

40代の未亡人 志賀伸子(月丘夢路)は 利己的な義理の息子・娘と三人暮らしだが、亡夫の遺産生活の為 苦労の末に 一家崩壊へと突き進む過程を 描いたホームドラマです。

学生時代 志賀家で世話になった 小松鉄太郎(宇野重吉)は 銃器会社を退職し、立川基地界隈を歩いた後 新宿のキャバレーへ向かう時 セットの電車内シーンがあります。
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伸子は 義理の娘 志賀多美子(北原三枝)と 出入りしている医師の 伊原章之介(三國連太郎)の 結婚を望んでいますが、当人は 伊原と伸子の仲を怪しんで 乗り気になれません。

ある日 京都に残っている 志賀家の土地売却の件で 多美子が現地へ向かう時、多美子は途中から 伊原に「話があるので横浜まで送ってほしい」と電話して 品川から列車に乗り合わせます。

白いカバーが掛かった 並ロらしき車内で 二人は向かい合って座っていますが、
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多美子は一向に 話をしないので 伊原は小松から聞いた 会社を辞めた話しをしました。
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やがて 列車が横浜駅へ 到着しそうになったので 伊原は立ち上がって「それじゃあ」と言いながら 多美子の手を取り 別れの握手すると、多美子は 手を引き寄せて 離しませんでした。
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一方小松は 四日市の海軍燃料廠跡・白浜三段壁・奈良・京都を 旅する場面に続き、EF58形電機に牽かれた 特別急行列車はと号の 走行シーンが映ります。
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続いて 食堂車内へ小松が入って来て
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近くの席に座り ウエイトレスに「ジュース」と注文すると、先に向かいの席に 座っていた多美子が気付いて 小松に声を掛けました。
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旅先での偶然に、普段と違って小松も饒舌です。
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その後 二等車席に二人が並んで座り、多美子は寝込んで 小松の肩にもたれ込んでいます。小松は膝に乗っている 多美子の手を、そっと持ち上げて お腹の上に置きました。
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すると多美子は 眠りから覚めて「今何処」と小松に聞くと、「やがて大垣」と答えます。 東京へは「あと6時間程」と話すと、「長いわね~」と 気だるけな返事をする 多美子でした。
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やがて 夜の有楽町駅界隈を走る はと号らしきの姿が映り、車内では 東京駅到着前から 網棚の荷物を降ろして デッキの方へ移動する 客の姿があります。
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小松が「渋谷まで送りましょうか」と言うと「もう大丈夫」と多美子は断り、東京駅構内から 伊原の家に電話します が不在と聞いて落胆しています。







PS.
  車内シーンは 全てセット撮影で 2枚目からの 東海道本線車内の画像は、伊原と多美子が向かい合って座るシーンですが スクリーン・プロセスの出来が少々・・・ですね。

  特別急行列車はと号の 走行シーンは素晴らしく、先頭部分のヘッドマークも ハッキリと映っています。
  ロケ地は不明ですが 1955年夏頃の撮影だとすると 上りの米原から大垣手前は電化されていますから、残る米原~京都の未電化区間を C62形蒸機に牽かれた姿を 撮影してほしかったです。

  EF58形電機の次位は スハニ35形{半車荷物車・半車三等車}でしょうか、かなりの高速で 通り過ぎる姿に ピントを合わせ続けているのは 流石 峰カメラマンですね。

  当時の4レ 特別急行列車はと号は 大阪発12:30で、京都・米原(SL⇒EL)・名古屋・豊橋・静岡・熱海・横浜に停車して 20:30東京到着のダイヤでした。

  一等展望車・二等車5輌・食堂車・三等車4輌(ハニ1輌含む)の11輌編成と、二等車(現在のグリーン車)が 一番多いのに 乗車率82%と 盛況でした。(1955年7月上旬平均値)

  小松は 四日市から 白浜へ向かいましたが 当時の紀勢線は、紀勢東線の尾鷲 ~ 紀勢西線の 紀伊木本(現:熊野市)34.3㎞が 未開通でした。

  あえて 当時の紀伊半島を 南下する経路で 妄想すると、四日市 6:59 ―(203レ急行伊勢)― 8:02 松阪 8:23 ―(15レ)― 11:21 尾鷲 12:30 ―(国鉄バス紀南線)― 15:15 紀伊木本 16:25 ―(145レ)― 18:49 串本 19:06 ―(171レ)― 21:22 白浜口

普通の人なら四日市6:29 ―(201レ急行大和)― 9:00 天王寺 9:30 ―(106レ)― 10:41 東和歌山 10:45 ―(6レ準急熊野)― 13:02 白浜口 ですが、作中で あちこち ぶらぶら旅した 小松ですから 上記の経路かもしれませんね。


本作は 盛夏時期に 撮影されていますが この頃日活は 他社に先駆けて 撮影所に 冷房設備を導入したので、食堂車や二等車場面を始め 志賀家内で 着物姿のシーンが多い 月丘夢路は 気持ち良く 演じられた様です。


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コメント


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はと号

「つばめ」では無く特急「はと」とは珍しいですね。

N.Nlc33100 | URL | 2023-05-13(Sat)11:58 [編集]


客車

並ロはオロ40(窓幅が1200mm程度に見える)
食堂車はマシ35(車内灯の位置・形状、ギャレーやスピーカーの位置)
特二はスロ54(スピーカー位置、天井灯・座席灯の形状、あと網棚が確認できれば完全)と見ましたが諸賢のお考えはいかがでしょうか?

米手作市 | URL | 2023-05-13(Sat)13:38 [編集]


Re: はと号

N.Nlc33100 様  コメントありがとうございます。

そうなんです 映画に登場するのは、殆ど つばめ号の方ですよね。
それでも東京の人間が帰る場合、昼に発車する はと号を使う人の方が多かったので「はと」を登場させたのでしょう。

本文でも書いた2レ対4レの乗車率も、一等席50対62・二等席69対82・三等席81対88と東京人が使う率が高かったと思います。

テツエイダ | URL | 2023-05-13(Sat)14:22 [編集]


Re: 客車

米手作市 様  コメントありがとうございます。

日活の撮影所で1953年頃に作った各種車内セットを 数々の映画で使っていますが、本作でもそれを使っている様です。

二等車のスロ54らしきも前作(心と肉体の旅)で映っているセットと同じ物と思われ、それがまた当時の編成と合致していますね。

テツエイダ | URL | 2023-05-13(Sat)15:34 [編集]