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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

387.心と肉体の旅

1958年1月 日活製作公開   監督舛田利雄

女優を目指して 九州から上京した 稲村直美(南田洋子)と 立花ルリ子(中原早苗)の内 落選したルリ子が 転落しながらも、友情から お互いに助け合う メロドラマ調の青春映画です。

冒頭 東京駅7番線ホームで列車を待つ 新井双葉(楠田薫)の耳に
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「あさかぜ号は25分の延着です」との放送が入った時、店の客 五十嵐(二谷英明)に声を掛けられたので 軽くあしらいます。
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双葉が一旦ホーム下の通路へ降りると 慌てる志賀甲太郎(葉山良二)に出くわしたので、「汽車は25分遅れよ」と声を掛けて お茶に誘います。

続いて EF58形電機に牽かれた 上り東京行8レ 特別急行あさかぜ号の 走行シーンが映り、
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二等車内で 直美とルリ子が
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近付く東京での コンテストへの夢を語っています。
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やがて 特別急行あさかぜ号は 東京駅へ到着し、
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直美とルリ子の二人は 出迎えてる筈の 志賀を捜しますが いませんでした。
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直美はルリ子に 動かないで待つように伝え、ホーム下へ 志賀を捜しに行きました。すると 遅れて志賀が現れ ルリ子が直美の状況を話すと、志賀は再びホーム下へ 直美を捜しに行きました。
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そして 東洋映画ニューフェイス審査会の後 ルリ子が銀座にある 双葉の店を尋ねる時、銀座四丁目交差点を行き交う 都電が映り 鳩居堂ビル屋上にある 星形のナショナル広告塔が 目立っています。
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その後 直美の父 稲村雄三(深見泰三)と 母信子(新井麗子)が上京しますが、体調がすぐれず 箱根へ静養に行くことになりました。
ニューフェイスに合格したのは直美だけで 悲しむルリ子を ホテルの部屋に残して、直美は父母を見送る為 小田急電鉄新宿駅へと向かいます。

新宿駅 10番線で発車を待つ 3000形特別急行列車が映り、
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竹内産業の社長である 竹内(安井昌二)が 稲村夫妻を見送っている所へ 駆け付けました。
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信子は離れた席に移動すると直美に、「昨夜竹内が結婚の申し込みに来た」と話して直美を驚かせます。
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その足で向かったらしく 直美と竹内が、古風な常盤橋らしき上で 話す場面があります。二人の背後に走るのは、都電17系統(池袋~数寄屋橋)でしょうか。
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それから 映画界に顔が利くと言う 五十嵐に騙されたルリ子は 転落して行きますが、女癖の悪い竹内の本性を直美に伝え 被害者の島崎マミ子(南寿美子)から話を聞いた直美は 結婚話を解消します。

そして直美も 自分に気の有る志賀から身を引いて、志賀に思いを寄せるルリ子に譲ります。
更に東洋映画の正宗監督が 直美主演で映画製作を望んだので、一度は諦めた映画界に 直美は復帰するのでした。







PS.
  特別急行列車あさかぜ号は 1956年11月に、戦後初の 夜行寝台特別急行列車として(東京~博多)に登場しました。
  2年後 20系ブルートレインに 置き換えられた後の姿が有名ですが、本作では 寄せ集め旧型客車で 僅か二年間編成された姿の 走行シーンが映っています。

  4~6枚目の画像は 日活特有の 特別二等車セットで 撮影されていますが、登場から 1957年9月末まで 二等車はスロ54形が使われていたので 本物に近いと思われます。

  12枚目の画像では 当時の小田急電鉄新宿駅 10番線に停車している デハ3000形SE車が映っています。
  当時の新宿駅は 国鉄の番線から 通し番号だったので、小田急電鉄は 9~12番線・京王帝都電鉄は 13~16番線でした。

  デハ3000形は 小田急電鉄で初めて 一般車への格下げを想定しない 特急専用車で、連接台車方式を採用して 両端車16m弱・中間車12,7mの 8両編成でした。
  また 日本の鉄道車両としては初めて、ディスクブレーキや シールドビーム前照灯を使った 先進的な車両で 1957年7月から運行開始されました。

  作中でルリ子が「10時の新宿発」と言ってますが ホームの時計は 9:12頃なので、9:30発の 4009レ箱根湯本行と 思われます。終点まで運賃が 195円で、特急料金は 130円でした。

  15枚目の画像では 珍しく700角サイズの窓を 開けて話す様子が、アップで映されているので 窓の状況が よく分かります。
  当初は冷房設備が無く 1962年に設置されるまで 暑い時期は、画像の様に 窓を開けて 走行したことでしょう。 







 
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コメント


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心と肉体の旅

「東京駅」のシーンは他の駅などでの代替ロケが多いが、この映画は本当に東京駅で撮っている。

当時の南田洋子、二谷英明、葉山良二といえば、庶民には憧れの大スターであったはず、しかし画像を見ても、駅やホームは(見物客やファンで)それほど混雑せずに整然と撮影が行われたようである(遠くから覗いている乗客も見当たらない)。
どうやって撮ったのでしょう。

昔は列車の窓はすべて開閉可能(窓はとても固く子供や女性の手では簡単に上げ下ろしができなかったのだ)で、固定式になったのは1962年頃からですか( ← 駅弁立ち売り屋さん、大痛手)。

「天国と地獄」(1963年 黒沢明)も「こだま」の窓が自由に開け閉めができたなら、あのように独創的な着想は生まれなかっただろう。

13枚目の画像:電車のドアの上がアーチ状になっているように見える。
こんな形状のドアがあったのだろうか。

この映画には石原裕次郎がカメオ出演しているはずだが。

赤松 幸吉 | URL | 2023-04-29(Sat)16:14 [編集]


Re: 心と肉体の旅

赤松様 コメントありがとうございます。

東京駅に 夜行列車群が到着する前の 6時頃に、短時間で撮影したと 思われます。

固定式の窓は エアコンが完備された 特急こだま号や、20系ブルートレインになった 特急あさかぜ号が登場した 1958年から本格的になったと思います。

それでも夏場に故障すると大変で、途中駅で 氷柱を積み込んで車内に置いとか!

3000形は高速・軽量化の為に小型で 手動内開きドアは 巾800高さ1770と、小生も乗りましたが 現在の感覚では とても小さいドアでした。
乗務員用のドアは更に小さく、巾600高さ1400の 斜め形と 厳しい大きさです。 

カメオ出演していたのは石原裕次郎の他、長門裕之・月丘夢路・浅丘ルリ子等の姿を見ることができます。

テツエイダ | URL | 2023-05-07(Sun)13:02 [編集]