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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

375. 集金旅行

1957年 10月 松竹 製作 公開  カラー作品   監督 中村登

大家が急死し アパートが転売されるのを防ぐ為に 残した借用書と 未納の部屋代を回収する必要があり、借家人を代表して 旗良平(佐田啓二)が向かった 集金旅の道中を描いた コメディ映画です。

冒頭 旗は住んでいる望岳荘の大家 山本仙造(中村是好)と 競輪へ行った帰り、京王帝都電鉄 井の頭線 代田二丁目駅(現:新代田駅)付近らしきを走る 電車の横を通って帰宅します。
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ところが 山本は置手紙で 妻の浜子(小林トシ子)が、三号室の阿万克三(北原隆)と 駆け落ちした事を知り ショックで 急死してしまいました。
その後 借家人一同の会議で 目下失業同然の旗が 債券取り立ての代表となり、東京駅ホームに停車している 急行列車のデッキで 皆の見送りを受けています。
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祝集金旅行 などと書かれたのぼり旗を 持つ者までいて、旗はさつま号らしき 鹿児島行の急行列車のデッキで 五番さん(桂小金治)の音頭による 万歳三唱と共に盛大に送り出されました。
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ところが 客席へ向かうと、山本の遺児 勇太(五月女殊久)を連れた 同じ借家人の 小松千代(岡田茉莉子)も 既に乗っています。
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旗にとって苦手な女ですが、勇太に説得されて渋々同席しました。千代は 昔の男から慰謝料の取り立てと、勇太を母親の元へ連れて行くので 乗ったと言ってます。
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やがて夜が明けると京都駅を通り
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非電化区間の山陽本線を快走して、
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C59形蒸機に牽かれた急行列車は 岩国駅へ到着しました。
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荷物を持って ホームを歩く旗は、後方に 勇太を連れた 千代がいるので驚きます。 何でもこの地に、慰謝料の請求相手がいるそうです。
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旗は幸先よく 松平公夫(大泉滉)から 三万円の取り立てに成功し、千代もこの土地で 教育者として知られる 松尾六造(伊藤雄之助)から 十万円をふんだくって 山口へ向かいます。
強い日差しで暑い車内の 山陽本線を進み、
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小郡手前の 椹野川橋梁でしょうか 大きな川を渡ります。
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そして山口線に乗り換えしたらしく、山口駅へと到着しました。
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しかし旗が訪ねた債務者は、北海道へ転勤していて 取り立て不能でした。千代は 市会議員となっている 藤沢庫吉(市村俊幸)宅で、勇太があの時の子だと迫りますが バレそうになり 慌ててバスで萩へ向かいます。

萩では 旗が取り立てに行った当人の、葬儀が行われていて 又しても失敗です。
千代は 藤沢から見合いの相手だと連絡を受けた 産婦人科医の生田完一(トニー谷)が待ち受け、託された 慰謝料十万円を受け取りますが 見合いの方は乗り気になれません。

翌日千代は 生田に予定を聞かれたので、でまかせに「松江に行く」と言います。千代は萩見物の途中で 生田をまいて 萩駅で旗と合流しますが、生田も現れたので 仕方なく松江へ向かう汽車に乗りました。
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道中で生田は千代に 車窓の景色案内をしますが、千代はさっぱり 聞いてない様子です。
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そして松江の旅館から 再度脱走した三人は、雨が降りだした中 阿万の実家のある 瀬戸田へ渡るべく 尾道へ向かいました。
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C59形らしき蒸機に牽かれた列車が 雨の尾道水道をバックに走る中 尾道に到着しますが、
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荒天の為 船は欠航で 旅館で二晩足止めされます。
その後 生口島への連絡線で 瀬戸田へ着いて 阿万の実家へ行き、旗は借用書を渡して 兄の阿万築水(西村晃)から 二万円を受け取り 回収の仕事を終わらせました。

そして説得の末に 勇太を浜子の元に引き取らせ、別れ際に 二人は有り金の大部分を 餞別に渡したのでした。
千代は昔の男 津村順十郎(アチャコ)の居る 徳島へ旗を誘い、C58形蒸機らしきに牽かれて 大河を渡り徳島へと向かい 一騒動が起こります。
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PS.
  1枚目の画像は京王帝都電鉄 井の頭線を走る、1400形か1700形でしょうか。

  本作のロケは 公開1ヵ月半前の 9月11日夜 22:15東京発 25レ急行出雲に ロケ隊50人が乗り込み 松江へ向かいスタートします。
  2枚目画像からの見送り場面は その時30分早い 21:45発43レ急行さつま号出発時に撮影し、佐田は次の品川で降りて 後続の出雲号に 合流したのでは?と思われます。

  ところが米子で 先乗り人から「松江駅に黒山の様に 見物人が待ち構えているので、一つ手前の 安来から車で」と 連絡があったので 佐田と岡田は 17:08着の安来から 松江の皆美旅館へ 直行したそうです。

8枚目の画像は京都駅へ到着する手前の様子らしいのですが、急行さつま号は7:36着で12分間も停車します。

  作中での旅程を妄想すると ① 東京 22:15 ―(43レ急行さつま)― ② 16:32 岩国  ③ 岩国9:30 ―(405レ準急長崎行)― 11:40 小郡 11:53 ―(608レ)― 12:17 山口 14:30 ―(防長バス)― 16:40 萩
  ④ 萩12:14 ―(818レ京都行)― 18:44 松江  ⑤ 松江 9:15 ―(716レ大阪行)― 9:53 米子 10:11 ―(916レ岡山行)― 14:16 倉敷 15:29 ―(235レ小郡行)― 17:00 尾道 
  ⑦ 尾道港 7:30 ―(生口汽船)― 10:30 瀬戸田 15:25 ―(瀬戸内海汽船)― 17:00 今治港  今治 17:21 ―(30レ高松桟橋行)― 21:17 高松  ⑧ 高松 9:22 ―(215レ牟岐行)― 11:21 徳島

ロケは作中と違って、松江 → 萩 → 山口 → 岩国 → 尾道 → 瀬戸田 → 徳島 と逆順で行われた様です。 また山口では原作と同名の医師 箕屋完次氏が実在したので、急きょ生田完次と変更したそうです。

   参照:月刊明星1957年12月号
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コメント


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オハ61系

冒頭の井の頭線は前面窓天地寸法が大きく屋根が深いのでデハ1400形
のようですね、急行列車に後進車体ピカピカのオハ61系が使われているのは
貴重なカラー映像です。山陰方面向き列車の為、内装が貧弱な61系でも
良かったのでしょうか?

N.N.LC33100 | URL | 2022-11-11(Fri)16:39 [編集]


集金旅行

旅行シリーズの先駆的な作品でないだろうか。

当時の庶民が簡単に旅行できなかった、西日本の観光地を佐田と岡田にぐるりとまわらせ、観光スポットをカメラに収めている。

(多分)周遊券などまだなかった時代に、これだけの駅々で途中下車していくとなるとかなりの運賃になったと思うのだが。

当時の国鉄の駅や列車の構造や「ありさま」がよくわかる一遍です。

例えば、現在では禁止されている幟(のぼり)や旗をホームに持ち込んでいる
また、車内でプカプカとタバコを吸っている
12枚目の画像では窓のブラインドは木製、これではまるで護送列車か牢獄に閉じ込められたような気がする。

赤松 幸吉 | URL | 2022-11-12(Sat)16:42 [編集]


Re: オハ61系

N.N.LC33100様 コメントありがとうございます

デハ1400形で正解でしたか 了解しました。

岩国駅でのロケは唯一の実車・ホームでのロケなので、国鉄当局も気合が入っていたのでしょうね。
本物の急行さつま号で、ロケが行われたかは不明です。

車内シーンは全てセット撮影ですが、12枚目の画像での日よけは木造客車を意識した様に見えますね。

テツエイダ | URL | 2022-11-15(Tue)09:04 [編集]


Re: 集金旅行

赤松様 コメントありがとうございます。

撮影が始まる前からロケ隊来るの噂が広まり 松江駅での出迎え騒動が起こった程ですから、各地での撮影はさぞかし大変だったでしょう。

集金旅行の旗は二か所で計5万円しか取り立て出来なかったのですが、東京~山口の運賃1220円+急行券500円(共に3等)で1720円の他に萩~尾道・尾道~瀬戸田100円~今治150円~徳島410円 徳島近くの小松島~大阪380円~東京3等運賃870円+急行券300円+3等寝台上段720円  等々交通費5500円+宿代7泊7000円として合計12500円を集金額5万円から引くと3万7500円の持ち帰り額で黒字です。

しかし瀬戸田で勇太に3万円は渡したので、アパートは香蘭堂の手に渡ったことでしょう。

テツエイダ | URL | 2022-11-15(Tue)09:59 [編集]


Re: オハ61系

N.N.LC33100 様  追加の返信コメントを送ります。

鋼体化改造した 60系客車は 急行列車には殆ど使われず、戦後新製された 43系や1957年当時は最新の10系客車が 急行用に使われていた模様です。(2晩夜行の九州直通急行さつま号の3等車は 当時勿論最新の10系でした)

考えてみれば 騒動になる恐れのあるホームでのロケを、岩国駅で 本物の急行さつま号到着時に行ったとは思えません。
ピカピカのオハ61系普通列車に サボを架けて、映る車輛は エキストラを乗せてのロケか 撮影用の列車を置いて撮ったのでしょう。

テツエイダ | URL | 2022-11-15(Tue)22:26 [編集]


やはりローカル列車のようです

テツエイダ様

「さつま」の降車シーンは客車に「東チサ」の標記が確認できます。チサとは茅ヶ崎客貨車区なので、相模線の列車のようです。1958年の配置表で探すとオハ61111は水戸の所属になっており、茅ヶ崎に営業用の客車はいません。本作の撮影(1957年)直後の改正で相模線の気動車化が完了したとすれば辻褄が合います。いずれにせよ、このころのオハ61形はまだピカピカですから、サボを入れれば一般の観客には急行として十分通用したと思います。

73おやぢ | URL | 2022-11-17(Thu)19:31 [編集]


Re: やはりローカル列車のようです

73おやぢ 様  コメントありがとうございます。

なるほど 「東チサ」の標記から、この車輛は当時茅ヶ崎客貨車区に所属していたのですか!

相模線の蒸機牽引列車の末期では、オハ61が使われていたのですね。
どこの駅でのロケかは分かりませんが、ホームに客車を3輌程度停めて撮影したのでしょう。

60系客車からの想像でしたが、手近な相模線だったとは予想外でした。
アフレコの「当駅は岩国であります」と言う内容が、おかしな表現だなと感じた通りでしたね。

テツエイダ | URL | 2022-11-18(Fri)22:54 [編集]


酷い勘違い

73おやぢ様、テツエイダ 様
オハ61の所属は東チサでしたか!!
流石に出来立て更新車体とはいえオハ61を急行列車には使えませんね。
最も「遜色急行」などと言われた国鉄末期には本当に61系を連結した
ローカル急行もあったようですが…
しかしそれほど贅沢なロケを出来た当時を羨む気持ちで一杯です。
世知辛い現代とは別次元なんだなと痛感しております。

N.N.LC33100 | URL | 2022-11-20(Sun)23:30 [編集]


Re: 酷い勘違い

N.N.LC33100 様  コメントありがとうございます。

73おやぢ様への返信でも書きましたが、アフレコにしても「当駅は岩国であります」などと言う放送は 聞いたことが無いので、小生もこの点から 疑って考えるべきでした。  それにしても 相模線とは、意外過ぎます。

押し掛ける野次馬に、岩国駅構内でのロケを諦めたのでしょうか。
実写は山口と萩で駅舎を、バックにしての ロケだけでした。

テツエイダ | URL | 2022-11-26(Sat)22:04 [編集]