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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

370. あらくれ

1969年 6月  日活 製作 公開  カラー作品   監督 長谷部安春

羽振り良い 弟分の噂を聞いて 小松へやって来た鬼頭善吉(小林旭)が、新興ヤクザと地元組織の 争いに分け入って暴れ回る アクション系 任侠映画です。

冒頭 海沿いの北陸本線らしきを、機関車牽引の客車列車が走っています。
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グリーン車席で居眠りしている鬼頭に、車掌(平塚仁郎)が検札に来ました。
(東京→横浜)の切符を見た車掌は、
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「この切符で、米原行に乗ったんですか」と呆れ顔です。
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車掌が「東京から直江津経由、小松まで」と発券しようとするのを遮り、着駅払いだと言い張って 小松で降車します。

北陸本線 小松駅3番ホームへ、赤いEF70形電機 81号機に牽かれた列車が到着します。
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事務室で駅長(鴨田善由)から 無賃乗車の疑いの眼で聞かれているところへ
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刑事が到着すると、鬼頭は1番ホームへ飛び出し 無謀にも線路へ飛び降ります。
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そして線路を横断し 隣のホームも飛び越して 駅員や刑事に追われながら、隣接する小松製作所内へ 万年塀を乗り越えて逃走しますが
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社員が操縦するブルドーザーに囲まれて降参です。

小松警察署の留置所で 弟分の結城太郎(藤竜也)と再会しますが、結城もストリップ小屋の支配人ながら 特出し興行で捕まっていたのでした。
結城の妹 美樹(和泉雅子)のお陰で 釈放された鬼頭は、関西から進出した すみれ会の先兵として 地元庄田組が取り付く 日華石の石切り場を 手中にする仕事に向かいます。

林の中を走行する 小型蒸機が牽引する 軽便鉄道の列車が映り、
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尾小屋鉄道の 観音下【かながそ】駅に到着した 3輌編成の
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列車最後部から 鬼頭が降車して来ました。
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数人の乗降客がある中 ホハフ7客車を最後部とする列車は、観音下から尾小屋へ向かって発車して行きます。
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静かになった観音下駅横の踏切を 鬼頭の後を追う様に、すみれ会の監視役が乗った車も石切り場へ向かいます。
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その後 幾多のアクドイ すみれ会のやり口に 怒った鬼頭は、庄田組の貝塚鉄五郎(葉山良二)と組んで 尾小屋鉱山跡で すみれ会との壮絶な戦いに挑むのでした。







PS.
  車掌は米原行と 言ってますが、当時の時刻表を読むと 北陸本線上り列車で 米原行は普通列車ばかりです。車内セットの様な 優等列車用のグリーン車はおろか、並グリーン車連結の普通列車は もはや存在していません。

  想定されるのは 上野20:40発 信越本線経由 福井行の603レ急行越前号です。指定・自由席両方ある グリーン車(スロ62)が有り、6:41頃小松に到着します。

  なお グリーン車は本作公開の前月より、従来の1等車から制度が変わってグリーン車となりました。
  したがってグリーン車に乗るには普通乗車券とグリーン券が必要ですが、暫くは古い2等乗車券等が使われていました。

  尾小屋鉄道の蒸機は当時 日本最後の軽便蒸機と呼ばれた、1947年立山重工製の 5号機関車です。当時は除雪用に残され 大雪の時だけ動かされた蒸機で、映画ロケ用に依頼されて 1969年5月18日限定で火が入りました。

  前日 新小松から無火回送され 当日朝早くから火を入れて 尾小屋10:32発新小松行 定期列車が出た後 10:40頃に、バック運転で ホハフ7・8・5を牽いて 観音下へ向けて山を下りたそうです。

  観音下の交換設備を使って ホハフ5の前に 5号を前向きに連結し、先に鬼頭が観音下で下車したシーンを 現地の方の協力で撮影したそうです。ホハフ7・8・5は全て、三重交通から 移籍してきた客車です。

  その後 波佐羅~観音下を 二・三回往復して、軽便蒸機牽引列車の走行シーンを撮影し 13:30頃終了。定期列車が 観音下を出発した後を 追う様に14:25頃出発し、尾小屋到着後に 火を落としたそうです。
しかし これだけの撮影をしたのに 本作を観ると、5号機関車の走行シーンは 真横からの僅か2秒程で とても残念です。機関車正面が映る カットが無いのも・・・

  その2年後 当ブログでも取り上げた『150.キーハンター161・162話』では、橋を渡ったり・正面が映る 力行シーンが存分に映っています。
  それにしても 観音下【かながそ】駅とは、日本有数の難読駅名でしたね。


参考: (季刊 蒸気機関車 1970年秋号) (鉄道ピクトリアル№212) (鉄道ファン№99)

  
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コメント


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ごぶさたでした。尾小屋鉄道5号機、映画撮影で火が入ったというのは雑誌などで知ってましたが、どんな作品かまでは知りませんでした。小林旭のアクション物だったのは意外です。小松駅と周辺の変貌、驚くばかりです。しかし「すみれ会」って・・宝塚歌劇の後援会みたいですね(笑)1枚目の写真の列車の機関車、DF50型に見えますね。

つだ・なおき | URL | 2022-09-04(Sun)07:51 [編集]


Re: タイトルなし

つだ・なおき様 コメントありがとうございます。

尾小屋鉄道5号機が 本作内で映っているのは、2枚の画像が全てと言える程僅かです。

長時間ロケに参加した関係者・エキストラの方にしても、招待券で本作を鑑賞したら ガッカリだったのでは?
なかには もんぺに 蓑笠姿で参加した方も(大部屋女優の方?)

確かに強面の集団が「すみれ会」とは、脚本家の遊びこころでしょうか

当時の富山区にDF50形がいましたから、そうかもしれないので機関車と書きました。(拡大しても不鮮明なので)


テツエイダ | URL | 2022-09-04(Sun)12:59 [編集]


モノクラス制

 今晩は。ご無沙汰しています。

 少々疑問に感じる点があり、切符の写真資料集を3冊ほど確認しました。中でごく初期のグリーン券を最も多く集載しているのは『国鉄乗車券類歴史辞典』で、さすがにこれは編者の辻阪氏が主要な切符収集者の元を訪ねて撮影を続けた結果と感じられます。
 これには5月10日初日の東京、渋谷、大阪、坂出を始めとして、11日または12日の神戸、松山駅発行の券が載せられています。
 一方乗車券も準備が相当早くから行われていたようです。制度変更後に旧様式の等級表示があるものが発行された例はほとんど見ることがありません。オークションで長距離用のA型券を1回か2回見たことがある程度です。
 ただし私鉄からの連絡乗車券においては国鉄側も即時の切り替えを厳格に求めなかったのか、時々見つかります。社線内乗車券も同様です。
 ですのでモノクラス(無等級)制実施後に実際に発行使用された等級制時代の国鉄乗車券があるなら、それは珍品に属すると私は思います。ただしそのようなこともあったという参考品程度の扱いになると考えるため、価値はそれほどではないでしょう。

 さて、肝腎の映画の中で使われた切符ですが、検札鋏の痕が2カ所もあります。路線の乗り換えのない区間でこの距離ですから、1個ならともかく、2個目は普通では無いでしょう。
 とすると、
1.2回目の時点で車掌によって乗り越し乗車券を切られていた。
2.あるいは小道具係が適当に有り合わせのものを準備した。どちらかと言えばミス。
のいずれかでしょう。
 実際の映画では検札鋏痕が2個あるというところまでは見取れないでしょうから、こんな細かいことを言っても仕方がありません。しかし普通車とは言えこの切符でどうやって東京から信越線回りで小松まで行けたものか。ましてグリーン席に悠然と座っていると来ては、当時の国鉄職員がこれを見ていたら「国鉄をなめるなよ」と怒り出していたかもしれません。
 

大森山谷 | URL | 2022-10-02(Sun)18:35 [編集]


Re: モノクラス制

大森山谷 様  コメントありがとうございます。

なるほど検札鋏の痕が2カ所もあるのは不思議ですね 指に隠れて分かりませんでした。

作中で小林旭が「着駅払い」と車掌に伝えているので、2のケースと思われます。

直前まで国会審議が遅れて、いつから運賃改訂となるか分からなかったそうなので、小道具さんも従来のまま作るしかなかったのでしょう。

まあ あの切符で優等席に悠然と座っているのが、そのまま通るとは思えませんね。 
あくまで奔放な主人公を誇張した、演出でしょうか?(その後いきなりホームから、線路へ飛び降りていますから)

テツエイダ | URL | 2022-10-04(Tue)22:40 [編集]