
夫から妻への言葉が「めしは?」ばかりの 倦怠期夫婦所帯に 家出して来た奔放な姪が住み付き、心を乱された妻が 離縁も視野に実家へ戻りますが 冷却期間の末に 互いの大切さに気付く迄を描いた ホームドラマです。
冒頭 岡本三千代(原節子)のナレーションによる 岡本夫妻の住む 大阪市南部の説明場面で、「まるで郊外の様な 寂しい小さな停留所」として 南海電鉄阪堺線 天神ノ森停留所が映ります。

中盤 三千代の姪 里子(島崎雪子)が 東京から家出して来て住み付き、近所の谷口芳太郎(大泉滉)に誘われて 歓楽街のある難波へ 出掛ける場面があります。
天神ノ森停留所で 二人が電車を待っていると、

阪堺線の モ205形 モ231が到着しました。

終点 恵美須町で下車した様で、二人で歩く横を 大阪市電の電車らしきが走っています。

その後 夫 岡本初之輔(上原謙)の言動や 奔放な里子に 心を乱された三千代は、前夜に「私ね 疲れちゃったのよ」と呟くや 帰京する里子の付き添いを口実に 川崎の実家へ帰ることにします。
先ず 三代目の大阪駅舎が映り

上りホームの出発を待つ列車に、

三千代と里子が乗り込み 里子は岡本が見送りに来る筈と 窓からホームを見渡していますが現れません。

発車して暫くすると 上京する親戚の 竹中一夫(二本柳寛)が現れ「座れたのですか」と声を掛けますが、

三千代が迷惑そうな返事をしたので 前方の車輛へ行ってしまいました。
通路側に座っていた里子は 竹中に興味をもったのか、追い駆ける様に席を離れ

竹中と三千代の関係を聞き出してきて 三千代を冷やかすのでした。
やがて列車は 関東エリアに入ったのか、10輌の車輛は 重連の EF53形電機に牽かれて 終着駅へと急いでいます。

続いて 里子を実家へ送り届けた後か 横浜で別れて乗り換え 川崎から南武線に乗ったのか、夕刻の南武線 矢向駅頭へ 三千代は久しぶりに帰って来ました。

その後 三千代はもう大阪へは帰らない決意で 就職を考え職安へ行きますが、大勢の行列に圧倒されているところで 子連れの山北けい子(中北千枝子)に再会します。
二人の背後には 櫓の様に角木材を組み上げた、川崎市営トロリーバスの 架線点検車らしきの姿が映っています。

それから嵐の晩遅く、遊び歩いた里子が 三千代を頼って 泊めて欲しいと現れました。村田信三(小林桂樹)にイヤミを言われますが、三千代が執り成し 翌日付き添い 家へ送ります。
2連の小田急電鉄 1800形らしきが頭上を通る道を、三千代と里子は 世田谷の岡本家へ向かいます。

三千代は 里子の母親から諭され 大阪へ帰るべきか思案しながら、南武線へ乗り換えるべく 小田急電鉄稲田多摩川駅から 多摩川方向へ歩いて行きます。
多摩川橋梁の端で 小田急線電車に会い、

土手下の通路から 南部線登戸駅へ向かうと 小田急電鉄1200形らしき2連が 三千代の背後を通ります。

すると駅前で 生活が苦しいと聞いていた 山北けい子が、新聞売りをしている姿に気付いて 立ち尽くす三千代です。
傍らの柵上には 幼い息子が座らされ 入れ替え作業の2120形蒸機を 見詰めている様子を見るや、

己の境遇を考え 気まずくなったのか 後戻りする三千代でした。
この2120形蒸機は 73おやぢ様によると 砂箱が増設されていないことと、ランボード下に 配管がある特徴から 新鶴見機関区矢向支区所属の 2341号機と特定されるそうです。 また所有されている 貴重な画像も、提供して頂きました。

実家へ戻ると、大阪から岡本が迎えに来ていました。翌日 二人で帰る汽車の車中で 三千代は吹っ切れた様な微笑みを浮かべ、夫に書いたまま出さなかった 手紙を破り窓から飛ばします。

そして 傍らで眠っている夫の顔を見ながら「毎日懸命に生きる夫に、寄り添い暮らす。 女の幸福とは、そんなものではないだろうか」と呟く三千代でした。

PS.
1・3枚目の画像に映る 英語表記の踏切標識は、戦後占領下時代では お馴染みでしたね。天神ノ森停留所は 現在でもあまり変わらず、単式ホームが踏切を挟んで 千鳥式に配置されています。
7~9枚目と最後の車内シーン画像は セット撮影で、17枚目の画像は 上着だけ着たスタッフの女性が 窓から破いた紙を飛ばしていると思われます。
10枚目の画像は 73おやぢ様・N.N.LC33100様のコメントにより、EF53形重連と判明いたしましたので修正させて頂きました。
12枚目の画像は 架線下にレールが無いことから、トロリーバス路線と思われます。ロケ当時は 近くの横浜市営・東京都営共に 未だトロリーバスは 開業していないことから 川崎市営トロリーバスと思われます。
三千代と里子が東京へ向かう時 昼行の急行列車を使った様ですが、当時 大阪~東京に 始発の特別急行列車2本はありましたが 何故か急行列車はありませんでした。(北陸本線・上越線経由の上野行を除く)
大阪始発の 夜行急行列車は 5本あったのですが、昼行は 午前中に大阪に停車する 九州~東京への直通急行列車3本を 利用するしかなかったのです。
それで大阪発車後に 竹中一夫(二本柳寛)が三千代達の席に現れ、「よく座れましたね」という感じで話したのでしょう。(長時間並んでも 下り列車と違い、座席確保は 至難の業だった?!)
想定される列車は 熊本18:00 ―(32レ)―9:57 大阪 10:05 ― 19:34 横浜 19:36 ― 19:56 品川
岡本が勤務中で 見送りに来られないとすると、この列車しか ありえないのですが 夕刻に矢向駅着は不可能です。 長崎始発の36レなら 大阪6:10発で、品川16:11着なので 里子を送っても 夕刻に矢向へ着きます。(夏祭り時期なので)
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