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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

364.美徳のよろめき

1957年10月 日活 製作 公開   監督 中平康

裕福な生活を送っている人妻が 偶然再会した昔の男と恋仲となり、逢瀬を重ね 泥沼にハマってゆく様を描いた よろめき映画です。

倉越節子(月丘夢路)は名家に生まれ 裕福な倉越一郎(三國連太郎)と結婚して息子もいたが、東京で偶然にも 昔恋した土屋(葉山良二)に会い 誘われ 密会の沼にハマってゆくのでした。

序盤 都電が行き交う銀座四丁目交差点で
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節子は信号も警官の警告も無視して、和服姿で銀座通りを 強引に渡った後
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偶然土屋と一瞬 目が合っただけの再会でした。

翌年には東京駅構内で夫と歩いている時
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スキー旅行へ行く土屋と偶然再会しましたが、一瞬立ち止まり黙礼しただけでした。

夫の倉越一郎は 自宅のある鎌倉から横須賀線で 東京まで通勤している様で、今朝も鎌倉駅2番線で 東京行の上り列車を待っています。
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その後 喫茶店で偶然会った二人は 送って行くからと 新橋駅から
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横須賀線に乗ると、
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車内で土屋は 長く付き合っている間柄の様に振舞い 節子を驚かせます。
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それからも度々二人は会い 女学校以来の親友 牧田与志子(宮城千賀子)にそそのかされ、遂に夫に嘘をついて 泊まり掛けで伊豆へ行くことに同意した節子は 東京駅の待合室で土屋を待ちました。
続いて 東海道本線根府川駅先にある 白糸川橋梁を渡る 80系電車らしきが映ります。
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しかし翌日 節子が関係を拒絶して 気まずい雰囲気となった二人が乗る 上り列車が大船駅に着くと、
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乗換える節子だけが 二等車からホームへ降ります。
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やがて電車が動き出し 窓の外に節子の姿が見えても、土屋は顔を背けて 外の節子の方を見ようとしません。
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去り行く 土屋の乗った上り列車を、節子は寂しそうに 見送るのでした。
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次に 銀座のバーで土屋といる所に 偶然倉越が現れ、節子は咄嗟に「こちら御存知の 土屋さんの弟さん 銀座でお食事を御馳走になったの」と言い訳して 一緒に帰り 鎌倉駅の降車口から 出て来たシーンがあります。
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その後 夫の子を身籠った節子は 土屋への想いもあって 堕胎しますが、入院した病室に 与志子から聞いた土屋が駆け付け 散々な節子です。 
更に与志子が 只のボーイフレンドだと言って 弄んだ飯田(安部徹)に 刺されたとの知らせに二人で行くと、包帯だらけの哀れな姿で 絶命してしまいます。

そして 横須賀線で土屋と帰る車内で 節子が「このままどこかに連れ去ってくれたら」などと妄想していると、
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土屋が「今度大阪へ行って 仕事をしようかと思っている」などと話します。
しかし 鎌倉の浜辺を歩いている時、遂に節子は 別れ話を切り出したのでした。

翌朝 何事もなかったかのように 出掛けた倉越ですが、鎌倉駅のホームで 知り合い二人に挨拶されたのに 節子のことを考えているのか無言のままです。
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PS.
  小生は未読ですが 三島由紀夫の原作を かなりソフト化した脚本を 新藤兼人が書き、中平康が監督して 節子の心情を 高橋昌也がナレーションする形で進行しています。

  序盤の銀座四丁目場面は 特撮か不明ですが、交通整理の警官の動きが リアルで実写としたら 撮影許可は大変でしたでしょうね。
監督はこの場面で節子が想定外の奔放な行動をする女だと、表現したかったのでしょうか?

  車内シーンは 全てセット撮影ですが、7枚目の横須賀線70系二等車と 12枚目の東海道本線80系二等車場面で セットを使い分けているのは流石ですね。

  駅でのロケは 東京・鎌倉・新橋で 短く行われましたが、大船駅では 到着した電車から 月丘夢路が降りて、去り行く電車を見送るシーンのロケは 深夜帯で行ったことでしょう。



  図らずも硬派・軟派の作品を 交互に取り上げましたが、当ブログの趣旨は 一貫して鉄道シーンの紹介にあります。次回はあくまで、その趣旨に沿った 作品を取り上げます。


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美徳のよろめき

「よろめき(く)」が本来のstagger以外の「(奥様方などが)浮気をする」の意味では、三島由紀夫の新造語で、その後「よろめきドラマ」「よろめき夫人」などと広く使用されている。

「紀元節」から3人娘の名前を「紀子」「元子」「節子」と名付けたのには思わずほくそ笑んだ。

5枚目の画像の「新橋驛」だけ「駅」が「驛」となっている。
由緒ある「新橋えき」ゆえに昭和30年代に入ってもまだこの旧字を使用していたのだろうか。
それとも、昔の表示版をそのまま残していたのだろうか。

11枚目の画像をよく見ると車両の床からホームへの高低差がかなりある。
月丘夢路の足のサイズから判断すると30センチ以上の段差があるのではないか。

確かに、昔は乗ったり降りたりするのに高齢者にはきつかっただろう記憶があるが、これほどの段差だったのだろうか。
それともこの車両だけの特徴だろうか。

赤松幸吉 | URL | 2022-06-13(Mon)06:27 [編集]


Re: 美徳のよろめき

赤松様 コメントありがとうございます。

5枚目の画像の「新橋驛」は、昔の表示版を そのまま残していたのでしょう。
由緒ある古い東側の駅舎は 東海道新幹線工事に伴い 解体されましたが、それまで残っていた 可能性が高そうですね。

大船駅のホームは当時 旧型客車時代の低いホームのままで、電車の床との段差が大きく11枚目の画像の様になったのです。
旧型客車が無くなるにつれて、ホームの嵩上げ工事が行われ、向かい側から 現在でもその痕跡が 見える駅があります。

驚くのは6枚目の画像で 事前に連絡がしてあるでしょうが、運転席側ではないにしても 斜め前方から 撮影用のライトを 強烈に当てています。
通常運行中の列車に対し、現在では有りえないでしょう。

テツエイダ | URL | 2022-06-13(Mon)12:37 [編集]