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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

353.黒帯三国志

1956年1月  東宝 製作 公開   監督 谷口千吉

九州 正風館道場の柔道家 小関昌彦(三船敏郎)は 留学生試験を目指して上京し 苦難の末に合格した報告に帰り、恩師の道場を 卑劣な手段で乗っ取った 空手・拳法と対決する アクション映画です。

冒頭 小型蒸機が3輌の小さな客車を牽いて
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走り抜けて行きます。
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続く車内シーンでは 加茂紀久子(岡田茉莉子)が 拳闘クラブの小鉄(藤木悠)に絡まれたのを小関が助けます。
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同乗していた 拳闘クラブの伊庭八郎(佐伯秀男)に騙され 禁止されている私闘をする羽目になったので、小関は破門され公費留学生試験の為上京します。
その道中の 夜汽車の中で知り合った 人買いの譲次(田中春男)に騙され、北海道のタコ部屋で働かされますが 親分の情婦 お葉(久慈あさみ)のアシストで東京へ戻れます。

そして二度目の受験で 合格した小関は、報告の為 恩師 天路正純(佐分利信)の元を訪ねます。しかし道場は卑劣な方法で、空手拳法道場に乗っ取られ 天路は失明させられていました。
小関が戻ったことを聞いた伊庭は、弟の空手家 伊庭俊介(平田昭彦)と共に 小関を潰そうと呼び出します。

その頃 手配されている譲次を追う 形原四郎刑事(小堀明男)が、南屋敷駅へ到着した 混合列車から降りてきました。
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形原は 天路から経緯を聞くと 小関が向かった五所神社へ向かい、小関に助太刀して 譲次を逮捕します。雨の中 小関は伊庭俊介と 空手拳法道場生を倒して、双方の争いに 決着を付けたのでした。

翌日 南屋敷駅には 天路の娘で小関を慕う 静江(香川京子)や 紀久子を始め、かつての 正風館道場生達が大勢で 小関の見送りに駆け付けています。
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汽笛が鳴り
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1号機関車に牽かれた 混合列車が動き出すと、
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二人で並んで見送りしていた紀久子は 静江の背中を押して小関の元へ行かせます。

静江は走って小関に近付き「外国へ行ったら手紙を・・・手紙なんてどうでもいいわ!」と告げると、
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デッキから身を乗り出して手を振っていた小関は
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ホームの終端が近付いたので「危ない」と静江を制します。
ホーム端で立ち止まった静江は、去り行く小関に 精一杯手を振るのでした。
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小関を乗せた混合列車が、段々と小さくなってゆき エンドマークとなります。
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この見送りシーンは、倉敷市駅で行われた模様です。







PS.
  雑誌(東宝 1956年2月号)でロケ地は倉敷と分かりましたが、冒頭の軽便らしき小型蒸機列車の雰囲気から鉄道シーンは近くの井笠鉄道で行われたのでは?と最初は思いました。
 
  しかし6枚目の画像の様に描かれている社紋から、意外にも標準軌である当時の倉敷市交通局(現 水島臨海鉄道)でした。66年前とは言え現在の状況からは、全く想像だに出来ない様子です。

  1~3枚目の画像は N.N.LC33100 様 ・ 73おやぢ様 のコメントにより、軽便の井笠鉄道で撮影された様で、5枚目以後の画像では倉敷市交通局で撮影されて 明治期の雰囲気を出そうと東宝のスタッフがダイヤモンドスタックを煙突に取り付け 更にベルまで加えています。

  でもこの装飾は本作公開の前年 1955年5月公開の同じ東宝の(麦笛:監督 豊田四郎)撮影時に行ったのが先でした。その時の反響が良かったので、翌年の本作でも再使用した?
  しかし前作ではスタッフが取付けた後 ハンダ付けしたら熱で溶けてしまったそうで、窮余の策で 7枚目の画像の様に針金で補強したのでしょうか。

  この1号機関車は 1908年汽車会社製で 高野登山鉄道7号機となり、1916年東上鉄道へ譲渡され5号機 1920年に東武鉄道と合併され 同社の19号機となります。
  更に 1939年翌年開業する 胆振縦貫鉄道へ4号機として移り、1944年2月に当時の 三菱重工業水島航空機製作所専用線へと譲渡され 戦後は ⇒ 1947年水島工業都市開発 ⇒ 1952年倉敷市交通局と 所属名が変わりました。
  
  その後 1953年川崎車輛製 DC501内燃機導入から 仲間の蒸機が次々と廃車され、最後の1号機関車も DL予備機として残るも 1958年3月廃車となります。
  (最終的には 1961年12月に55万円で鉄くず業者に売却され、解体された結末ニュースが 鉄道ファン№15に載っています。)

  6枚目の画像で 4輪単車の古典的二重屋根の フハ92客車が映っていますが、1925年日本車輛東京で製作され 五日市鉄道へ納入されます。
  同期の5輌と共に 1940年南武鉄道との合併で 所属が変わり、更に1943年8月に揃って 職員輸送用に 三菱重工業 水島航空機製作所専用線へと 譲渡されました。
  五日市鉄道以来の 同期6輌の客車は 内燃機化後も使われましたが、1966年3月迄に 予備車のフハ92以外が廃車されました。

 
  1970年に現在の水島臨海鉄道となりましたが、軽便鉄道ではなく・廃止されそうでもなく・他社より早く無煙化・市営鉄道 等々のイメージからか昔の写真が非常に少ない鉄道です。



参考:(鉄道ピクトリアル№199)  (水島臨海鉄道設立50周年記念誌 その生い立ちとあゆみ)

  




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コメント


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軽便鉄道?

1〜3の画像はどう見てもナローゲージで機関車も軽便鉄道クラスの5〜8t位に見えます。
このサイズの車両を3フィート6インチに拡軌すれば足廻りが凄いガニ股になりますがそう見えません
客車もシングルルーフ切妻でボギー台車を履いていますし、倉敷市交通局とは別、
では一体何処の軽便鉄道?

機関車もコッペル社製に見えますがキャブ背面にコールバンカー?があるのが悩ましい
ドイツ形としか形容できないのが残念です。クラウス他でも似たような機関車は製造されていますし国内でも模倣機は各社で製造されていますのでコッペルと断定出来ない

倉敷市交通局の汽車会社製A8系機関車1号機のベルハンダ付けエピソードは笑ってしまいました
銀蝋付けなら溶けなかったでしょうに、北海道では英国機もカウキャッチャー、
ダイヤモンドスタック、ベルを装備していましたからおかしくは無いのですが
英国形には似合いませんね

N.N.LC33100 | URL | 2022-01-10(Mon)16:53 [編集]


Re: 軽便鉄道?

N.N.LC33100 様  コメントありがとうございます。

鋭いご指摘ありがとうございます。 客車の姿から倉敷市交通局ではなく、井笠鉄道の様ですね。

73おやぢ様からも同様のコメントがありましたが、確かにボギー台車はおかしく4輪単車の筈ですね。
客車のナンバーがフィルムの裏焼きの様に54が逆ですが、倉敷に実在したフハ154が不鮮明で54だけ見えたと思いました。

井笠鉄道だとすると、ご指摘の様にコッペル製ですね。
煙突の火の粉止めも 倉敷の蒸機全てに無かったとは思ったのですが、まさか冒頭の走行シーンだけ井笠まで行って撮るとは・・・

テツエイダ | URL | 2022-01-10(Mon)18:37 [編集]


走行シーンは井笠ではないでしょうか

テツエイダ様

今年もよろしくお願いします。
走行シーンの機関車は後半に登場するものより(軌間も含めて)小型のようで、こちらはやはり井笠鉄道のような気がします。機関車はともかく、客車がボギー台車である点に注目しました。井笠鉄道の客車は脆弱な軌道状態に対応するためか、ボギー式だからです。一方、倉敷市の客車は二軸単車のはずです。

「流転の王妃」を確認したところ、ソ連軍の侵攻から逃れるため満州国関係者が新京駅から列車で出発するシーンがありましたが、ホームと客車はセットらしく、機関車は映りませんでした。撮影はしたものの陽の目を見なかったのでしょうか。カラー作品なので、倉敷市の派手な塗分け客車は敗戦間際の列車には不似合いとされたのかもしれません。

73おやぢ | URL | 2022-01-10(Mon)18:47 [編集]


Re: 走行シーンは井笠ではないでしょうか

73おやぢ様 コメントありがとうございます。 本年も宜しくお願い致します。

なるほど御指摘の通り、井笠鉄道の様ですね。客車がボギー台車な点には気づきませんでしたし、機関車も倉敷の1号機よりも小型のコッペル製の様ですので 本文を訂正させて頂きます。

「流転の王妃」をご覧になったのですか この件はPS.でも書いた鉄道ファン№15の記事で、1961年12月に55万円で売却されたが麦笛・黒帯三国志・流転の王妃の3本に出演したとの記述を引用したものです。

ホームと客車はセットらしいとなると、倉敷でのロケは・・・確かに撮影はしても編集でカットはよくあることですが・・・

テツエイダ | URL | 2022-01-10(Mon)21:47 [編集]


軽便列車

ごぶさたでした。
1~3枚目の軽便列車ですが、愛媛県の住友別子鉱山鉄道の様な気がします。確証はありませんが、機関車、客車がどうも井笠鉄道とは違う雰囲気がするんですが・・?間違いでしたらごめんなさい。

つだ・なおき | URL | 2022-01-11(Tue)23:09 [編集]


Re: 軽便列車

つだ・なおき 様  コメントありがとうございます。

井笠鉄道の客車と見比べると 6形・17形はデッキ付近が違いますし、その他は二重屋根でない点からも井笠ではない様ですね。

さりとてご提案の住友別子鉱山鉄道ですが、当時使用されたホハフ7形・13形共にデッキ間の窓が7枚で違う様です。

冒頭の走行シーンだけ画質が低く不鮮明な点から、どうやら古いフィルムの使い回しでは?

1953年東宝公開の「安五郎出世」に、ピッタリの機関車・客車が出ていました。しかしロケ地は不明です。

有力候補は1954年に廃止された鞆鉄道です。さよなら運転の画像ではオープンデッキ客車が使われていますが、クローズデッキ車輌が存在した可能性もあります。 不鮮明ながら社紋付近の雰囲気・下部のターンバックル付近等が似ています。



テツエイダ | URL | 2022-01-14(Fri)18:51 [編集]


実に謎な軽便

皆様のご意見では井笠鉄道が多いですが、このようなボトムタンクのコッペルは
いなかったようですし、もし鞆鉄道であればコッペルでもクラウスでもなく
アルノルト.ユンク製の可能性が高いですね、鉄道風景は以外に昔に撮られた
映画のライブラリーフィルム流用が多く見られるので混乱させてくれるのが悩ましいです
まあ普通の観客にはそんな事はどうでも良い事でしか無い、というのが良くわかります。

N.N.LC33100 | URL | 2022-01-14(Fri)22:51 [編集]


Re: 実に謎な軽便

N.N.LC33100様 コメントありがとうございます。

中々決め手が無い中 前回つだ・なおき様への返信で社紋に触れましたが、じっくり見ると どうも自信が無くなりました。
何れ「安五郎出世」を取り上げるまでの宿題とします。

当時の水島鉄道(通称)沿線には長閑な雰囲気の場所が無かったので、昔の作品の使い回しを行った様ですね。

テツエイダ | URL | 2022-01-15(Sat)17:30 [編集]


ナローの蒸機列車の件

1~3枚目の画像は遠州鉄道奥山線です。蒸機はコッペル製の9号機、1両目の客車はハ1154です。ところが「1154」の字が裏向きです。意図的に裏焼きにしたとも考えられます。水島での撮影時期と同じなのか、もっと古いネガを使い回ししたのかわかりませんが、車内シーンは水島の客車でしょうから、走行写真だけを裏焼きにして流用したのではないでしょうか。また遠州鉄道さんが映画撮影時の写真を所蔵されています。

DRFC68 | URL | 2022-02-18(Fri)11:57 [編集]


この軽便はどこ?

しばらくご無沙汰いたしておりました。
この軽便の所在地について議論されているのを見て、私たちのグループで検討いたしましたところ、次のように仮説が立てられましたのでご報告いたします。
(A)これは遠州鉄道奥山線ではないでしょうか。蒸機はコッペルの1~3号機のうちの1両のようでもあり、サイドタンクやコールバンカーの形からは4号機か? 客車はハ1154と思われますが、写真が裏焼きのようです。2両目以降は判然としません。
(B)丸妻の軽便客車、窓配置と1154の車番から、奥山線のものと推定されますね。1154は名古屋電車製作所 大正4年製。
(A)蒸機を特定できました。映画製作が1956年ですので、その時期に現役だったカマを絞り込みますと、9両中1両しかありませんでした。添付の9号機です。1924年コッペル製のC型10Ton機です。元は宇和島鉄道6号機。宇和島鉄道が国鉄に買収され、国鉄ケ220形224号機となり、宇和島線の改軌に伴って、九州の世知原線に移り、1944年に廃車となっています。その後1948年9月に奥山線にやってきて活躍するのですが、1956年6月には廃車になっています。廃車直前の時期に映画に出演するという晴れがましい機会に恵まれたのでしょう。ケ220の図面は臼井茂信氏著「日本蒸気機関車形式図集成2」からの引用です。更に、RMライブラリNo.10「追憶の遠州鉄道奥山線」には遠州鉄道所蔵の小さい写真ながら、「戦後、映画のロケーションのために運転したときのスナップ」というキャプション付きの写真が紹介されています。但し無蓋車と客車の混合列車です。いずれにせよ、かなり状況証拠が揃ってきましたので、間違いないのでは・・・。         同志社大学鉄道同好会OBクローバー会会員

米出作市 | URL | 2022-02-18(Fri)22:18 [編集]


Re: ナローの蒸機列車の件

DRFC68 様  コメントありがとうございます。 

映画の撮影地倉敷とは 余りにも離れた遠州鉄道奥山線ですか 想像だにしない場所ですね。
奥山線の蒸機は1951年に全廃された記述もありますが、古い記録フィルムを裏返しに再度映した映像でしょうか。
1154が裏返しなのを承知で出しているとしたら、流用を隠す為でしょうか。

1953年公開の東宝作品「安五郎出世」に、そっくりな蒸機牽引列車が電化区間の駅への到着シーンがあります。
この駅が奥山線の曳馬野駅だとすると、DRFC68様の御意見に一致するのですが。

テツエイダ | URL | 2022-02-19(Sat)23:50 [編集]