
九州 正風館道場の柔道家 小関昌彦(三船敏郎)は 留学生試験を目指して上京し 苦難の末に合格した報告に帰り、恩師の道場を 卑劣な手段で乗っ取った 空手・拳法と対決する アクション映画です。
冒頭 小型蒸機が3輌の小さな客車を牽いて


走り抜けて行きます。

続く車内シーンでは 加茂紀久子(岡田茉莉子)が 拳闘クラブの小鉄(藤木悠)に絡まれたのを小関が助けます。

同乗していた 拳闘クラブの伊庭八郎(佐伯秀男)に騙され 禁止されている私闘をする羽目になったので、小関は破門され公費留学生試験の為上京します。
その道中の 夜汽車の中で知り合った 人買いの譲次(田中春男)に騙され、北海道のタコ部屋で働かされますが 親分の情婦 お葉(久慈あさみ)のアシストで東京へ戻れます。
そして二度目の受験で 合格した小関は、報告の為 恩師 天路正純(佐分利信)の元を訪ねます。しかし道場は卑劣な方法で、空手拳法道場に乗っ取られ 天路は失明させられていました。
小関が戻ったことを聞いた伊庭は、弟の空手家 伊庭俊介(平田昭彦)と共に 小関を潰そうと呼び出します。
その頃 手配されている譲次を追う 形原四郎刑事(小堀明男)が、南屋敷駅へ到着した 混合列車から降りてきました。


形原は 天路から経緯を聞くと 小関が向かった五所神社へ向かい、小関に助太刀して 譲次を逮捕します。雨の中 小関は伊庭俊介と 空手拳法道場生を倒して、双方の争いに 決着を付けたのでした。
翌日 南屋敷駅には 天路の娘で小関を慕う 静江(香川京子)や 紀久子を始め、かつての 正風館道場生達が大勢で 小関の見送りに駆け付けています。

汽笛が鳴り

1号機関車に牽かれた 混合列車が動き出すと、

二人で並んで見送りしていた紀久子は 静江の背中を押して小関の元へ行かせます。
静江は走って小関に近付き「外国へ行ったら手紙を・・・手紙なんてどうでもいいわ!」と告げると、

デッキから身を乗り出して手を振っていた小関は

ホームの終端が近付いたので「危ない」と静江を制します。
ホーム端で立ち止まった静江は、去り行く小関に 精一杯手を振るのでした。

小関を乗せた混合列車が、段々と小さくなってゆき エンドマークとなります。

この見送りシーンは、倉敷市駅で行われた模様です。
PS.
雑誌(東宝 1956年2月号)でロケ地は倉敷と分かりましたが、冒頭の軽便らしき小型蒸機列車の雰囲気から鉄道シーンは近くの井笠鉄道で行われたのでは?と最初は思いました。
しかし6枚目の画像の様に描かれている社紋から、意外にも標準軌である当時の倉敷市交通局(現 水島臨海鉄道)でした。66年前とは言え現在の状況からは、全く想像だに出来ない様子です。
1~3枚目の画像は N.N.LC33100 様 ・ 73おやぢ様 のコメントにより、軽便の井笠鉄道で撮影された様で、5枚目以後の画像では倉敷市交通局で撮影されて 明治期の雰囲気を出そうと東宝のスタッフがダイヤモンドスタックを煙突に取り付け 更にベルまで加えています。
でもこの装飾は本作公開の前年 1955年5月公開の同じ東宝の(麦笛:監督 豊田四郎)撮影時に行ったのが先でした。その時の反響が良かったので、翌年の本作でも再使用した?
しかし前作ではスタッフが取付けた後 ハンダ付けしたら熱で溶けてしまったそうで、窮余の策で 7枚目の画像の様に針金で補強したのでしょうか。
この1号機関車は 1908年汽車会社製で 高野登山鉄道7号機となり、1916年東上鉄道へ譲渡され5号機 1920年に東武鉄道と合併され 同社の19号機となります。
更に 1939年翌年開業する 胆振縦貫鉄道へ4号機として移り、1944年2月に当時の 三菱重工業水島航空機製作所専用線へと譲渡され 戦後は ⇒ 1947年水島工業都市開発 ⇒ 1952年倉敷市交通局と 所属名が変わりました。
その後 1953年川崎車輛製 DC501内燃機導入から 仲間の蒸機が次々と廃車され、最後の1号機関車も DL予備機として残るも 1958年3月廃車となります。
(最終的には 1961年12月に55万円で鉄くず業者に売却され、解体された結末ニュースが 鉄道ファン№15に載っています。)
6枚目の画像で 4輪単車の古典的二重屋根の フハ92客車が映っていますが、1925年日本車輛東京で製作され 五日市鉄道へ納入されます。
同期の5輌と共に 1940年南武鉄道との合併で 所属が変わり、更に1943年8月に揃って 職員輸送用に 三菱重工業 水島航空機製作所専用線へと 譲渡されました。
五日市鉄道以来の 同期6輌の客車は 内燃機化後も使われましたが、1966年3月迄に 予備車のフハ92以外が廃車されました。
1970年に現在の水島臨海鉄道となりましたが、軽便鉄道ではなく・廃止されそうでもなく・他社より早く無煙化・市営鉄道 等々のイメージからか昔の写真が非常に少ない鉄道です。
参考:(鉄道ピクトリアル№199) (水島臨海鉄道設立50周年記念誌 その生い立ちとあゆみ)


