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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

347.キクとイサム

1959年3月 大東映画 製作 松竹 配給公開   監督 今井正

黒人混血児姉弟が 差別や からかいに遭いながらも、子供らしく逞しく 明るく成長する姿を描いた 社会派映画です。

川田キク(高橋恵美子)と イサム(奥の山ジョージ)の姉弟は、母親が病死したので 祖母しげ子(北林谷栄)に 乳飲み子時分から育てられています。
迫害に遭いながらも 元気に育つ二人ですが しげ子は行く末を案じ、二人を アメリカへの養子縁組の斡旋組織に 依頼する様になりました。
その結果 イサムが裕福な農家との 養子縁組成立となり、地元の下久野駅へ 皆でイサムの送り出しに向かいます。

イサムの写真を撮りに来た 斡旋組織の男(滝沢修)・イサムの担任の小野寺先生(織田政雄)・親切な隣家のきみえ(朝比奈愛子)・しげ子・イサム・キクの6人が、木造駅舎の下久野駅へ到着しました。
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待合室の木製ベンチで しげ子・イサム・キクの3人は、夏ミカンらしきを 揃って食べています。
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やがて「10:23発の郡山行列車の改札です この列車は郡山で 13:05発準急上野行に接続します」と構内放送があり、イサム以外の一同は 男から貰った入場券で 改札を通りホームへ出ます。
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遥か彼方から 蒸機牽引の列車が近付いて来ました。
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しげ子は「向こうさ行ったら生水飲むな」とイサムに伝えます。郡山行のサボを架けた オハ61形三等車の窓から、白人混血児らしき 二人を連れた男が「オーイここだ」と呼んでいます。
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男の後からイサムは乗車し、窓を開けてイサムは 最後の見送りを受けます。先生・きみえ・しげ子は 一言ずつ伝えますが、イサムに元気が無い様に見えたキクは 微笑んでペロっと舌を出して和ませます。
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機関車の汽笛が鳴ると、
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小野寺先生は お菓子の包みを手渡します。列車が動き出し 最後の挨拶を交わしていると、
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突然イサムが「オラ行くのヤンダ」と叫ぶや デッキへ走り 飛び降りようとします。
しかし男が抱きかかえ 阻止する中 汽車は加速し、
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キクは「イサム~」と言いながら 追い駆けますが 為す術なく 改札口前で立ち止まります。
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キクはイサムとの 永遠の別れとなった実感が湧いてきたのか、去り行く汽車へ向かって 泣き続けるのでした。
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悲しい旋律の BGMと共に、哀愁を帯びた汽笛の音が辺りに鳴り響いています・・・





PS.
  本作は何と言っても 水木洋子の脚本で成り立っています。今井監督達が選んだ姉弟役は 水木の構想に合わず、自らが捜して 荒川区の高橋恵美子と 横須賀の奥の山ジョージに 監督の反対を押しきって決めさせたそうです。
  そして未経験の素人二人を じっくり時間をかけて仕込み 自然体で演じられる二人に育て、脚本も二人の個性に合わせて書き換え 撮影に入ったそうです。

  大部分は現在の 福島県喜多方市岩月町入田付平沢(磐越西線喜多方駅の北方8㎞)の集落で撮影したそうですが、何故か鉄道シーンを撮影したのは 五日市線西秋留駅と思われます。(当ブログの検索コーナーから西秋留を参照されたし)
  従って磐越西線らしきの下久野駅を始め 10:23発郡山行列車・13:05郡山発上野行準急も、当時の時刻表に該当列車は無く架空設定です。

  8・10枚目の画像でC11形蒸機の一部が映っていますが、何らかの事情から磐越西線でのロケで無い為の措置と思われます。
  それでも撮影に向いた時間帯に当時2本しか走っていなかった蒸機牽引列車に郡山行のサボを架け、駅構内を下久野駅として装飾してイサムとの別れの場面の雰囲気は満点でしょう。


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コメント


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キクとイサム

これはキネ旬ベスト・ワン作品(昭和34年)である。
こう文章にするとサラリと読めてしまいそうだが、戦後日本映画黄金期にBest 1 の座を射止めるのは「ラクダが針の穴を通る」ほど、至難の業だった。
小津がいた、黒澤がいた、木下がいた、市川がいた、内田がいた、成瀬がいた、川島がいた、小林がいた、豊田がいた、田坂がいた、吉村がいた、山本がいた、今村がいた、新藤がいた、

小生がこの作品を見たのは、中学校の講堂での全校映画鑑賞会で、当時はこのような催しが特別活動として一学期に1回ほどあり、こういう名画が見られるというのは単純に幸せな時間だった。

列車の別離シーンとなると日本映画にはごまんとあるが、この映画は文句なしの第一級で、姉と弟の別れを見事に切なく描いている。
別れのシーンは普通はラストに登場することが多いが、ここでは映画の三分の二ぐらいのところに組み込まれている。
この「下久野駅」(の構内・プラットフォーム)はどこかで見た気がすると思ったのは、「警察日記」その他の映画でしばしばロケ撮影がされているようですね(遠くの山の形状がそっくりです)。
東京からも近く便利で、撮影に向いていてそれだけ使い勝手がよかったのでしょう。

アメリカは(かっての敵対国の)日本の混血児や朝鮮戦争の韓国孤児を積極的に引き取って、養子にするという不思議な国です。

赤松幸吉 | URL | 2021-10-17(Sun)18:43 [編集]


Re: キクとイサム

赤松様 コメントありがとうございます

1959年に537本も公開された 邦画の中から キネ旬ベスト・ワン作品に 選ばれたのですから素晴らしいですね。

当ブログで取り上げた作品でも(3位 にあんちゃん)(4位 荷車の歌)(6位 人間の壁)が入っています。

本作での 準主役とも言えるのが、しげ子婆役の 北林谷栄でしょうね。
当時48才にして 68才役ですが 現代の眼で見れば 80代の雰囲気で、彼女の高い演技力と相まって 作品を引き立てています。

また 本作撮影に当り 今後も老婆役に徹する為に、前歯を全て抜いて 役作りに臨んだそうです。

テツエイダ | URL | 2021-10-18(Mon)19:12 [編集]


度々拝見して映画の資料として楽しませて頂いてます。
さて、先日こちらのDVDを借りた際に付属のリーフレットには公開時のパンフレットを転載しており、その中に「今井正 全仕事」から監督の述懐で別れのシーンの撮影は八高線 寄居駅(文中では誤植で"寄り家城")と記載されてました。鉄道については全く知識がないのですがどうなんでしょうか。

ポケ | URL | 2021-12-21(Tue)19:54 [編集]


Re: タイトルなし

ポケ様 コメントありがとうございます。

別れのシーンの撮影は川本三郎氏の著作(あの映画にこの鉄道)でも、八高線 寄居駅でロケが行われたと記されています。

監督さんの述懐から引用されたと思いますが、駅舎の入口・改札口内外・ホームの形状・構内配線の何れの点からも95%間違いなく五日市線の西秋留駅で撮影されたと思います。

本文下にあるコメント欄の左側に検索コーナーがありますので、是非(西秋留)で検索し見比べて下さい。
寄居駅は当時も国鉄の他に東武鉄道・秩父鉄道が接続していて、構内に多くの線路が並ぶ大きな駅でした。

テツエイダ | URL | 2021-12-22(Wed)14:01 [編集]