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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

340.森と湖のまつり

1958年11月 東映 製作 公開  カラー作品   監督 内田吐夢

アイヌ人としての誇りを守ろうと奮闘する 風森一太郎(高倉健)と、東京から来た画家 佐伯雪子(香川京子)の出会いを軸に アイヌ差別問題を絡めた社会派映画です。

序盤 北海道でアイヌ民族を 大学教授の池(北沢彪)に案内された雪子は 釧網本線の列車内で、かつて池が面倒を見た アイヌ人風森に 池が再会を熱望している話を聞いていた。
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その車内で 旧知の池を見かけた 山城屋(佐々木秀丸)が
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同席し 雪子のことを聞くと、雪子に描いてもらいたいものがあるので 塘路で途中下車して寄ってほしいと誘います。
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塘路駅の改札口では 山城の娘茂子(中原ひとみ)が 父親の帰りを待っていると、遥か彼方から 汽笛の音と共に煙が見えて来ます。
そこへ炭を山積みした オート三輪で立ち寄った小川(立花良文)が、「旦那はこの汽車ですか」と聞くと 茂子は嬉しそうに頷きます。
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やがて 8620形蒸機 18652号機に牽かれた、釧路行普通列車が到着します。
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前から2輌目の客車デッキから 山城に続いて降りて来た雪子は、
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池教授の元へ移動します。
山城に雪子のことを託した池は、
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「一太郎の消息が分かったら知らせてほしい」と雪子に伝え 札幌へと向かいます。
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改札口を出た山城は 出迎えた茂子に雪子を紹介すると、「願い事と言うのは、貴女に娘の絵を 描いて欲しいのです」と言い出しました。
一行が駅前広場へ出ると 旅館川口館主(花沢徳衛)が走り寄り、
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「皆さんがお待ちですよ」と言うので 茂子が山城家へ 雪子を案内します。

その後 雪子は絵画の参考にと 誘われた病院で知り合った 風森ミツ(藤里まゆみ)が 一太郎の姉だと分かり、釧路で 千木鶴子(有馬稲子)がやってる バー(カバフト軒)に 一太郎がよく来ると聞きます。

翌夜 カバフト軒へ雪子が行くと、風森がアイヌ基金として アイヌ系企業から 半強制集金することに反対する者の 元締め大岩則之(薄田研二)の 息子猛(三國連太郎)達が来て 雪子を止別(やんべつ)の海に誘います。

彼等が帰った後 店の奥から風森が現れ、「明日 大岩の所に手紙を届けてほしい」と雪子に頼みます。それを聞いた鶴子が「その役は ダイスで賭けて決めよう」と競いますが、勝ったのは雪子でした。
翌朝6時 風森が指定した釧路駅で雪子が待っていると、
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達夫少年(清水了太)が現れ 風森から託された 大岩への手紙を渡します。背後では、網走行列車の改札が始まっています。
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続いて その列車内では 雪子と達夫が向かい合って座り、達夫は駄菓子を食べながら
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「手紙は封をしていないから読んでもいいって 弟子屈の爺ちゃんに見せて 止別に持って行って」と達夫は 風森の伝言を伝えます。
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弟子屈の花守翁(宇佐美淳也)に手紙を見せると、不本意だが 仕方あるまいと 雪子に大岩への手紙を託します。

それから 大岩が期限の時刻までに 返答を出さないので 風森が大岩に襲いかかり、雪子が 銃で返り討ちを目論んだ 大岩猛の邪魔をしたことから 風森と共に逃走し 二人は深い仲となりました。

そして ベカンベ祭りの日に 風森と猛は銃で決闘することとなり 風森は顔の右半分に散弾を浴びながらも 猛を組み伏せ、駆け付けた池と雪子に アイヌ基金の隠し場所メモを託し 消え去るのでした。






PS.
  客車内シーンは全て セット撮影と思われますが、釧網本線塘路駅手前の 右カーブから進入して来る 8620形蒸機牽引列車が 良好な日照条件で映されていますね。

  この列車は 作中では13:56頃到着のですが、当時の時刻表では 該当する列車は12:20発の523レ釧路行しかありません。当時は一日に上下各5本しか、設定されていませんでした。

  塘路駅舎は 1953年に改築されて 5年半後の姿ですが、厳しい気象条件の為か 更なる年期を感じさせていますね。


  大岩猛一行は カバフト軒に 酔って現れ、止別へ帰る汽車の時間が近いと 退去します。しかし現実には、釧路から止別(やむべつ)は遠いのです。{地名はやんべつ 駅名はやむべつ}

  途中の弟子屈迄なら釧路19:58発の 最終列車で行けますが、止別となると 釧路14:35発の538レが最終です。次の16:55発540レ斜里行で21:27に着いて、一駅 11.5㎞を網元のトラックに 迎えに来てもらったのか?

  9枚目の画像は 釧路駅改札口前の待合所ですが 風森は6時の待ち合わせに現れず、釧網本線の始発 6:35の532レ網走行の改札開始後に 達夫が手紙を持って現れています。

  その後は 532レが8:41に弟子屈(現摩周)に到着し 花守翁宅に寄った雪子は、次の弟子屈 12:43発534レに乗っても止別には 15:06なので 作中の様に風森に17:00の期限を 設定されても苦しい状況ですね。



  千木鶴子(有馬稲子)がやってる バー(カバフト軒)は釧路の場末にある設定の様ですが、店内でカラスを飼っているとは如何なる趣味なんでしょう?(五社協定の中 折角 有馬稲子を呼んだ割には出番が短い!)



  


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コメント


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森と湖のまつり

この時期の内田吐夢監督は大車輪の活躍で、(戦後)日本映画黄金期を代表する作品が目白押し、 「大菩薩峠(三部作)」、「浪花の恋の物語」、「宮本武蔵(五部作)」「花の吉原百人斬り」など、そして圧巻は超大作「飢餓海峡」である。

これらの傑作群に比べて、(個人的な感想だが)「森と湖のまつり」は巨匠の作品として「デキ」はよくなく、いつもの吐夢映画の感銘は受けなかった。

「ネコちゃん」の出番もほとんど記憶に残っておらず、有馬稲子は実際に北海道ロケに参加せず、出演シーンはすべて撮影所のセットで胡麻化したのではないかと思うくらいだ。

客車内はうまく作っているが、座席がアンチークな家具仕立てのように見え、かえってセットだと分かってしまいます。
塘路駅舎はどう見ても駅舎には見えない。「交番」か「拘置所」か「農機具倉庫」か「公民館」か「(ギリシア正教)教会」か、とにかく不思議な建物だ。

赤松 幸吉 | URL | 2021-07-13(Tue)16:49 [編集]


鉄道の場面は、かなり忠実ですね。

テツエイダ様

内地の駅や列車を北海道に仕立てることをせず、実際に現地でロケを行っており、鉄道に関しては良心的ですね。塘路の駅は正真正銘ですし、当時の配置表によれば18652号機は釧路機関区の所属です。車内も実車のようで、デッキから客室へ入ってくるシーンでは車端部の仕切り壁からオハ31に特定でき、鉄道博物館の保存車と各部の造作が整合します。ちなみにオハ31は昭和33年時点で釧路客貨車区に13両在籍していたので、事実関係も間違いありません。機関車や客車が五日市線や御殿場線だと脱力してしまうのですが、もともと両線区にオハ31はいませんでした。それにしても日本映画が一番元気だった時代とはいえ、出演者やスタッフ、機材の現地への送り込みは相当大変だったと察せられます。東映は劇映画のほか、教育映画でも国鉄が登場する作品が多くあり(小学校の講堂でよく見ました)、もともと鉄道に対する理解があったのかもしれません。

73おやぢ | URL | 2021-07-13(Tue)17:22 [編集]


Re: 森と湖のまつり

赤松様 コメントありがとうございます。

赤松様のご想像通り、大泉の撮影所でのセット撮影だった様です。 当時多忙な有馬稲子はとても北海道へ行く時間がとれず、東京での撮影ならと出演したそうです。

小生としてはヌルヌルした湿原を高倉健と共に逃走するシーンなど、香川京子さんの熱演が印象に残る作品と思います。

テツエイダ | URL | 2021-07-13(Tue)21:06 [編集]


Re: 鉄道の場面は、かなり忠実ですね。

73おやぢ様 コメントありがとうございます。

小生にはセット撮影の様に見えたのですが、留置中の車輌を借りて撮影したのでしょうか。

2枚目の画像で仕切り壁に鉄道路線図が無いのは、かえって現車らしいですね。

惜しむらくは釧路駅でロケを行ったなら、ホームでのカットも是非入れて欲しかったです。

内田監督は標茶近郊に アイヌ部落のセットを組んで、腰を据えて 好天日を選び 現地の美しい自然を余すことなく映し込んでいますね。 

ご指摘の様に 出演者やスタッフ・機材の現地への送り込みは 相当大変だったでしょうが、本作に掛ける 関係者の熱意を感じる作品です。

テツエイダ | URL | 2021-07-13(Tue)21:36 [編集]