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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

336.東京の恋人

1952年7月 東宝 製作 配給 公開   監督 千葉泰樹

街頭似顔絵 描きの ユキ(原節子)と模造宝石造り人 黒川(三船敏郎)が、都会を舞台に 夜の女と宝石を巡って巻き起こる 出来事を描いた 人情喜劇映画です。

都電の車内で小銭が無くて困っている黒川に、ユキは回数券を差し出して助けます。指輪をはめてキザな身なりの黒川に、ユキは反感を抱くのでした。
ユキと行動を共にする靴磨き三人組の正太郎(小泉博)・忠吉(増渕一夫)・大助(井上大助)は、揃って赤澤工業が入る銀座並木ビル前に通って店開きしています。

黒川は店頭ディスプレイ用の模造宝石指輪を宝山堂店主(十朱久雄)に納品し、店主は飾ってあった50万円の値札の付いた指輪と替えて金庫に仕舞います。
その後赤澤工業社長(森繁久彌)が二号の小夏(藤間紫)に取り違えた模造指輪を買い与えます。しかし赤澤夫人の鶴子(清川虹子)に発覚し、指輪は鶴子の元へ模造と思いこんだ本物は給仕のタマ子が貰います。

一方ユキと同じアパートに住む街娼のハルミ(杉葉子)は肺病が悪化し、ハルミの母親に「ハルミが職工の黒川と結婚して幸せに暮らしている」と仮想文の手紙をユキが代筆しました。
タマ子はハルミの為に指輪を売ろうとしますが、都電乗車中に窓から落としてしまいます。丁度勝鬨橋の中央を通過中で、
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一同は指輪が落ちた方を窓から見ています。
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次の勝鬨橋停留所で皆は正太郎を先頭に下車し、
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橋の真ん中へ向かいますが赤信号で警備員に止められてしまいます。丁度船を通す為橋の中央部分が跳ね上がるので、通行止めになったのでした。
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漸く通行止めが解除されると、皆で橋の中央部分を隈なく探しますが見つかりません。指輪は橋の真ん中部分に落ちたので、跳ね上がった時川の中に落ちてしまったのです。

いよいよハルミは危篤となったので母親に電報を打つと、翌夜上京して来るので上野駅へ迎えに来てほしいとの返電がありました。
前に架空の手紙を代筆したユキは、ハルミの為黒川に夫に扮して母親の出迎えに行ってほしいと頼みます。しかし前日に偽物造りの仕事とユキに軽蔑された黒川は、偽の夫役など御免だと断り泥酔してしまいます。

翌夜上野駅改札口内で、ユキ達は「ハルミさんのお母さんこゝです」と書いた看板を持って待っています。
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やがて4番ホームに8620形蒸機に牽かれた列車が到着します。
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その時改札口から黒川が姿を現し皆を喜ばせ、
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「来るには来たがどうすれば」とユキに聞くと「ニッコリして自己紹介してね」と指南します。

そして二等車の横に立つ母親タケ(岡村文子)にユキが確認すると、
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忠吉と大助が黒川が逃げない様に看板を持たせて近寄せます。黒川が挨拶すると、タケはニッコリして「まああんたがハルミの・・」と出だしは順調です。
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その後黒川はハルミの夫になりきって母娘と同居し炊事・洗濯等をこなしますが、ハルミは隅田川花火の夜に皆に看取られ幸せそうに亡くなります。

タケが帰郷する日上野駅へ皆で見送りに行き、タケは嬉しそうに窓から皆に挨拶しています。
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やがて列車は出発し、皆が見送る中
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ゆっくりと去り行きました。
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PS.
  勝鬨橋を渡っていた都電11系統(新宿駅~月島八丁目)は、1947年12月に勝鬨橋西詰停留所から月島八丁目まで延長開通した区間でした。(開通後に勝鬨橋西詰→勝鬨橋)

  3枚目の画像は3000形と思われますが、すぎたま様のご指摘で5000形と判明しました。1枚目と4枚目の画像は同じ6000形の6073です。何故その間に違う車輛のカットを入れたのか不思議ですね。

  5枚目の画像は上野駅改札内でハルミの母親を出迎える一同ですが、地平ホームらしき頭端式9番線が映っています。不自然に改札口が近く、6枚目の画像で到着する列車は4番線です。

  想像するに、5・9・12枚目の画像はセット撮影と思われます。そして8620形蒸機の18691号機牽引列車が到着する駅は、例によって両国駅4番ホームを貸し切ってのロケでしょう。

  タケが帰郷する10・11枚目の画像場面も、両国駅3番ホームでのロケと思われます。最後の14枚目の画像は上野駅高架ホームを出発して行く姿と書きましたが、73おやぢ様のご指摘で(上野駅地平10番ホームから出発いて行く姿)と訂正させて頂きます。
  
  最後に開いてから51年になる勝鬨橋ですが、「久しぶりに勝鬨橋開く」とのテレビニュースを見た記憶が小生にもありました。

  勝鬨橋は本作の重要な舞台とも言えるでしょう。 ユキと黒川の出会いは、勝鬨橋手前で待たされる都電の車内。 本物の指輪を落として皆で捜すのも、勝鬨橋の中央部分。 ユキと黒川がケンカして、離れ離れになったのも勝鬨橋の上でした。


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コメント


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盛りだくさんな形式

テツエイダさまご無沙汰しておりました。

少し前のエントリにもこれからコメントさせていただきますね。肩腰を傷めてコメントできずにおりました。

さて本作の3枚目画像は、都電の中でも大形車であった5000形です。系統板を出しておりませんが、正面右上の小窓が系統番号表示器で「12」と読めるような気がします。またビューゲルを付けているように見えますが、ビューゲルだとすれば、公開前年に交換装備したようです。後に2ドア化されたりしますが、1968年に全廃されているので、系統番号表示器とともに貴重なカットかもしれません。

お母さんが降り立つ背後の2等車は、窓配置から見て、2輌しか無いオロ30形かもしれません。
帰郷のシーンはスハ32形で、当時としてはありふれたものでしょう。
最後のカット、70系戦災復旧客車のスニ73形です。スニ73形は戦災電車からの改造で、様子からするとおそらくモハ31系あたりの復旧ですね。しかも尾灯が高い位置に付けられていた時代で、これも実際の走行画像としては貴重かもしれません。

勝鬨橋の跳開時は、私ら世代は見たことがありません。こういう感じで開くのですね。今の渋滞状況では、この先再開も無理でしょうね。
勝鬨橋は、現在も都電の架線を吊っていたブラケット跡があるそうです。

すぎたま | URL | 2021-05-16(Sun)02:59 [編集]


東京の恋人

この映画の陰のメインを飾るのは「指輪の宝石」、ストーリーは本物と偽物の指輪があちらこちらで混線・錯綜し、観客は見ているうちに「どちらが、どちら?」と見分けがつかなくなってしまう(のは私だけだろうか?)。

古き良き東京の町並みがふんだんに画面に映し出されるし、中でも勝鬨橋の跳開シーンは今となっては貴重ではないだろうか。是非この目で跳開を実際に見たかったが。

6,9,12枚目の画像のシーン、言われれば確かに、ホームと改札口の位置が近すぎますね。上野駅のような大きな駅ではかなり離れているのが普通で、セットぽっい感じがします。
カメラのフレーム(構図)は3枚ともほぼ同じで、また三船、原、靴磨き三人組も同じ場所に立ったままで動かない、などから撮影所セット内かもしれません。

都電に関しては1枚目は車体番号が「6073」、3枚目は「6014」と読みとれますし、その他の車体の特徴も一目で別々だということが分かります。

赤松 幸吉 | URL | 2021-05-16(Sun)16:03 [編集]


Re: 盛りだくさんな形式

すぎたま様 コメントありがとうございます。

老眼の小生には3014と見えました 訂正させて頂きます。 1951年にポールからビューゲルに取り換えた様ですね。
これからもご指摘よろしくお願いいたします。

テツエイダ | URL | 2021-05-17(Mon)10:55 [編集]


Re: 東京の恋人

赤松様 コメントありがとうございます。

勝鬨橋が映った映画は他にもありましたが、こんなにも詳細に開閉の手順を追って映した作品はありません。
両端に立つ旗を持った警備職員の様子も映って、歴史的価値のある映像かと思います。

「三船、原、靴磨き三人組も同じ場所に立ったままで動かない」のも当然で、最小限サイズでセットを組んでいたと思われます。

テツエイダ | URL | 2021-05-17(Mon)11:15 [編集]


駅の一考察

テツエイダ様

本作は未見ですが、駅について考えてみました。

出迎えシーンは、セットに間違いないと思います。9番線の書体が国鉄式でなく不自然(というか、ヘタです)、出口の欧文に「WAY OUT」とあるが国鉄式は「EXIT」のはず、さらに国鉄は「乗降場」のようなあいまいな表現はしない、などの違和感があります。とはいえ全体の雰囲気は良く再現されており、どちらかというと、両国の汽車ホームの改札とコンコース付近は薄暗くて、こんな感じだったような気がします。

さて、帰郷シーンですが、11番目の画像は電化されているので、13番目とともに上野駅の高架が候補になりますが、背後の両大師橋(と考えられる橋)とホームが近すぎること、上野ともあろう大駅のホームで上屋の無い野天部分が広いのも奇妙です。
手がかりに窮してなんとなく「どっこい生きてる」(1951年)を観たら、ヒントがありました。劇中、女房と子供が乗った列車(地平ホーム発)を主人公が両大師橋から見下ろすシーンで、列車は当時の9番線(現在の14番線)から発車しますが、この9・10番線の島式ホームと両大師橋の間に職員の詰所らしき建築物がいくつか並んでいます。それが1956年の空中写真を見ると、詰所が消えて野天のホームが延長されています。本作がホーム延長直後に撮影されたとすれば、ホームの色調が直線状に異なっている個所が延長継ぎ足しの境目ではないでしょうか。「どっこい生きてる」から読み取れる線路の分岐状況も合いますし、遠方に見える客車は数本あった洗浄線(現在も面影あり)です。ちなみに帰郷の列車は当時の10番線発、現在の15番線ですが、さすがに面影は微塵もありませんね。



73おやぢ | URL | 2021-05-23(Sun)16:59 [編集]


Re: 駅の一考察

73おやぢ様 コメントありがとうございます。

成る程「どっこい生きてる」の画像を 再度じっくり見ると、列車は当時の地平9番線から発車していますね。

高架ホームと思い込んでいたので 本作も14番目の画像は地平ホーム10番ホーム(当時)だとすると、両大師橋との距離も左側の3階建ての建物も納得できますね。ご指摘ありがとうございました 「どっこい生きてる」と合わせて訂正させて頂きます。(この建物と橋との距離感から断言できませんでした)

『また逢う日まで』(1950年) は当ブログで未だ取り上げていませんが、両大師橋から上野駅方向を見たり構内を走り回る蒸機が映っています。

https://www.youtube.com/watch?v=Lxw-5k7zsPY で「東京の恋人」のユーチューブ動画が視聴できます。

テツエイダ | URL | 2021-05-24(Mon)15:37 [編集]


勝鬨橋

 今晩は。
 こんな話を十数年前生前の父がしていました。
「あの日帰りに乗った都電が勝鬨橋で開閉待ちになった。」。続けて、「それが最後の開閉の時だった」とも言ったのですが・・・。今この記事を読んで、その日のことを確認することになりました。

 あの日父と私は晴海の国際展示場で催されていた工作機械見本市を見に行っていました。行きは浜松町から竹芝桟橋まで歩き、渡し船で晴海に到着。帰りは都電で、有楽町で国電に乗り換えたはずです。ですが、渡し船は覚えているのですが、勝鬨橋については記憶にありません。
 勝鬨橋が最後に開いたのは1970(昭和45)年11月29日だとあります。そうだとすると私が中学2年の時だったことになり、これは明らかに記憶と合いません。あの日私は小学校の1年か2年でした。
 そこで工作機械見本市のデータを調べると、70年は大阪開催。第1回開催だった62年、及び66年も大阪。64年晴海。これですね。期日は11月9日~11月20日とあるので、東京オリンピックが終わってまだひと月も経っていない頃です。
 
 父が全くの記憶違いをしていたのかと言うと、そうでもないだろうと思います。多分橋の開閉は有ったのでしょう。しかし残念ながらやはり私も見損ねた者の一人となってしまいました。
 その橋を父母、姉と共にくぐったのは41年後の晩秋のことになります。

大森山谷 | URL | 2022-06-15(Wed)02:44 [編集]


Re: 勝鬨橋

大森山谷 様  コメントありがとうございます。

勝鬨橋開閉の様子を映した映画は希少で、今となっては貴重な映像ですね。
小生も勝鬨橋が開閉する姿を見たことはありません。

幼少期に母親に連れられて都電に乗りましたが、どこで間違えたのか勝鬨橋の手前で間違いに気づいて降りた記憶があります。
今となっては目的地は分かりませんが、その時初めて雄大な勝鬨橋をま近で見ました。

テツエイダ | URL | 2022-06-15(Wed)22:14 [編集]