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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

335.父ちゃんのポーが聞える

1971年9月 東宝 製作 公開  カラー作品   監督 石田勝心

国鉄の機関士杉本隆(小林桂樹)の次女則子(吉沢京子)が難病を患い、病の進行から転院先で 父親が鳴らす汽笛によって 娘を励ます親子愛を描いた映画です。

国鉄金沢鉄道管理局 全面協力の元、赤ナンバープレートに替えた C56123号機を中心に 全編に渡って鉄道シーンがあります。
冒頭 七尾線七尾駅で出発を待つ C56123号機が映り、
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助役から「わかくら通票」と渡された タブレットキャリアを復唱して受け取った 機関助手の丸山源太郎(藤岡琢也)は、
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「わかくらマル」と言って杉本へ渡します。

杉本は行路表を確認して「わかくらマル」と復唱すると、
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腕木式信号機が青に変わり 汽笛を鳴らして発車します。
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走行中丸山が「帰りにつきあってくれ」と願い、杉本は承諾すると「場内進行」と発声します。
続いて カーブしているホームへ進行してきた機関車の キャブから丸山助手が、通票の入ったタブレットキャリアを 受器に投げ入れ C56123号機に牽かれた客列車はこの駅を通過して行きます。
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妻が病死していた杉本は再婚し 中学生の次女則子との関係も良好でしたが、則子は難病のハンチントン病となり 治療と学習を兼ねた(こまどり学園)へ入ることになります。
冬場 C11形蒸機らしき牽引の客レが 雪原を走り抜ける姿が映り、
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キャブでは丸山が「俺ん所へ預けてくれりぁ女房が付きっきりで面倒みるのに」などと 前に養女にとの願いを断られた件を 蒸し返しています。
やがて桜咲く中を走る D51形蒸機・
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菜の花沿いを走るバック運転の蒸機が映り、秋日和の中を走る D51形蒸機の客レ・再び雪原を行く 蒸機客レと続く頃には、一向に回復しない病状に 面会にきた継母に当たる則子でした。

次の春先 七尾機関区の転車台を旋回する C56形蒸機が映り、背後には DE10形内燃機や キハ20系気動車らしきが休んでいます。
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傍らで杉本は 一本松区長(十朱久雄)から 蒸機廃止が迫っているが 定年まで間の有る君は、管理職登用試験か 名古屋鉄道学園で 気動車転換教育を受ける様 勧められるのでした。

その後 こまどり学園へ慰問に来た 絵画グループの吉川道夫(佐々木勝彦)から、則子は高岡のデパートで開いた展覧会に招待されます。

北陸本線高岡駅舎の正面右手に 加越能鉄道高岡軌道線 新高岡駅と路面電車が映り、その前を乗用車に続いて 吉川の働く丸高ベーカリーのトラックが走って行きます。
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しかしその吉川も 東京へ修行に行くことになり、更に則子の病は重くなり 転院が決まりました。遠い療養所故に頻繁には見舞いに行けないので、杉本は久しぶりに帰宅した則子を背負い機関庫へ行きます。
中学の制服を上だけ着た則子と 機関車の思い出を語り合いながら、
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庫内で休む C56123号機の横を ゆっくり進んで行く間 則子はずっと機関車をじっくりと見ています。
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次に 山間の橋梁上を走る C56牽引貨物列車が映り、
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運転室内では 助手の前川武(小松英三郎)が「お嬢さん越山療養所へ移ったそうですね 次のトンネルを抜けた辺りですよ」と杉本に告げます。 トンネルを抜けて来たC56123号機が映り、
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続いて 療養所の窓からは右へカーブしながら去り行く列車の姿が見えています。
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次に見舞いに行った折 杉本は次第に悪化してゆく則子に「来月から乗務することになった列車が 木曜日の午前5:50帰りは夕方16:20に下を通る時 、ポーポッポーと3回汽笛を鳴らすから」と約束して励ますのでした。

その客車列車に 前川と組んで乗務する日、トンネルを抜けると汽笛を3度鳴らしました。則子は病室の目覚まし時計で起きて 汽笛を聞き、時計の音で駆け付けた看護婦さんと 共に微笑むのでした。

それから 則子の病状に悩む杉本は イライラして後妻の初江(司葉子)にアタリ、更に寝そびれて 行った飲み屋では 丸山と大ケンカする始末でした。
翌日 いつもの様に前川と組んで 海沿いの区間から
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左カーブを走ると、前方の踏切に停まったままの ダンプカーを発見して
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汽笛を連呼しながら非常ブレーキを掛けますが 衝突してしまいます。
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重症の杉本は 軽傷の前川に「車掌に駅と機関区に連絡を頼んでくれ」と告げ、車外へ降りた前川は 前方の惨状に驚きながらも
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後方の車掌へ連絡に走ります。
翌朝 包帯に病衣のまま 前川は機関区へ行き、乗務する丸山に 杉本の代わりに 汽笛を鳴らしてくれと願い出ます。
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病室でいつもの様に 汽笛の音を聞いた則子は安心しますが、その後に突然絶命してしまいます。

その後 復帰した杉本は、また丸山と組んで 蒸機を運転して 例のトンネルを抜けます。すると丸山は汽笛を3度鳴らします。

杉本は驚いて 丸山の顔を見ると 事情を察し「そうだったのか ありがとう」と告げ、事故後も丸山が 杉本に代わって汽笛を鳴らし 則子を励まし続けてくれていたことを知るのでした。

続くラストシーンは 則子が朗読する詩が流れる中、ロケの中心となった C56123号機が牽引する客レが 青空の元走り抜ける姿が映って エンドマークとなります。
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PS.
 1970年7月に 21才で亡くなった 松本則子さんの詩集を原作とした作品で、笠原良三が担当した脚本では 高岡機関区が舞台となっていました。国鉄のロケ協力の都合等で、撮影は七尾区と七尾線で行われた様です。

全編で駅名板等が映らない様に ロケが行われているので、冒頭の「わかくら」は架空であり 3枚目画像の行路表では 七尾⇒穴水の仕業となっています。

丸山がタブレットキャリアを投げ入れて 通過する駅は能登鹿島駅です。(のと鉄道の駅として現存  愛称:能登さくら駅)

 七尾線では 1971年4月に旅客列車は全てDC化されたので、ロケ用に荷物車を加えた列車を仕立てて 臨時列車を走らせた様です。ふるさと列車おくのと号に 使う予定だったのか、前年にC56123号機とC56124号機は赤ナンバーに交換しています。

加越能鉄道 高岡軌道線・新湊港線は2002年2月に万葉線(株)へ譲渡され、高岡駅停留所~越ノ潟駅の軌道路線・鉄道路線 全線を万葉線として現存しています。

11枚目の画像は廃線となってしまった穴水~能登三井の山岳区間の撮影と思われますが、続く療養所近くのトンネルは山間部ではなく能登鹿島~穴水に現存するトンネルの様です。

 衝突事故場面の ロケに使われた C56123号機ですが、その後 1973年1月本当に 和倉駅付近で事故に遭い そのまま休車⇒廃車となってしまいました。

 また原作者の父親である 松本氏も本作の企画が進んでいた 1971年1月、城端線のDCに乗務中 ダンプカーと衝突事故に遭い 重症を負ってしまいます(同じ1971年1月に娘の詩集が、立風書房から出版されています)

 七尾線の蒸機は 1974年4月に消えて、替わった内燃機による貨物列車も 1984年2月に廃止されました。1987年のJR化後の 1991年9月には和倉温泉~輪島が のと鉄道に経営移管されましたが、2001年4月 穴水~輪島の区間が廃止されています。

 
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コメント


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父ちゃんのポーが聞える

「父ちゃんのポーが聞える」(未見)は「ハンチントン病」という難病ものの感動作でとても見たい映画ながら、どの配信サービスでも提供されておらず、また、DVDも未発売なのが残念だ。
ウィキペディアによれば、この映画で吉沢京子は文部大臣新人賞などを受賞し、ブロマイド俳優部門で売上1位になったそうですね。

蒸気機関車の「赤ナンバープレート」とは? 映画撮影用に特別に運行を許可されたプレートのことですか?

いかに娘を励ますためとはいえ、個人的理由で汽笛を勝手に鳴らすのは職務規定違反ではなかっただろうか。それとも、当時、天下の「国鉄」はそれほどおおらかな職場だったのだろうか。
現在だったら、沿線住民から苦情が殺到するはず。

「衝突事故場面の ロケに使われた C56123号機ですが、その後 1973年1月本当に 和倉駅付近で事故に遭い そのまま休車⇒廃車となってしまいました」の記事には不謹慎ながら久しぶりに大笑いしました。
この本当の事故で死傷者はいなかったのでしょうね(祈り)。

赤松 幸吉 | URL | 2021-05-02(Sun)15:30 [編集]


Re: 父ちゃんのポーが聞える

赤松様 コメントありがとうございます。

色地のナンバープレートは赤や青などがあって、新製時のプレートを付け換えたものです。
撮影用列車に付けたものではなく、取り換えた事情は様々ですが 他の機関車同様に使われていました。

本文記載の様に(ふるさと列車おくのと号)の為に 取り換えたと思われますが、実際には C58140のみ使われました。

確かにトンネルを抜けた地点で汽笛を鳴らすのは規定外ですが、住宅地でもなく おおらかな職場だったのでは?

テツエイダ | URL | 2021-05-03(Mon)23:36 [編集]


能登の鉄道

この映画は中学生の時に城端線福光駅の近くにあった映画館で観ました。それぞれの写真からシーンの記憶が蘇りました。ナレーションでは確か高山線沿線が舞台だったかと。DVD化が待たれます。高岡機関区からのSLは昭和44年にDL化され、金鉄局管内で最後まで蒸気が残ったのは、七尾、敦賀第一(小浜線)だったと思います。当時の七尾線はキハ20や急行型のDC、七尾港の貨物などが走り、キハ10やキハ35、C11~DE10がメインだった城端・氷見線と比べて、亜幹線のようなスケールを感じていました。

京葉帝都 | URL | 2021-05-06(Thu)15:13 [編集]


Re: 能登の鉄道

 京葉帝都 様  コメントありがとうございます。

原作者 松本則子さんが転院した富山県の高志学園は高山本線に近いので、父親は運転する蒸機が近付いた地点で3度汽笛を鳴らして励ましていたそうです。

PS.でも書きましたが、撮影当時の事情で高山本線ではなく 蒸機が残っていた七尾線でロケが行われた様です。

その後DC転換教育を受けた父親は、城端線でDCの運転をしていたそうです。
6枚目の画像は C11形蒸機が牽いていますから、或いは城端線の 古い映像を使ったのかもしれませんね。

メールフォームの下にある検索フォームに 七尾線を入力されますと、(112 君に幸福を)の七尾港貨物線らしき画像が出ています。  今後も宜しくお願い致します。

テツエイダ | URL | 2021-05-07(Fri)22:36 [編集]


この映画、(失礼ながら)鉄道シーン、登場する機関車よりも、とにかくどうしようもなく悲しいはなしですよね。
観たのはけっこう最近のことだったのですが、もう涙が止まらず、最後は号泣です。こうして書いていても目が潤んでくるほどで…。ひとりで観て本当によかった、と思いました。
わたしにとっては、“火垂るの墓” と並ぶ悲しい映画です。

鉄道青年 | URL | 2021-05-08(Sat)15:05 [編集]


Re: タイトルなし

 鉄道青年 様  コメントありがとうございます。

カラー作品で悲話が続きましたね。
 
作中で父親は 事故で入院し 娘の最後に会えなかったのですが、実際にも父は 城端線で事故に遭い 娘の詩集出版に 立ち会えなかった等の偶然が重なっています。

テツエイダ | URL | 2021-05-08(Sat)18:08 [編集]


忘れられない映画

いつも懐かしい映像・解説を拝見しています。
この映画は小学生の時、小学校の木造の講堂(体育館的なスペース)で「映画会」として見ました。娘さんが、最後、発作のため、ナースコールのボタンに手が届かず絶命するところで、みんな泣いていました。七尾線でロケされたとかは、今まで全く気がつきませんでした。七尾線は大人になってから「冬の北陸きらめき号」のC56を撮影しに何年も通いました。
見て10年後くらいに、あっち系映画館のポスター「温泉おさな芸者」に吉沢京子さんが出ていて、ショックを受けました。
映画の背景など、よく分かりました。ありがとうございました。

赤ブースト | URL | 2021-05-09(Sun)13:44 [編集]


お目汚しの自己レス、申し訳ありません。
「「温泉おさな芸者」に吉沢京子さんが出ていて、」のところが気になってネットで検索しましたところ、その事実は確認できませんでした。私の記憶違いと思います。申し訳ありませんでした。

赤ブースト | URL | 2021-05-09(Sun)21:09 [編集]


Re: 忘れられない映画

 赤ブースト様 コメントありがとうございます。

昔観た時に落涙した思い出等のコメントが、今回複数の方から寄せられました。
それだけ脚本と役者が素晴らしく、印象深い作品となったのでしょう。

今後もコメント宜しくお願い致します。

テツエイダ | URL | 2021-05-09(Sun)22:23 [編集]


半世紀前の思い出

テツエイダ様

本作品は封切時に都内の一番館で見ましたが、配給の不手際によって妙な体験をしましたので、半世紀前の笑い話(私自身は笑えませんが)として披露させてください。

併映は三島由紀夫の「潮騒」で、公募による新人男女が主役を演じる超リアリズム作品でした。その劇中に登場する三枚目の恋敵を佐々木勝彦が演じており、ハチに襲われて逃げまどう滑稽なシーンもあるのですが、あろうことか本作品のパン屋の好青年と同一俳優なのです。「潮騒」に続いて本作品が上映されたところ、スクリーンに好青年が登場したとたんに場内は失笑の渦がさざ波のごとく広がり、それまでに醸成された感情の高まりに冷水を浴びせられた私は、「こら東宝!! なに考えているんだ」と、大いなる怒りを覚えました。まぁ、現在の冷静な頭で振り返れば、我が憧れの吉沢京子が淡い恋心を抱いた好青年に対する個人的な嫉妬も、怒りの要素の一部であった点は否定しませんが…。ついでながら上映終了翌日にこの映画館へ再度出向き、本作品の大判ポスターをもらい受けてニヤついたのは、懐かしい思い出です。

もちろん併映作品における演者のダブり(しかも方向性が全く異なる)は配給元の失策であって、本作品の魅力を損なうものではありません。いやむしろ、封切後に単独でご覧になって感涙にむせんだ経験をお持ちの方は、素直にうらやましいと思います。

73おやぢ | URL | 2021-05-11(Tue)19:09 [編集]


Re: 半世紀前の思い出

73おやぢ 様 コメントありがとうございます。

佐々木勝彦の 本作内における役所は 主人公の初恋の人であり 生きる希望でもあっただけに、1971年版「潮騒」を観た直後に73おやぢ様が受けた衝撃は 大きかったことでしょう。 後日大判ポスターを、もらい受けられた点が救いでしたね。

佐々木勝彦にとっても「潮騒」は 映画初出演作品だっただけに、2番目に出演した 本作の方が 印象深い作品だったと思われます。

テツエイダ | URL | 2021-05-11(Tue)22:26 [編集]


C56の形式入りプレート

テツエイダさま、みなさまこんばんは

C56 123号機がほとんど「主演」のように出てきますが、決まったところで汽笛を鳴らすというのは、この時代も今も時々ありますね。
私も熱海駅でクモニ83形を撮影していたら、運転士さんが「ポッ」と発車時に汽笛をならしてくれました(もちろん私の撮影時代には、発車時に警笛をならしたりはしません)。
C56のナンバーは、映画撮影用に赤に塗り替えたとのこと。この種の塗り替えは、映画のためというのは珍しいものの、当時機関区によっては、調子の悪い・良いで色を変えていたり、決まった機関車に赤を入れていたなどありましたね。
それもさることながら、C56 123の「形式C56」と入った正面ナンバーが珍しいような気がします。戦前は4面ともナンバーには形式が入っていたのですが、戦時中に金属供出のためと称して、ナンバーを鋳鉄や板などに交換したりしたため、形式入りのナンバーは大半失われたものの、機関区によってはテンダーに回したりして温存し、戦後再び正面に付け直した例がありました。
本機のナンバーは、そのようなものかわかりませんが、貴重なものであることは間違いありません。
事故廃車後保存されていたようですが、1997年に解体されたとwikipediaにはありますね。

すぎたま | URL | 2021-05-16(Sun)05:03 [編集]


Re: C56の形式入りプレート

すぎたま様 コメントありがとうございます。

映画撮影用に赤に塗り替えたのでしたか ふるさと列車おくのと号の記事で、「C58140号機は赤ナンバーに取り替えた」との記載があったので、こちらもかと思って書いたのでした。

テツエイダ | URL | 2021-05-17(Mon)11:05 [編集]