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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

331.裸の十九才

1970年10月 東宝配給 公開  近代映画協会 製作  監督 新藤兼人

極貧家庭の 7子三男に育った 山田道夫(原田大二郎)の 幼少期から 拳銃を手に入れ 連続殺人事件を起こす迄と、母タケ(乙羽信子)の 極めて不幸な 生涯を描いた セミドキュメンタリー映画です。

冒頭 米軍住宅へ空巣に入り、拳銃と実弾一箱を手に入れる山田です。そこから中学時代のマラソン大会優勝シーンに続けて、岩木山をバックに8620形蒸機牽引列車が映ります。
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車内は 集団就職時の回想場面らしく
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教師の引率で上野駅に着くと、中央改札口前の広場で(歓迎東京都)の横断幕や
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(早瀬フルーツ)の幟を持った一団が 出迎えてくれています。
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最初に勤めた所を辞めると、外国船で密航を図るが捕まり 長兄に世話になる。その後 次兄宅で 名古屋の勤め先へ行く母親と姪に会い、大阪の会社へ行くと言った山田は 一緒に新幹線に乗ります。
東海道新幹線で 名古屋駅に到着すると、母と姪は
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急いで山田の席の所へ行って 見送ります。
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しかし米屋・クリーニング屋・電器店と長続きせず、自衛隊員に応募するも 不合格となりました。

再度上京し 都心のホテルでフラついたところを 警備員に捕まり、思わず手持ちの拳銃で 射殺してしまいました。続いて連続拳銃射殺少年逮捕の、新聞記事が映る時点まで話は飛びます。
五能線の細柳駅に 気動車が到着すると、
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待ち構えた大勢のマスコミが 降りて来た母親のタケに 話を聞こうと殺到します。
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二人の警官がタケをガードして 出口へ向かいますが、跨線橋を渡ると 線路に飛び降りて先回りしようとする一団まで現れて
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改札口でへたり込んでしまうタケでした。
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そこから極めて不幸な タケの生涯が映ります。不幸な生い立ちから リンゴ剪定職人の山田半次郎(草野大悟)と 結婚したタケですが、1945年9月に 網走駅へ復員帰還すると
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早速警察沙汰を起こす半次郎でした。
その後も博打に明け暮れ、7人の子供を残して 行方不明となる半次郎。オマケに 定時制高校に通う長兄が、同級生に産ませた 赤ちゃんを残して 駆け落ちしたのでその子を引き取る始末です。

そしていよいよ残金も少なくなったタケは 青森へ帰れば金になる働きが出来ると、「二人分の汽車賃しかないので オラと絹江で小さい二人を連れて行き 働いて 呼びに戻って来る」と提案します。
雪が舞い散る 網走から旅立つ日、タケと絹江は 共に幼児をおんぶして 汽車に乗ります。
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汽笛が鳴り響き 列車が動き出すと、幼い道夫は
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「母ちゃんオラも連れていってくれよ」と叫びながら 追い駆けるのでした。
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続いて新幹線で逃避行する時点に飛び、331-21.jpg
山田はデッキへ移動して ポケットにある拳銃を確認しています。そして京都で降りて 八坂神社へ向かった山田は、行動を咎められた警備員を 又しても射殺してしまいます。

次に 山田が二年遅れて中学三年生となった時点に戻り、青森の家に 10年ぶりに現れた父を 山田は家に入れませんでした。その後 岐阜から電報が来て母と岐阜駅へ向かうと、
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父 半次郎の遺骨を持ち帰る旅となりました。

終盤 集団就職に旅立つ場面に戻り 遅れて漸く駅に着いたタケは ホームを走って、
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動き出している汽車の 窓から顔を出している山田と 必死になって別れの言葉を交わすのでした。
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続いて 逃避行の旅で上野駅に現れた山田は、331-26.jpg
14・15番線ホームで
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早瀬フルーツ時代の同期 柳田に偶然再会します。彼も早瀬フルーツを辞めた後、転々と職を変えたけど ダメで秋田に帰るそうです。
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「今は大阪の会社員で、北海道出張の途中だ」と嘘をついた山田は、遠回りながら 柳田と同じ奥羽線周りの列車で青森へ向かいます。
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そして青函連絡船から 函館本線に乗り継ぎ網走へ着くと、
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懐かしいが 廃墟になったの生家に辿り着きます。この地で 自殺するつもりだった山田は 考えを変えますが、その時 釧網本線らしきを走るC58形らしき蒸機が映ります。
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それから 網走発函館行の 鈍行列車に乗って函館に着くと、
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第三の犯行を犯して 青森の実家へ行きます。ここで僅かばかり滞在して 細柳駅へ行くと、丁度到着した 反対方向の気動車から 中学時代憧れていた林咲江(鳥居恵子)が降りてきました。
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嘘だらけの近況を話すと、到着した気動車に乗ります。
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そして名古屋へ行くと
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姪のひろこが働いている様子を覗いただけで、第四の犯行に及び 何故かここで 貨物列車を牽く蒸機のカットが入ります。
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その後 名古屋駅で立ちんぼをしている 友子(太地 喜和子)と知り合い、
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新宿へ一緒に行って 束の間同棲します。
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その後盗みに入った会社で警備員に見つかり、第五の犯行に至るのでした。







PS.
 岩木山をバックに 8620形蒸機が走るカットから 五能線が思い浮かびますが、作中で仮名の細柳も 板柳駅でロケが行われたと思われます。(それにしても加害者の母親に取材する 報道陣の凄まじいこと!)

 ロケ当時 五能線では 旅客無煙化が進み、僅かしか蒸機牽引列車はありませんでした。集団就職に出発する場面の 行程を想像すると、板柳 17:20発 ―(1739レ)― 17:40川部 17:52―(637レ)― 18:55 青森 21:30―(208レ急行十和田6号)― 9:51 上野

 初めて新幹線に乗った場面で(ひかり47号)と放送しているので、東京 13:40発―15:40 名古屋 15:42―16:50 新大阪(当時は大阪万博開催時で16輛化されています)

 食い詰めたタケが網走から青森へ向かう場面は、五能線の川部駅でロケが行われています。(安直な気がしますが、悲壮感漂う別れのシーンは一級品ですね。)

 逃避行中に 上野駅ホームで 早瀬フルーツ当時の 同期柳田に会いますが、14番線なので 当初山田は 19:00発の(101レ急行八甲田2号)―6:15 青森着で行くつもりだったと思われます。

 しかし秋田へ向かう柳田と 同行しようと 19:35発奥羽本線周りの(401レ急行津軽1号)に乗ったので、終着青森には 10:01と4時間近く遅くなりました。(津軽1号は 17番線発だったのですが)
 津軽1号は北海道連絡を 想定していないので待たされ、青函連絡船は 12:15発の 21便―16:05 函館 16:25―(21D特急北斗2号)―20:46 札幌 22:05―(517レ急行大雪6号)―7:58 網走(作中の様子に合います)

 生まれ故郷の地で 自殺しようと来た網走でしたが、思い直して「函館行の鈍行に乗った」と語ります。 これを探すと網走 20:40―(普通1528レ 途中の北見~札幌は518レ急行大雪6号・札幌~函館は普通124レ)―16:35 函館

  最後に実家へ寄った後 細柳駅ホームで、憧れの林咲江に 偶然会います。混雑を避けて 夏休み中の早朝に撮影したと考えると、板柳 6:07着の 724D東能代行から林咲江は降りて山田が乗り込んだ キハ22形気動車は 6:08着発の 1721レ弘前行と思われます。




当ブログでは 貧困映画を数々取り上げてきましたが、本作は 一二を競う貧困度ではないでしょうか。永山則夫事件を題材にしていて 貧困が事件の原因だとは短絡しませんが、父 山田半次郎が負うべき責任は重いでしょう。


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コメント


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裸の十九才

日本中を震撼させた「永山則夫連続射殺事件」(1968年10月~11月)を題材とした新藤兼人の力作(青春映画といってもよい)で、実際の事件後すぐに(たった1年あまり後)映画化しているところが凄く、観る者は血の気が引く。

永山は、東京(10月11日)、京都(10月14日)、北海道(10月26日)、愛知(11月5日)のわずか1ヶ月足らずの間にまさに日本縦断しながら、4人も射殺している。

長距離バスなどなかった時代では、永山はおそらく映画のように移動に鉄道を利用したのであろう。

主人公(原田大二郎)が日本中をあちこち動き回るので、その分列車や駅でのシーンがかなり多く、70年代の鉄道ファンにはこれ以上ない、絶好の鉄道映画だろう。

5枚目の映像では新幹線の車両に70年万博のロゴマークが張ってあるのに気づく。
そうか、こんな風にもキャンペーンしていたのか。

29枚目の写真「何故かここで 貨物列車を牽く蒸機のカットが入ります」
このシーンはまったく覚えていないが、新藤監督のような名匠が何故無関係のショットを挿入したのだろうか。
ひょっとしたら、この貨物列車のどこかに山田(原田大二郎)が潜り込んで目的地に向かっていると匂わせたかったのではないか。

このブログでの貧困映画No1は「269.サムライの子」ではないでしょうか。

赤松 幸吉 | URL | 2021-03-07(Sun)18:46 [編集]


Re: 裸の十九才

赤松様 早々のコメントありがとうございます  確認・返信が遅くなりました。

70年万博は小生にとっても、初の長旅で忘れない思い出があります。
行きは新幹線で楽々 帰る日は夕方まで会場に居て、大阪20:58発の急行瀬戸1号での帰京でした。(全て親父の計画)

新幹線の乗降口に万博のロゴマークが、張ってあったのは覚えています。また帰りの大阪駅は 何を待っているのか、人々でやたらと混んでいました。(夏休み中は最終の新幹線に 乗り切れなかった客の救済用に〈エキスポこだま〉なる臨時列車が 大阪⇒東京であり、大阪~三島を旧客で走り 三島で本来回送の新幹線に乗り継ぎ 東京へ送るという 奥の手リレー号までありました)

赤松様にとっては、本作は貧困度№2でしょうか  
 作中 タケが長女と青森へ向かった後、残された網走の家に大家と民生員が訪問した場面は強烈でした。戸を開けるなり「こりゃ酷い」と呻き、小さい道夫と四女が乾麺をしゃぶっている奥で次女と三女は顔色悪く痩せて衰弱した様子です。

 残った僅かな食材を小さい二人に与え、二人の姉は寝て我慢している様に見えるシーンが印象的でした。

テツエイダ | URL | 2021-03-09(Tue)10:26 [編集]


「罰」なのか、「償い」なのか?

 テツエイダ 様

 ED76であります。

 小生、小学3年生の木曜日は、なぜか母の夕食後の行動をよく覚えています。なぜなら、午後7時までに夕食の後片付けを済ませて入浴。そして、午後8時には、必ず祖母と母がそろってTVの前に座って「ありがとう」というドラマを観ていたからです・・・。 
 このドラマの名脇役であった看護婦長役を演じていたのが、本作の犯人「原田大二郎」氏の薄幸な母親を演じている「乙羽信子」様であります。「草野大悟」氏演じる夫に振り回され、息子の凶行に身を挺して、マスコミと対峙する母親の姿とは、対照的なまでの「ありがとう」の溌剌とした演技。
 さらに、「絞殺」では殺害された溺愛する息子に乱暴されそうになり、果てには精神的に壊れてしまい自死に追い込まれた母親役と、「乙羽」様の幅広い演技力は筆舌に尽くし難いものではないでしょうか。本サイトの「乙羽」様の他の作品も、出来れば何とか鑑賞してみたいものです。


 さて、「鉄」的には、全国を放浪する「原田大二郎」氏の姿から、往年の国鉄の香りが強く強く感じられます。小生の心に残るのは、網走から津軽に決死の旅立ちの場面が印象的ですね。最貧の暮らしを立て直す一心で、鈍行レで旅立つ母親。物悲しい「網走駅」のフォームを離れる列車を、必死に追いかける幼子の姿。実際の「永山」氏(凶悪犯ですが、刑を執行された後ですので・・・)も、このように母を追いかけたのでしょうか。絶望という言葉では、描き切れない「何か」が溢れており、小生は泣くこともできず、ただ茫然と映像を観るだけでした。しかし、よく見れば網走発の旧客レの所属区が「秋アキ(秋田客車区)」とあっては、「言葉では表現しきれない思いを返してほしい」と小生思わず、がっかり・・・(奥羽本線の「川部駅」辺りのロケですね)。
 また一方、五能線での「キハ10」や「キハ22」は、津軽のローカル線に似合うと言ったら失礼かもしれませんが、夏の「板柳駅」の風景にマッチしており、あの独特の「ガジャガジャ~」のエンジン音と相まって、幼いころの昭和の旅路を小生に思い出させてくれました。


ところで、古風なDC「キハ10」は、当地では昭和30年代の初頭に「宗谷本線」で運用されていましたが、牽引機の不足等から「塩狩峠」を超える運用に、「キハ+キハ+PC×2」という驚くべき編成があったようであります。現在、もしも雪深い峠を超えるこの編成が運転されていたのであれば、きっと「撮り鉄」の方々の注目の的になること請け合いであります。


 P.S
  「貧困」は事件の動機の一部でしょうが、それが全てだという考え方には、憤りを感じます。一方、「無知の涙」の完成度を鑑みるに、何とか彼を救う手立ては本当になかったのだろうかという疑問も・・・。これ以上は本サイトから外れてしまいそうですので、筆を擱かせていただきます。


 失礼いたします。


ED76 | URL | 2021-11-12(Fri)20:17 [編集]


Re: 「罰」なのか、「償い」なのか?

ED76様 コメントありがとうございます。

乙羽信子さんは当ブログでは8作品に出演しています。(検索フォームでどうぞ)

キハ+キハ+PC×2 なんて編成が存在したのですか。ローカル私鉄で見かけた電車+貨車より珍しいですね。



テツエイダ | URL | 2021-11-12(Fri)22:08 [編集]