
1953年4月 新東宝 配給 公開 製作 近代映画協会 監督 新藤兼人
東京佃島の 靴直しの貧困家庭に育った銀子(乙羽信子)は 千葉の芸者置屋に売られ、牡丹の名で働くが 虐待され 越後高田の置屋へ斡旋されたが 土地の旦那に裏切られ等々 悲しい女の一生を描いた映画です。
中盤千葉の置屋主 磯貝(菅井一郎)に 千葉医大の医師 栗栖(沼田曜一)との仲を裂かれた銀子は、周旋屋 桂庵の山田(殿山泰司)から 越後高田から迎えが来ると 斡旋されて 夜汽車で向かいます。
雪原の単線を 淡々と進む蒸機が牽く 客車列車が映り、

続く車内シーンでは、眠れない銀子が、ぼんやりと 暗い窓の方に向いています。

窓からは深く積った、雪景色が延々と続いています。

すると夜汽車の車内シーンに再び戻り 迎えにきた女(清川玉枝)がミカンを渡し、

「三・四か月大人しく働いていれば、きっと誰か 面倒を見てくれる人がみつかるよ」と話し「今頃町は選挙で大騒動さ」と続けます。
高田の町で 寿々龍と言う名で お座敷に出た銀子は 倉持(山内明)という 地元で一二の旦那に見初められ、前借を始末してくれて 月々の手当てまで付けて 当分は駅近くの鈴亭で会うことになります。
夜の高田駅を出発した D51 404 蒸機が牽く客車列車が

轟音と共に通過して行くと、

右手にある 鈴亭旅館二階の窓から 銀子が列車を見ていました。

その後 倉持は結婚しようと、持ち出した 母親の指輪を渡したりします。しかし母親(英百合子)が乗り出し、「芸者を嫁に迎えることは出来ない」と通告されてしまいます。
尚も倉持は 銀子の気を引く様なことを 言いつつ、ある日の新聞で 名家令嬢との結婚を知ることとなる銀子でした。
PS.
1枚目の画像は 雪原の単線を単機で進む 列車を映していますが、信越本線らしく 単線とはいえ ハエたたきの通信線の多いこと然りですね
D51 404 蒸機は ロケ当時、直江津区に所属して、信越本線 長野迄の急勾配難所区間を 走っていた様です。
本作公開後の 1953年5月に 長野工場で、重油併燃装置を取り付けて パワーアップしているので 改造直前の姿です。
本作の時代設定は 大正末期とも考えられますが、1月21日に公示されて 投票日が 2月20日だった 第1回普通選挙とも言われた 第16回衆議院議員総選挙が行われた 1928年2月として銀子が乗った列車を推察します。

時間表 1930年版から見ると 夜行列車で行きましたので、上野 22:40 ― (米原行 603レ) ― 8:50 高田 が考えられます。(当時は 24時間制ではなく、午前細字・午後太字で表記)
夜間ロケで映した D51 404 蒸機が牽く列車は、上野始発の 315レ柏崎行が 高田19:27発なので想定されます。
1953年当時は 意外にも 新井始発で 直江津行921レ(高田18:42)と 高田20:11始発の直江津行の923レが 前後して気動車キハ42000形・キサハ40800形(共に直江津区)で運行されています。
東京佃島の 靴直しの貧困家庭に育った銀子(乙羽信子)は 千葉の芸者置屋に売られ、牡丹の名で働くが 虐待され 越後高田の置屋へ斡旋されたが 土地の旦那に裏切られ等々 悲しい女の一生を描いた映画です。
中盤千葉の置屋主 磯貝(菅井一郎)に 千葉医大の医師 栗栖(沼田曜一)との仲を裂かれた銀子は、周旋屋 桂庵の山田(殿山泰司)から 越後高田から迎えが来ると 斡旋されて 夜汽車で向かいます。
雪原の単線を 淡々と進む蒸機が牽く 客車列車が映り、

続く車内シーンでは、眠れない銀子が、ぼんやりと 暗い窓の方に向いています。

窓からは深く積った、雪景色が延々と続いています。

すると夜汽車の車内シーンに再び戻り 迎えにきた女(清川玉枝)がミカンを渡し、

「三・四か月大人しく働いていれば、きっと誰か 面倒を見てくれる人がみつかるよ」と話し「今頃町は選挙で大騒動さ」と続けます。
高田の町で 寿々龍と言う名で お座敷に出た銀子は 倉持(山内明)という 地元で一二の旦那に見初められ、前借を始末してくれて 月々の手当てまで付けて 当分は駅近くの鈴亭で会うことになります。
夜の高田駅を出発した D51 404 蒸機が牽く客車列車が

轟音と共に通過して行くと、

右手にある 鈴亭旅館二階の窓から 銀子が列車を見ていました。

その後 倉持は結婚しようと、持ち出した 母親の指輪を渡したりします。しかし母親(英百合子)が乗り出し、「芸者を嫁に迎えることは出来ない」と通告されてしまいます。
尚も倉持は 銀子の気を引く様なことを 言いつつ、ある日の新聞で 名家令嬢との結婚を知ることとなる銀子でした。
PS.
1枚目の画像は 雪原の単線を単機で進む 列車を映していますが、信越本線らしく 単線とはいえ ハエたたきの通信線の多いこと然りですね
D51 404 蒸機は ロケ当時、直江津区に所属して、信越本線 長野迄の急勾配難所区間を 走っていた様です。
本作公開後の 1953年5月に 長野工場で、重油併燃装置を取り付けて パワーアップしているので 改造直前の姿です。
本作の時代設定は 大正末期とも考えられますが、1月21日に公示されて 投票日が 2月20日だった 第1回普通選挙とも言われた 第16回衆議院議員総選挙が行われた 1928年2月として銀子が乗った列車を推察します。

時間表 1930年版から見ると 夜行列車で行きましたので、上野 22:40 ― (米原行 603レ) ― 8:50 高田 が考えられます。(当時は 24時間制ではなく、午前細字・午後太字で表記)
夜間ロケで映した D51 404 蒸機が牽く列車は、上野始発の 315レ柏崎行が 高田19:27発なので想定されます。
1953年当時は 意外にも 新井始発で 直江津行921レ(高田18:42)と 高田20:11始発の直江津行の923レが 前後して気動車キハ42000形・キサハ40800形(共に直江津区)で運行されています。
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