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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

329.縮図

1953年4月 新東宝 配給 公開   製作 近代映画協会  監督 新藤兼人

東京佃島の 靴直しの貧困家庭に育った銀子(乙羽信子)は 千葉の芸者置屋に売られ、牡丹の名で働くが 虐待され 越後高田の置屋へ斡旋されたが 土地の旦那に裏切られ等々 悲しい女の一生を描いた映画です。

中盤千葉の置屋主 磯貝(菅井一郎)に 千葉医大の医師 栗栖(沼田曜一)との仲を裂かれた銀子は、周旋屋 桂庵の山田(殿山泰司)から 越後高田から迎えが来ると 斡旋されて 夜汽車で向かいます。
雪原の単線を 淡々と進む蒸機が牽く 客車列車が映り、
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続く車内シーンでは、眠れない銀子が、ぼんやりと 暗い窓の方に向いています。
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窓からは深く積った、雪景色が延々と続いています。
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すると夜汽車の車内シーンに再び戻り 迎えにきた女(清川玉枝)がミカンを渡し、
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「三・四か月大人しく働いていれば、きっと誰か 面倒を見てくれる人がみつかるよ」と話し「今頃町は選挙で大騒動さ」と続けます。

高田の町で 寿々龍と言う名で お座敷に出た銀子は 倉持(山内明)という 地元で一二の旦那に見初められ、前借を始末してくれて 月々の手当てまで付けて 当分は駅近くの鈴亭で会うことになります。
夜の高田駅を出発した D51 404 蒸機が牽く客車列車が
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轟音と共に通過して行くと、
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右手にある 鈴亭旅館二階の窓から 銀子が列車を見ていました。
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その後 倉持は結婚しようと、持ち出した 母親の指輪を渡したりします。しかし母親(英百合子)が乗り出し、「芸者を嫁に迎えることは出来ない」と通告されてしまいます。
尚も倉持は 銀子の気を引く様なことを 言いつつ、ある日の新聞で 名家令嬢との結婚を知ることとなる銀子でした。






PS.
 1枚目の画像は 雪原の単線を単機で進む 列車を映していますが、信越本線らしく 単線とはいえ ハエたたきの通信線の多いこと然りですね

 D51 404 蒸機は ロケ当時、直江津区に所属して、信越本線 長野迄の急勾配難所区間を 走っていた様です。
 
 本作公開後の 1953年5月に 長野工場で、重油併燃装置を取り付けて パワーアップしているので 改造直前の姿です。

 本作の時代設定は 大正末期とも考えられますが、1月21日に公示されて 投票日が 2月20日だった 第1回普通選挙とも言われた 第16回衆議院議員総選挙が行われた 1928年2月として銀子が乗った列車を推察します。
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 時間表 1930年版から見ると 夜行列車で行きましたので、上野 22:40 ― (米原行 603レ) ― 8:50 高田 が考えられます。(当時は 24時間制ではなく、午前細字・午後太字で表記)

夜間ロケで映した D51 404 蒸機が牽く列車は、上野始発の 315レ柏崎行が 高田19:27発なので想定されます。
 1953年当時は 意外にも 新井始発で 直江津行921レ(高田18:42)と 高田20:11始発の直江津行の923レが 前後して気動車キハ42000形・キサハ40800形(共に直江津区)で運行されています。


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コメント


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縮図

新藤兼人+乙羽信子コンビの初期の名作。
You tube「Kaneto Shindo - Shukuzu 1953」で無料で鑑賞できます。

とにかく、乙羽信子が可愛い。

4枚目の写真で、「ミカンを渡した女」となっているが、個人的には大好きな女優なので「清川玉枝(ムーミン・ママ)」を追記して欲しかった。

その玉枝さんの座っている窓脇にミカンが3個、袋詰めで置いてありますね。
ミカンと言えば、汽車旅行に携行する定番の果物でした。

本作の時代設定は戦前と思われますが、8枚目の高田市の街並みを見ると、映画看板に1953年制作の「女といふ(城)」(新東宝 乙羽信子出演)、また映画館「高田シネマ」は開館が1946年なので、時代的にずれています。

新藤兼人もこれには余り注意を払わなかったのでしょう。

「当時は 24時間制ではなく、午前細字・午後太字で表記」
へぇ~、そうだったの。

赤松 幸吉 | URL | 2021-02-08(Mon)16:28 [編集]


Re: 縮図

 赤松様 コメントありがとうございます

清川玉枝さんでしたか「ミカンを渡した女」は! 昔の邦画でよく見かける女性でしたが、これは失礼しました 追記致します。

「女といふ(城)」は新東宝が1953年1月15日に配給公開した作品で、1953年2月に高田ロケした時にこの看板が映る様に撮影したのですね。

テツエイダ | URL | 2021-02-09(Tue)18:40 [編集]