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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

326.赤いカンナの花咲けば

1955年8月 東京映画 製作  東宝 配給 公開   監督 小田基義

 終戦直後の満州で 佐伯房子(市川春代)に赤ちゃんを託して 生き別れることになった母と娘が、度重なる擦れ違いの末に ラジオの公開放送で再会に至る 感涙ドラマ映画です。

 冒頭 南満州鉄道 奉天駅で 引揚列車の長物貨車に漸く乗れた佐伯房子は、
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「伝染病に罹患しているので乗れない」と言うだけの女性から 赤ちゃんと目印のボタンを託され帰国します。
 その後 1955年 夫が亡くなった房子は 貸し本業を生業に 真鶴で十歳になった長男 健太(小畑やすし)長女 トモ子(松島トモ子)と住んでいますが、兄妹の誕生日が半年しか違わないので 健太は貰いっ子と噂されてます。

 ふとしたことから 自分が実子でないことを知って 飛び出したトモ子を追った房子は 踏切事故に会ってしまい、「母親から託された時 形見のボタンも渡され箪笥に大事にしまってある」と トモ子に告げて 亡くなってしまいます。
 そして健太は 近所に住む房子の姉 山田たき(馬野都留子)の所へ預けられ、トモ子は 東京の伯父 白木直助(藤原釜足)が引き取ることになりました。

東海道本線 真鶴駅舎が映り
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ホームでは、ベンチにトモ子と白木が座って 列車を待っています。そこへ健太とたきが 見送りに駆け付けて来ました。
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やがて 戦時型 EF13形電機らしきに牽かれた 上り列車がやって来て
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原木置き場前に停車します。
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トモ子達が手を振る中 発車すると、
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健太とたきは 手を振りながら追い駆けます。
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そしてホーム端の 駅名板横で止まって 健太は手を振り続けて見送るのでした。
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東京駅丸の内降車口から 出て来たトモ子は、初めての大都会で駅前にそびえ立つ 丸ビルに驚いています。
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その後白木は 新日本観光 丸の内営業所で バスガールとして働く 娘の弓子(清水谷洋子)にトモ子を託します。
それから 山手線大崎駅ホームに有る 鉄道弘済会の売店で、店番を任せていた女性から引継ぎをします。
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しかし その様子を密かに見ていた男に、帰り道に売上金を 掏られてしまう白木なのでした。

 弁償金を工面する為 今の はとバスで バスガールとして働く弓子は、スキルアップの為 学費を納付していた 英語学校へ返金願いに行き 講師の矢代早苗(三條美紀)に助けてもらいました。
 その縁で早苗の誕生日会に招かれた弓子は、トモ子を伴って最寄り駅で友達と待ち合わせます。
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しかし友達は 母親の急病で参加辞退を伝え、会場入口まで行っても 会社の制服で来た弓子は 気後れしトモ子と電車の上を越える陸橋をトボトボ歩いて帰るのでした。
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PS.
  松島トモ子主演で 児童映画の色合いもあるので、キネマ旬報だけでなく 当時の児童雑誌・女学生向け雑誌等でも紹介されています。ラジオ東京(現TBSラジオ)の協力に依って、お涙頂戴の 公開放送での ラストシーンで収めています。

  また今年話題の 故 古関裕而が 主題歌の作曲だけでなく、全編に渡って流れるBGMを ハモンドオルガンで 自ら演奏している点も驚きですね。

  満鉄の引揚列車シーンで 佐伯夫妻は 長物貨車に乗りますが、1706と標示しているので 国鉄のチキ1500形貨車と思われます。乗り降りが容易で冒頭のシーンには 打って付けですが、走行中を想像すると・・・

  真鶴駅前は 現在とは隔世の感があるなと 思っていましたが、駅舎の形とホームから海を臨める点からも 根府川駅でロケが行われたと思われます。小生を含めて現地を知る人には、あまりに違う駅環境に違和感を感じたことでしょう。

  駅舎の駅名板を替えてまでして真鶴に拘ったのは、脚本家 清水信夫の真鶴の町に対する思い入れからだったのでしょうか。監督としては、風光明媚な隣の根府川でのロケを主張したのでは?

  惜しむらくは ホームで見送る二人の横に 演出として設置した駅名板が、真鶴の隣駅として 根府川らしきの反対側が 美術さんの勘違いか 湯河原ではなく熱海となっている点ですね。

  東京駅丸の内北口から降車したトモ子が 実際 目の前に見たのは二年後の完成に向けて建築中の新丸ビルであって、丸の内南口から出ないと 丸ビルは目の前にありません。

監督は降車口の看板をバックに 撮影したかった様で、実際には 1948年6月から 丸の内南北の改札口 何れからでも 乗降できる様になっていたそうです。

  弓子とトモ子が 友人を待っていた駅の改札口は、話の流れから 小田急電鉄 成城学園前駅でしょうか? 最後の画像のロケ地は 数々の映画で登場している、成城学園前から喜多見方向の切通し区間から 平地への出口となる場所と思われ 小田急電鉄の1800形らしき2連が走っています。

 花実牛様からのコメントで 二人が渡るこの橋は、(富士見橋)であり 前方に見えてる橋が (不動橋)だそうです。

  殆どの作品では 弓子とトモ子が渡る 富士見橋の前方に見えてる、人道橋の様に幅の狭い 不動橋で撮影されています。
この橋の上からの方が、眺めが良くて 昔の名撮影地でした。その後に新設された 喜多見検車区への連絡線が交差していて、現在では 画像の様に見晴らしの良い 映像の撮影は出来ません。



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コメント


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赤いカンナの花咲けば

これは三益愛子の「母ものシリーズ」の系統に属する作品で、三益の娘をよく演じていた三条美紀がこの映画では松島トモ子の母親役となっている。

松島トモ子といえば、当時のどの少女雑誌を見ても、その表紙・グラビアを飾る超人気子役だった。その売れっ子ぶりはケタ外れであったが、成長するにつれて、小じゃれた可愛さだけでは通じなくなって、人気も薄れていった。

「真鶴」の駅名板には久しぶりで笑いこけました。確かに「熱海」の手前に「湯河原」駅がありますね。
しかも、駅名表示の字体(フォント)も丸ポップスのアート調で、実際はもっと太字でどっしりと書かれていたはずです。

セリフから「まいづる」と聞こえたので、最初は京都府の「舞鶴」と思ったが、「真鶴」(こんな駅があったの?)でした。

地図を見るとこれも確かに「真鶴」駅からは海が見えないので、「根府川駅」で撮影されたようですね。「真鶴」の響きの方がポエティックなので、この駅名を使用したのでしょう(「ねぶかわ」の語感の悪さ!)。

東京駅丸の内降車口の撮影もつじつまが合っていないのですね(児童映画だから許しましょう)。丸の内北口と南口の区別は地元(東京)の人でないと気が付かない?

「乗車口」というのは大きな駅で時折見かけるけれど、この「降車口」という表記は地方の者にとっては馴染みがない。

専用の「降車口」があったのは超メガ・ステーション・東京駅だけでしょうか。

赤松 幸吉 | URL | 2020-12-19(Sat)19:15 [編集]


Re: 赤いカンナの花咲けば

赤松様 コメントありがとうございます。

東京映画の美術さんにしては、「真鶴」の駅名板があまりにも新しく 丸ポップスのアート調とのご指摘に同感です。
普通はもう少し古びた感じに、全体を塗装するのでは・・・ 感涙の離別場面なのに地元の方は、「あたみ」の方に目が行きます。

東京駅は開業以来丸の内北口を 降車専用・南口を乗車専用としてきたそうです。この南北の改札口は200m近く離れているので、画像の北口からは 45度左方向へ向かないと見えません。

戦後 進駐軍からも不便との指摘があったのか、1948年には乗降どちらでもOKとなりました。乗車口・降車口の看板は付けたままで1959年頃まで名称としてあった様です。その後現在の丸の内北口・南口と名称変更されました。
 
(323.アチャコ青春手帖東京編)の5枚目の画像では、習慣なのか丸の内南口へ車を付けますが 見送りを終えた愛子は南口から出てきて会えました。

乗車口と降車口がかなり離れている駅は、他に無いように思われます。中央口だけは一貫して貴賓客専用としていましたが、戦前から山手線・京浜線の電車客用に出入口が中央の脇にあったそうです。

テツエイダ | URL | 2020-12-20(Sun)00:06 [編集]


富士見橋と不動橋

昭和40年ごろ、喜多見に住んでいたので、11枚目と12枚目の写真は懐かしく拝見しました。

成城学園前の改札口は、改築前の橋上駅舎ですね。小判型のラッチは、改築後に普通の角形になりました。現在はさらに複々線化に伴いホームが地下化され、橋上駅も廃されて改札口が地上に降りているのはご存じの通りです。

弓子とトモ子が立っている橋は、成城学園前-喜多見間の「富士見橋」、向こうに見えるのが「不動橋」です。不動橋の方が喜多見寄りにあり、おっしゃるとおり富士山をバックにした写真が綺麗に撮れる場所でした。不動橋のたもとにはお不動さんがあって、その境内からもいい列車写真が撮れました。もう半世紀以上前の話です。

花見牛 | URL | 2020-12-20(Sun)10:44 [編集]


Re: 富士見橋と不動橋

花見牛様 コメントありがとうございます。

そうですか やはりあの改札口は、成城学園前駅でしたか。 元地元居住の方にコメントを頂くのが、一番確かですから安心しました。

また弓子とトモ子が渡った橋が「富士見橋」で、前方に見えるのが「不動橋」なのですね。本文のPS.に追記させて頂きます。

テツエイダ | URL | 2020-12-21(Mon)19:08 [編集]