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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

319. 若い狼

1961年2月 東宝 製作 公開   監督 恩地日出夫

故郷に絶望した 少年院帰りの 川本信夫(夏木陽介)は 上京した恋人を追って 東京へ行きますが、真っ当な仕事に付けず ヤクザ組織に入り 暗い結末へ向かってしまう青春映画です

少年院を出た川本が 故郷へ戻ると、地元の基幹産業である 炭鉱は既に閉山し廃墟となっていたのでした。
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付き合っていた 広瀬道子(星由里子)の弟三郎(小林政忠)から 道子の手紙を受け取り上京する場面で、本作鉄道シーンの殆どがあります。

大形蒸機の 動輪が映り、
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客車列車が発車して行きます。二輌目には スロハ31形らしき ロ座ハ座合造車が 連結されているので、仙台~上野を直通する 長距離普通列車でしょうか。
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続いて 常磐線の内郷駅らしきから 出発して行く蒸機牽引列車が映ります。右側には石炭をバラ積した 貨車が並ぶ多くの側線があります。
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そして C60102 蒸機の牽引列車が映り、319-6.jpg
車内では 川本が東京で再会する道子や 今後の事を考えている様子です。
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そして夕暮れのラッシュ時に 友人の福井桂一郎(鈴木和夫)に案内されて 上野駅改札口を出た川本は、
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出札口の横で 久し振りに道子と再会します。
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ところが爆発した様な チリチリパーマ頭で厚化粧の道子を見た川本は、「何だか薄汚い感じだ」と本音を吐いてしまいます。

その後 今度こそと更生すべく 真面目な仕事を探す川本ですが、少年院帰りで 米穀通帳も無いとなると 真面な仕事に就けないことを 思い知らされます。

そんな川本を心配する道子は、柏会幹部 田波一家の有澤芳男(飯田紀美夫)に 組員入りを依頼しますが断られてしまいます。

背後に都電 14系統杉並線の 新宿駅前電停らしきが映り、2000形電車が ピューゲルの先からスパークさせながら 荻窪方面へと去り行く姿があります。
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PS.

 父親は出稼ぎに行ったまま行方不明で 頼りの地元企業 常磐炭鉱は閉山となり 上京しても仕事に就けず、まるで 日活貧困もの青春映画の様な話です。

 当時 内郷駅からロ座を連結した日中の 上野直通普通列車は、仙台始発が 2本と原ノ町始発が1本ありました。
 川本が乗った列車は 上野到着時刻から 仙台 9:30発の 228レが推定され、内郷 13:56発 ~ 上野 19:05着で所要5時間強の長旅でした。

 C60 102号機はロケ当時 C59形から改造したばかりで、水戸区に所属して常磐線の客車列車を牽いていました。

 道子が有澤に頼み事をする場面は 現在の新宿大ガード西交差点前で、今パチンコ屋がある辺りから 都電14系統新宿駅前電停が映っています。
 青梅街道から 靖国通りへと続く大通りなので、当時も数多くの車が行き交っています。西新宿の高層ビル群も無く、空が広いですね。


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コメント


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若い狼

東宝の青春映画となるとこの人(恩地日出夫)か森谷司郎ということになる。
恩地には「めぐりあい」(220.)のようなさわやかな名品もあるが、この映画は松竹ヌーベル・バーグのような先鋭的な性合いを呈している。

今回は「上野駅改札口を出た」とか「出札口の横で」の言葉が気になった。

「改札口」は「(乗車)入り口」と、勿論誰でも知っていて、日常的によく使われるが、「出札口」に関しては、今ではこの言葉を知らない人が多いのではないだろうか。

小生も一瞬「出札口」を「出口」だとイメージしてしまった。

「改札」と「改札口」の言葉や表示は現在でも残っているが、一方、「出札」と「出札口」は今やほとんど使われなくなり、「切符売り場」「きっぷ窓口」などに変更されているのではないか。

古い映画で駅のシーンに「出札口」の掲示に出くわすことがあるが、いつ頃からこの表示は廃れてしまったのだろうか。

若者たちは「出札口」が何を意味するのか知っているだろうか。

いつか、駅の構内で「出札口はどこですか」と、とぼけて若い駅員に聞いてやろうと思っている。

果たして、なんと答えるであろうか。

赤松 幸吉 | URL | 2020-09-13(Sun)14:59 [編集]


Re: 若い狼

赤松様 コメントありがとうございます

出札口は確かに死語になりそうな言葉ですね。当ブログでは、なるべくロケ当時の常識に近い用語を使いたいと思っています。

現状「切符売り場」が多くの駅で使われていますね。50年前の東京池袋駅では、長距離切符売り場に「汽車区間乗車券売場」と表示してありました。

切符のデジタル化が進みスイカ・イコカ・ eチケット等々が一般化すると、「検札」も不要となrって死語となるかもしれませんね。

テツエイダ | URL | 2020-09-13(Sun)19:00 [編集]


SLはC58とC57ではない?

テツエイダさま、赤松さまこんにちは。

どこのトロッコなのかわかりませんが、よくここまで荒廃した場所を見つけたものですね。トロッコのレール幅が50センチくらいに見え、さらにへろへろですね。
SLの動輪のカットは、形状から形式がわからないかと思ったのですが、C58とC57ではなさそうです。そうなると、C60とかC61あたりなのでしょうか。
客車列車の「後追い」の画像は、SL側からスハニ31形、スロハ31形、オハ35形戦後形絞り妻板鋼板屋根タイプとレアなタイプが映っています。このオハ35のみ、軸受けがコロ軸受けですね。その右の客車もオハ35と思いますが、平軸受け、木製屋根なので、戦前形と思います(わずかに戦後も同形態の車輌が増備されていますが…)。
内郷駅と思われるカットは、無蓋車によく見るといろいろな形状があるのが面白いですね。客車はオハフ61形と思います。
走行中のシーンは、さすがに実際のオハ61形を使っているようです。

常磐炭鉱の戦後の様子を伝える、貴重な映像が含まれていると思います。

すぎたま | URL | 2020-09-26(Sat)16:42 [編集]


Re: SLはC58とC57ではない?

 すぎたま様 コメントありがとうございます

おそらく508ミリゲージと思われます。 昔 明延鉱山を訪問した時 主力は762ミリなれど坑内から続く508ミリゲージらしきがあって、三線軌条の両用区間もありました。

4枚目の画像は すぎたま様の解説によれば、実に多彩な客車を使って編成されていたのですね。雑形列車と呼ばれた所以でしょうか。

テツエイダ | URL | 2020-09-27(Sun)14:03 [編集]