
貧困から 北海道へ出稼ぎに行ったまま 音信不通となった夫を 二人の子連れで追いかけた、山田サヨ(山田五十鈴)の 苦難に満ちた人生を描いた映画です。
1929年 秋田県横出の農夫 山田喜作(宇野重吉)は、北海道の 北洋炭鉱へ 三十円で売られて行きます。 当時は 世界的不況と不作で 近隣の農家では、娘の身売りが続出していました。
横出駅ホームでは

家族と娘が 涙の別れを交わす中、


C11形蒸機に牽かれた 二重屋根の木造客車が到着します。

上野行のサボが架かった列車は、先頭が二等車 続いて三等車です。


その時 反対側の側線から子供達が、一斉に客車へ向かって 走り寄りました。

そして開いた窓から 落とされた弁当の空き箱を拾うと、

貼り付いて残った 飯粒を各々が食べるのでした。

北洋炭鉱では 木造鉱車を巻き上げワイヤーで 坑道から運び出したり、馬に牽かせて 鉱車の運び出しを行っています。

三十円の前借金で 売られた山田は、地獄の様なタコ部屋で こき使われ脱走を考えていました。ある日見張りの男が「自分の運に賭けて逃げてみるか?」と山田を鉱車で脱走させ様としてくれます。
丁度その時 坑内ガス爆発事故が起こり、その騒ぎに乗じて 死亡したとみなされた山田は 逃げることが出来たのでした。
本人は 追われていると思い 蟹工船に乗ったり 大陸を放浪したりで逃げ回り、女房子供のいる実家には 音信不通のままでした。
二年半後 横出のサヨは 借金取りに 遊郭で働いて返済する様に催促され、遂に故郷を捨てて 夫のいる北洋炭鉱へ 二人の子供を連れて 逃げて行くのでした。
ところが現地へ着くと、夫は事故で既に 死亡していたと告げられました。仕方なくサヨは 炭住に住み込み、飯炊きから坑内労働までして 二人の子供を育てます。
1944年 過酷な増産指令に反発する 徴用労働者達と同じ思いで 行動するサヨ達の場面で、夕張本線夕張駅ホームが 左端に映るシーンがあります。

戦後も労働争議中に 会社側の卑劣な手段で サヨの次男 喜代二(内藤武敏)が不当逮捕されて ストライキとなった場面では、貼り紙がされた セキの右側には 夕張鉄道 鹿ノ谷機関区のクラらしきが見えます。

PS.
冒頭の悲しい 娘の身売り場面は 奥羽本線 横手駅でのロケと思ったら横出駅(両側の隣駅は実在と同名) そしてC11形蒸機が 木造客車らしきを牽いて登場します。
続いて子供たちが 一斉に左手から飛び出して来ますが、その背後の機関庫に 見覚えがあります。当ブログ(187.浮草)の1枚目の画像と同じ 八王子機関区 五日市支区と思われます。
登場する C11319 蒸機も 当時ここへ所属していました。牽引している 三等車の中央部分に 12582 のナンバーが読めるので、ホハ12000形 客車の様です。二等車と 表示されている車輌も、同じホハ12000形の様です。
馬が坑内から 鉱車を運び出すシーンは、如何にも戦前の 炭鉱施設を思わせます。夕張地区の 小規模炭鉱でのロケでしょうか。
夕張駅周辺の遠景で、ホーム前面にある 大きな鉄筋の建物が見えます。小生この建物の庇から 長さ5m以上の巨大な氷柱が 下がっているのを、かつて2月の厳冬期に 訪問した時 見て驚いた記憶があります。
1952年に炭鉱労働者から 一人33円のカンパで製作費を集め、遠路 夕張炭鉱と釧路の太平洋炭鉱で 長期ロケが行われたそうです。
ならば当時の北海道には戦前の姿のままの、ローカル私鉄が随所に存在していただけに 残念に思うのは我儘でしょうか。
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