
学徒兵として海軍に入隊した野沢明(本郷功次郎)が 横須賀で飛行訓練を受け、転任した百里浜航空隊から母や恋人への思いを抱いて 特攻出撃するまでを描いた戦争映画です。
横須賀から百里浜へ転任する途中、両国駅で一時間程近親者と面会できることになりました。両国驛の改札口付近で野沢は待ちますが、知らせを出した誰も来ません。

同期で妻帯者の林少尉(野口啓二)から妻芳江(吉野妙子)を紹介されますが、挨拶もうつろに捜す内に汽車の出発時刻が迫ってホームへ向かいます。

野沢の母志乃(瀧花久子)と好意をもって知らせた堀川令子(野添ひとみ)は、疎開の件で田舎へ行っていたので野沢の手紙を受け取るのが遅れ両国駅で会えなかった旨の手紙が後日来ました。
戦局は日に日に悪化し1945年2月になると、百里浜航空隊からも特攻出撃をすることとなります。野沢は第二陣として出撃が決まり、そんな折に母志乃がおはぎを持って面会に来ました。
野沢は特攻出撃の件を母に話せず別れ、翌日第一陣として出撃する林の妻が泊まる宿に呼ばれて飲みます。ところが途中で部屋を出ると、階段の所に潜む母志乃に出くわしたのです。
志乃は理由にならない言い訳をして終バスも出た後なので、野沢は隊のトラック便に乗せてもらい百里浜驛まで送って行きました。

汽車の発車時刻に間に合った様で、志乃はマフラーを巻くのを野沢に手伝ってもらいます。

やがてC11形蒸機牽引列車が来ると、ホームの先で二人の女性が出迎えています。

野沢は母をデッキヘ導き後方を見ると、

降りて来た母と同年配の女性の首には白木の箱がありました。出迎えた二人は遺骨の主の姉か妹でしょうか、身につまされる野沢でした。

やがて汽笛が鳴ると、汽車はゆっくりと動き出します。野沢は汽車の動きに合わせて走りながら、「母さん体に気を付けて」とだけ話し後は 母の優しい言葉に頷くだけでした。


客車内は 灯火管制を敷いているのか 真っ暗な中、各座席には 国民服を着た人達が座っています。
特攻出撃が決まり これが今生の別れであることを 最後まで母親に話せなかった野沢は、赤い尾灯を最後に 去り行く汽車に向かって「母さ~ん」と大声で叫ぶのでした。

そして第一陣が出撃後 翌朝に第二陣の出撃が決定します。宿舎で待機する野沢の元に 野沢参謀(高松英郎)が現れ、「恋人のいるお前に 特別上陸を許すので会ってこい」と言ってくれました。
夕闇の中驀進する C11形蒸機が映り

令子の勤め先を弟(沖村武志)から聞くと、続いて京王帝都電鉄(1945年当時は東急電鉄)デハ2400形の走行シーンが映ります。

混み合った車内に 空襲警報が聞こえてくると、女性車掌が 緊急停車後の車外退避を呼びかけました。

電車が駅間に停車すると、前照灯が消され 扉が開けられると 人々が続々と退避します。



野沢も市民に混じって 物陰に退避しますが、人々の軍に対する ボヤキを聞くのが堪えられなくなって 令子を捜しに行きます。
そして空襲の最中に 捜した令子に漸く会えますが、その後に 野沢の目前で 爆死してしまいます。
翌朝 出撃準備中の基地が空襲され 出撃が遅れた時に帰還した野沢は、空襲で負傷した小笠原中尉に代わって 指揮官として 出撃して行くのでした。
PS.
一枚目の画像は 両国駅のホームにある 改札口方向への階段前に、改札口らしいセットを置いて ロケした様に見えます。改札駅員の向きが、逆の様にも見えますね。
続く二枚目は 低位ホームへの乗り換え通路で 撮影したシーンの様です。3番線から 17:45発銚子行の案内板がありますが、ロケ当時の 17:40発勝浦行を意識しているのでしょうか。
作中の百里浜航空隊は 実在の海軍百里原航空隊をイメージしているとすると、常磐線の高浜駅か石岡駅又は 鹿島参宮鉄道の常陸小川駅が最寄り駅と考えられます。
しかしロケが行われた場所を C11形蒸機牽引列車と 小さな木造駅舎から推理すると、五日市線の西秋留駅(現 秋川駅)の様です。
当ブログで 五日市線の西秋留駅は度々登場していますが、ホーム側から駅舎を撮影した作品ばかりです。
郷土写真に 外側から駅舎を撮影した作品があり、駅舎の一部分にライトを当てると 3枚目の画像の様になります。実在の大きな駅名板を 撮影用に加工して、4枚目の画像は 窓に紙テープを貼って 当時の待合室の様に見せています。
12枚目の画像はロケ当時京王帝都電鉄のデハ2405ですが、この車輛はその後1963年の1500V昇圧時に廃車となって翌年改造されて庄内交通湯野浜線のモハ8として1975年の廃止まで活躍しました。
現在同じ2400形のデハ2410が、京王れーるランドに静態保存展示されています。
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