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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

315.あゝ特別攻撃隊

1960年2月 大映 製作 公開  カラー作品   監督 井上芳夫

学徒兵として海軍に入隊した野沢明(本郷功次郎)が 横須賀で飛行訓練を受け、転任した百里浜航空隊から母や恋人への思いを抱いて 特攻出撃するまでを描いた戦争映画です。

横須賀から百里浜へ転任する途中、両国駅で一時間程近親者と面会できることになりました。両国驛の改札口付近で野沢は待ちますが、知らせを出した誰も来ません。
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同期で妻帯者の林少尉(野口啓二)から妻芳江(吉野妙子)を紹介されますが、挨拶もうつろに捜す内に汽車の出発時刻が迫ってホームへ向かいます。
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野沢の母志乃(瀧花久子)と好意をもって知らせた堀川令子(野添ひとみ)は、疎開の件で田舎へ行っていたので野沢の手紙を受け取るのが遅れ両国駅で会えなかった旨の手紙が後日来ました。
戦局は日に日に悪化し1945年2月になると、百里浜航空隊からも特攻出撃をすることとなります。野沢は第二陣として出撃が決まり、そんな折に母志乃がおはぎを持って面会に来ました。

野沢は特攻出撃の件を母に話せず別れ、翌日第一陣として出撃する林の妻が泊まる宿に呼ばれて飲みます。ところが途中で部屋を出ると、階段の所に潜む母志乃に出くわしたのです。
志乃は理由にならない言い訳をして終バスも出た後なので、野沢は隊のトラック便に乗せてもらい百里浜驛まで送って行きました。
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汽車の発車時刻に間に合った様で、志乃はマフラーを巻くのを野沢に手伝ってもらいます。
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やがてC11形蒸機牽引列車が来ると、ホームの先で二人の女性が出迎えています。
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野沢は母をデッキヘ導き後方を見ると、
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降りて来た母と同年配の女性の首には白木の箱がありました。出迎えた二人は遺骨の主の姉か妹でしょうか、身につまされる野沢でした。
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やがて汽笛が鳴ると、汽車はゆっくりと動き出します。野沢は汽車の動きに合わせて走りながら、「母さん体に気を付けて」とだけ話し後は 母の優しい言葉に頷くだけでした。
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客車内は 灯火管制を敷いているのか 真っ暗な中、各座席には 国民服を着た人達が座っています。
特攻出撃が決まり これが今生の別れであることを 最後まで母親に話せなかった野沢は、赤い尾灯を最後に 去り行く汽車に向かって「母さ~ん」と大声で叫ぶのでした。
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そして第一陣が出撃後 翌朝に第二陣の出撃が決定します。宿舎で待機する野沢の元に 野沢参謀(高松英郎)が現れ、「恋人のいるお前に 特別上陸を許すので会ってこい」と言ってくれました。
夕闇の中驀進する C11形蒸機が映り
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令子の勤め先を弟(沖村武志)から聞くと、続いて京王帝都電鉄(1945年当時は東急電鉄)デハ2400形の走行シーンが映ります。
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混み合った車内に 空襲警報が聞こえてくると、女性車掌が 緊急停車後の車外退避を呼びかけました。
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電車が駅間に停車すると、前照灯が消され 扉が開けられると 人々が続々と退避します。
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野沢も市民に混じって 物陰に退避しますが、人々の軍に対する ボヤキを聞くのが堪えられなくなって 令子を捜しに行きます。

そして空襲の最中に 捜した令子に漸く会えますが、その後に 野沢の目前で 爆死してしまいます。
翌朝 出撃準備中の基地が空襲され 出撃が遅れた時に帰還した野沢は、空襲で負傷した小笠原中尉に代わって 指揮官として 出撃して行くのでした。






PS.
 一枚目の画像は 両国駅のホームにある 改札口方向への階段前に、改札口らしいセットを置いて ロケした様に見えます。改札駅員の向きが、逆の様にも見えますね。
 続く二枚目は 低位ホームへの乗り換え通路で 撮影したシーンの様です。3番線から 17:45発銚子行の案内板がありますが、ロケ当時の 17:40発勝浦行を意識しているのでしょうか。

 作中の百里浜航空隊は 実在の海軍百里原航空隊をイメージしているとすると、常磐線の高浜駅か石岡駅又は 鹿島参宮鉄道の常陸小川駅が最寄り駅と考えられます。
 しかしロケが行われた場所を C11形蒸機牽引列車と 小さな木造駅舎から推理すると、五日市線の西秋留駅(現 秋川駅)の様です。

 当ブログで 五日市線の西秋留駅は度々登場していますが、ホーム側から駅舎を撮影した作品ばかりです。
 郷土写真に 外側から駅舎を撮影した作品があり、駅舎の一部分にライトを当てると 3枚目の画像の様になります。実在の大きな駅名板を 撮影用に加工して、4枚目の画像は 窓に紙テープを貼って 当時の待合室の様に見せています。

 12枚目の画像はロケ当時京王帝都電鉄のデハ2405ですが、この車輛はその後1963年の1500V昇圧時に廃車となって翌年改造されて庄内交通湯野浜線のモハ8として1975年の廃止まで活躍しました。
 現在同じ2400形のデハ2410が、京王れーるランドに静態保存展示されています。

 


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コメント


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全部戦後型ぁ~

テツエイダさん、みなさんこんにちは。

当時としては「総天然色」映画だったのでしょうか。まだカラー作品は珍しい時代でしょうかね。
公開年からすれば、ある程度致し方無いのですが、登場する鉄道車輌は、C11以外全部戦後形なのが気になりますね、やはり。
客車はオハ61系(昭和25年登場)。テールライトが2つなのも、GHQの命令ですし、埋め込みになったのも、戦後「車電区」という組織の廃止があって、そこが管理していた取り付け式尾灯が「作り付け」になったためです。
側面の日よけの鎧戸は、名古屋工場考案の「プレス製鎧戸」で、この形状のものはオハ61系限定です。もちろん戦後開発です。

京王のデハ2405号は、確かに戦前から活躍していた車輌ではありますが、側面の「K.T.R」には、すみません、笑ってしまいました(「敵性言語」)。プレスドアになっているのも、戦後のドア拡幅時ですし…。
いろいろ努力はしていますが、ちょっと詰めが甘かったかなぁというところと、鉄道が主要なストーリー進行上の役割を果たすのに、意外とストラクチャーとして重視してないのが、制作者はどう思っていたのか気になりますね。
この時代に限らず、ストーリーはいいのに、ストラクチャーは意外と雑という映画が、特に日本映画に目立つ気もするのです。

比較的最近のアニメ映画で、「耳をすませば」というのがありましたが、あれが「驚異的」なのは、奥羽本線のEF71形+ED78形重連のシルエットを、側面から厳密に描写し、台車に付く引っ張り棒まで表現されていたことです。
もっともごく最近のアニメは、なんでも実際の写真からCGで作ってしまうので、それはそれでダメなんですけどね…。

失礼いたします。

すぎたま | URL | 2020-07-18(Sat)15:02 [編集]


あゝ特別攻撃隊

戦争映画に日常の鉄道シーンが登場すること自体、超珍しいので、このブログに「戦記もの」、とりわけ「特攻もの」を取り上げられたのは初めてではないか。

この「あゝ特別攻撃隊」は1960年の2月公開だが、戦争映画の巨匠・村山三男監督による「あゝ江田島」「あゝ零戦」「あゝ海軍」「あゝ陸軍隼戦闘隊」など、「あゝ」シリーズは東宝の8.15シリーズに対抗して、毎年8月のお盆興行が終わってから公開されるのが習わしだったように記憶している。

戦前の鉄道シーンを見るたびに、国鉄では「学生割引」以外に「軍人割引」もあったのだろうか、戦争末期(1944年~45年)、当時の国鉄ダイヤは正常に動いていたのだろうか、現在のコロナ厄による外出自粛規制などのようなものが発令されたのだろうか、などの疑問が湧いてきます。


一枚目の画像では、確かに改札駅員の向きが逆に見えます。

普通は改札員は外の入り口(乗客が入場してくる方)の方向を向いているものですが、何故か乗客にお尻を向けています。

正面を向くと同じような制服(軍服)を着た本郷巧次郎と紛らわしくなるので、わざと後ろを向かしたのかもしれません。

赤松 幸吉 | URL | 2020-07-18(Sat)15:43 [編集]


Re: 全部戦後型ぁ~

すぎたま様 熱いコメントありがとうございます。

撮影当時としては戦中らしい雰囲気の、駅や車輌でロケを行った思います。
すぎたま様の様な指摘を数々書いてきた小生としては、賛同できる部分があります。

「耳をすませば」は見ましたが、EF71形+ED78形重連の部分には気づきませんでした。流石ですね!

本作の鉄道シーンに特化して掘り下げている当ブログですが、終戦から15年目に公開された作品にしてはゼロ戦として登場する飛行機があんまりです。
練習用の複座飛行機をそれらしく塗装して、爆装もしてない特攻機?(それとも爆弾を内蔵する爆弾倉を持つ彗星のつもり?) 旧軍人や関係者が多く鑑賞することを前提の作品にしては・・・

テツエイダ | URL | 2020-07-19(Sun)23:22 [編集]


Re: あゝ特別攻撃隊

赤松様 コメントありがとうございます。

確かに「戦記もの」映画を取り上げるのは初めてかと思います(秋津温泉等の戦時中場面がある作品はありましたが)
(小生 兵器メカマニアでもあるので、そちらの方向に傾くのを恐れて避けていた!?)

野沢の母志乃を演じた(瀧花久子)さんは、母親役にうってつけの方ですね とても印象深い別離シーンでした。

テツエイダ | URL | 2020-07-19(Sun)23:38 [編集]


実は僕も・・

こんばんは。実は僕も、軍用機、軍艦の類が大好きでして・・
零戦に化けた飛行機は何だったんでしょ?
T-6テキサンでしょうか?
今回は汽車より、飛行機が気になります(笑)。

つだ・なおき | URL | 2020-07-22(Wed)22:50 [編集]


Re: 実は僕も・・

つだ・なおき 様  コメントありがとうございます。

T-6テキサン ですか、鋭いですね。 実際飛べることを優先したのでしょうが、プロペラが回るだけの模造機体をトラックで牽引して撮影した後年の映画の方がマシかと・・・

高精度のCG画像全盛の現代は、綺麗な映像を鑑賞できて素晴らしいですね。

それだけに時代考証に苦労することでしょう  山崎貴監督などは時代考証に拘った作品造りで有名ですね。

「三丁目の夕日」での C6222 上野駅到着シーンには感動したものでした。 完璧な鉄道シーンの数々・・・
でも星野六子(堀北真希)が里帰り前のクリスマスイブに、鈴木夫婦から青森の実家までの切符をプレゼントされます。
涙の感動シーンですが、美術さん製作の切符は二等乗車券で2740円 33 12 24 発売日共7日有効の文字が気になりました。

 当時の二等車は中卒一年目16歳の少女には敷居が高すぎです(当時は三等級制で2年後なら納得)実際ラストシーンで彼女は、急行北上の三等車に乗ります。 大晦日でも当時は大混雑で、青森行急行の4人ボックス席に各一人ずつは有り得ません。
 更にクリスマスプレゼントとして24日に里帰り切符を渡しますが、大晦日の前日30日で有効期間切れとなって無効です。


「三丁目の夕日」シリーズは原作本共に大ファンで、三作共に公開日に鑑賞した程大好きです。それだけにグウの音も出ない程の作品にしてほしかったのでした。

テツエイダ | URL | 2020-08-08(Sat)09:38 [編集]


「兵」割引乗車券

 こんにちは。

 赤松様が触れている国鉄における兵隊の運賃割引について調べてみました。
 明治39年10月1日より陸海軍人及び軍属、警察官が公務で旅行する場合の割引制度が実施されています。
 これ以前には私鉄に対してのみ同様の割引が義務付けられていました。ところが同38年以後大規模な私鉄国有化が進み、旧私鉄路線のみ官営鉄道での割引義務が存続することになり、制度の不統一が問題となります。折しも日露戦争後のことで、ここで官営鉄道での軍人割引が告示、実施されたわけです。
 その後主に警察関係でこの制度の不正利用が起きたことから、昭和5年になって一旦廃止。ひと月後に「公務旅客取扱手続」として新たに実施、とあります(『国鉄乗車券類大辞典』 P81左)。

 大正11年3月まで列車区間の乗車券には小児と公務割引を示す断線2本がX字型に印刷されていました。その後は公務割引には補充券(着駅名等を書き込む様式)を使用することになります。
 ごく一部の軍人の公務利用が多い駅では初めから軍人割引であることを示す「兵」を赤字で印刷した常備券が設備されていました。例えば横須賀や呉といった駅です。そのような例外以外は、券面に軍を〇で囲んだ印を押して発行されるのが通常でした。
 私もこの種の常備券は横須賀→品川 上野間、昭和19年、3等、というものを1枚持っているのみです

大森山谷 | URL | 2022-06-09(Thu)16:33 [編集]


Re: 「兵」割引乗車券

大森山谷 様  コメントを頂きありがとうございます。

公務割引制度が、明治時代からあったとは知りませんでした。

戦争映画で 憲兵が公務の腕章を巻いて駅に入って行くシーンを観た記憶がありますが、常備券も存在したのでしたか。
更に この常備券をコレクションしているとは・・・流石ですね。

テツエイダ | URL | 2022-06-09(Thu)22:25 [編集]


券面記載事項

 さて、この回の記事ではもう一つ気になる話が有ります。
 テツエイダ様が書いた「三丁目の夕日」の
>美術さん製作の切符は二等乗車券で2740円 33 12 24 発売日共7日有効の文字が気になりました。
です。
 小説、漫画、映画にテレビドラマなど、創作の中に出てくる切符には怪しい点が相当あります。この7日有効は、青森で7日は嘘だと切符屋の私は一蹴しました。
 大前提として素直に東北本線経由ならば、青森は739.2㎞です(ただし当時は青森駅直前が浦町駅経由の旧線区間のため、これよりも多少長かったはずです)。たとえ着駅が青森でなく、これよりも長くなる津軽線終点の三厩駅でも799.0㎞。あるいは野辺地から大湊線乗り換え、更に大畑駅まで行っても768.1㎞。いずれにしても800㎞未満です。旧線区間経由が1km以上あって、三厩行きとしても800㎞と少し。
 有効期間は当時も今も列車区間は200㎞まで2日、以後は200㎞につき1日加算となっています。800㎞までなら有効5日が正しいことになります。
 作中での有効期限に関しては、裏面に「〇月×日より有効」の印が押してあった可能性があります。普通は表に押されますが、裏に押す場合が無かったわけではありません。ですのでこちらは問題は無いでしょう。

 ただ、問題はもう一つ有ります。運賃の「二等乗車券で2740円」がアヤシイ。
 東京都区内-青森とすると、私の計算によれば当時の3等運賃は1350または1360円となります。これについては当時の時刻表をお持ちかもしれないテツエイダ様の方が早く正しく調べられるかと思います。
 ともあれ2等券ですから、運賃はこの2倍となり、更に通行税2割が加算されます。とすると3000円以上は確実にしていました。尚券の表面か裏面には「税2割共」の注記が必ずあります。
 テツエイダ様が言うように、制作スタッフは昭和35年7月以降の2等級制時代のことしか思い及ばなかったようです。

大森山谷 | URL | 2022-06-11(Sat)12:57 [編集]


運賃再調査

 先の私の書き込み以後にもう一度調べてみました。
 先ず東京-青森間の距離です。手元に昭和28年8月号の交通公社版時刻表があります。古い時刻表の所持はこれのみで、先ほど本の山から発掘しました。これによると浦町経由で737.1kmとなっています。
 既に記した野内-青森間の浦町経由旧線の距離は、10.6㎞。新線になってからは10.7㎞と僅かに伸びています。
 実は当時の東北本線にはもう1か所旧線区間がありました。仙台を過ぎて、岩切、利府、松島、品井沼となっていました。この区間は昭和31年に海線ルートが開業後、37年に利府-品井沼間が廃線となっています。利府駅は現在も短い盲腸線の終点として残っていますね。
 この山線ルート経由だと新しい海線よりも短く、その結果東京青森間の距離も2㎞あまり少なかったことになります。ただし山線は勾配がきつくて運行に支障が有るため、廃止されました。

 次に運賃です。運賃表の区切りは737~750㎞となっています。この時刻表以後、32年4月に運賃の値上げが行われています。これを基にもう一度計算します。
 距離による逓減が2段階含まれていて、750㎞は1362.5円。切り上げると1370円。2等はその2倍ですから2740円。ここまでは正しいようです。
 しかし通行税2割は昭和29年4月より外税扱いとなっています。ですから税額分が加算されていない2740円の表記は正しくありません。
 昭和35年7月以後の新2等運賃だとしても、旧1等の廃止と共に運賃制度も変更されたため、やはり計算が合いません。新運賃ではおそらく東京-青森、2等は1260円だったはずです。

 細かい話が長くなっているのでここまでとしますが、まだ疑問な点が残っていることを記して終わります。

大森山谷 | URL | 2022-06-12(Sun)13:34 [編集]


Re: 券面記載事項

大森山谷 様  コメントありがとうございます。

 切符の通用期間ですが、成る程 7日ではなく5日が正しい日数ですね。ここにピンとくるとは流石 切符屋さん!。

 さて普通乗車券の金額ですが 小生手持ちの1958年11月号では、東京~青森が737.1㎞(都区内は全て東京駅から計算)で三等普通運賃は1140円です。
 ですから二等乗車券は、1140×2×1.2=2736なので繰り上がって2740円となる計算です。(二等 鉄道対キロ普通旅客運賃表も付随しています)

 ビデオを確認したところ乗車券の下に、1100と書かれたクリーム色の切符がチラリと見えています。
 これは二等急行券の様です。 600㎞以上900㎞までは1100円で、これも三等460円×2×1.2の計算法です。
 しかし急行券の目印である、赤色の斜めか縦の2本線が無いですね。1964年頃までは入っていたと記憶してますが・・・

 製作スタッフは3等級制を承知の上で、当時の実情が分からず 安易にプレゼントとして二等切符としたのでしょう。
 しかし実際の作品では、当時の常識通り 急行北上の三等車に乗っています。


 PS. 本作公開初日に東宝のホームページ・コメント欄に、作品の素晴らしさを12行書いて 最後に「何故ロクちゃんに敷居の高い二等切符をあげたのか?」と1行加えたら、10分後には削除されてしまいました!

テツエイダ | URL | 2022-06-12(Sun)21:57 [編集]


Re: 運賃再調査

大森山谷様 コメントありがとうございます。

昭和35年7月の改定は二等級制への変更に伴う急行券等の料金のみで、運賃改定は翌年の4月に行われた様です。
この時 都区内~青森の運賃は1140円⇒1420円となった模様です。

テツエイダ | URL | 2022-06-13(Mon)12:04 [編集]