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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

314.日本の悲劇

1953年6月 松竹 製作 公開   監督 木下恵介

戦争未亡人の 井上春子(望月優子)が 熱海の旅館で働きながら 女手一つで 二人の子供を育て上る 苦難の人生を、当時のニュース映像や 新聞記事と共に描いた映画です。

焼け跡に建てたバラックに 子供を残して 食料を手に入れる為、超満員の列車で 買い出しに行った 回想場面が序盤にあります。
C11281 蒸機がバック運転で、超満員の5連客車を牽引して 走って来ました。
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大きなリュックサックを背負い、なんと 窓からぶら下がっている男も大勢います。
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苦労して育てた 姉 歌子(桂木洋子)弟 清一(田浦正巳)の二人の子供は 学生寮と下宿先へ 別居していますが、母親の元に泊まった 翌日 二人共 急に黙って姿を消してしまいます。
知らせを聞いた春子は 熱海駅へ駆け付け、ホームを前方の方へ進んで捜しますが 二人共いません。
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隣のホームからは「今度の列車は 11:20発 二三等急行 阿蘇号 熊本・都城行きです」と放送が流れています。これは急行たかちほ号を併結しているからです。
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その後 歌子が中学生頃の回想場面で、熱海で働く母親と離れて 叔父さんと暮らしていた姉弟が 叔父さんと揉めて熱海へ向かう場面があります。
セットらしき 混んだ列車内で 政府批判の演説をしている男を、隅の方で冷ややかな目で見ている歌子が映ります。
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そして母親をやり過ごした二人は、この時のことを 熱海駅のホームで話しています。
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「4番線 12:02発 伊東始発の東京行」と放送が入り別れると、歌子が通う 英語塾の赤沢正之(上原謙)に偶然会います。
赤沢は「休みなので湯河原へ行こうと思うけど、一緒に行かないか」と誘いますが、歌子は振り切って 階段を下りてしまいます。
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その様子を離れた所から、清一は 冷ややかな目で見ています。
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それから東海道本線根府川に近い 白糸川橋梁を渡る 80系湘南電車らしきが映り、
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二等車内では 春子が客の岩見(柳永二郎)と話しています。そこへ「ネクス ステーション小田原」と言いながら車掌が通ります。
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岩見は春子に酒を勧めて 自宅へ誘いますが、
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「子供に会うので」と断り 新橋で清一と待ち合わせます。314-13.jpg
そして気分良く二人で 夫の墓参りに行きますが、清一から 医者の婿養子になると告げられ ガッカリします。

歌子は 赤沢の妻 霧子(高杉早苗)から 関係を疑られ 怒鳴り込まれたので、当て付けから遂には 好きでもない赤沢の誘いに乗って 駆け落ちしてしまいます。
歌子に去られた春子は オロオロして、翌早朝 東海道本線に乗って 清一の所へ向かいます。
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しかし 冷たくあしらわれ絶望し、養子の件を許諾して 熱海へ戻ろうとします。

クモユニ 81形らしき 郵便・荷物電車が先頭の 80系電車が海辺を走る姿が映り、
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車内では春子は寝込んでいましたが 10:45頃湯河原に着いた時
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ふいに降りてしまいます。
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しかし 出口への階段は降りずに、考え事をしながら 上り線ホームを ブラブラ歩いている様子です。
やがて 11:09発の東京行電車が 近付いて来た時 突然春子はホームを走り出し、
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途中で草履を脱いで 電車に向かって飛び込んでしまいました。
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PS.
 回想場面でC11形281号機が牽く 買い出し列車が登場しますが、当時茅ヶ崎区にいたカマだそうなので 相模線において 国鉄の協力の元 ロケが行われたと思われます。
相模線は単線なので どこかの交換駅構内を往復運転してのロケだと思われ、現在では 実現不可能なロケでしょうね。この僅かなシーンに 敬意を表して、Categoryを相模線としました。

 相模線の C11蒸機客レは ロケから 5年後の 1958年にDC化されましたが、初詣成田行 団体臨時列車を牽く姿が 1966年頃まで見られたそうです。

 熱海駅前からホームを 着物姿で必死に走って 子供を捜す場面は、離れた位置から撮影していて 臨場感たっぷりですね。

 その後 姉弟の二人が 熱海駅湘南電車ホームで話す場面も、周囲には 大勢の乗車待ちの人がいて ロケは大変だったことと思われます。

 80系湘南電車の走行シーンが度々入り、10・11番目の画像では珍しくサロ85形らしき 二等車での車内シーンもあります。

 18番目の画像で春子は 量産型クハ 86形湘南電車に向かって 走っていますが、飛び込んだ直後の 20番目画像では何故か 数少ない クハ86形初期型先頭車両が映っています。


 女手ひとつで二人の子供を育てる為 必死に稼ぐ過程で 母親のヤミ屋・裏商売・酔客との嬌態等を 幼少から見て育った歌子と清一は、いつしか母親に冷たい視線を送り 軽蔑する様な態度で接しているのが悲しいですね。

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コメント


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日本の悲劇

木下恵介の異色の一編で、ここではニュース映画やドキュメンタリーを駆使して、何度も当時の社会情勢の映像をはめ込み、飢えと混乱の時代の日本の悲劇を浮き上がらせました。

主演は、日本の悲劇を一人でしょい込んだような、暗~い、暗~い女優の望月優子(うってつけ役柄)。

その中で、ほんの一瞬でよく見ていないと気がつきませんが、目も当てられない衝撃のシーンがありました。
それは新聞の見出しのクローズ・アップで 「一家心中、幼児には晴れ着を」とあります。

一家心中するくらい困窮して、死の旅出に子どもだけには晴れ着を着せ、その子を殺した親の気持ちは如何ばかりだったでしょうか。

惨憺たる救いようのない「(戦後の)日本の悲劇」に絶句し、涙が出そうになりました。


いくら終戦当時でも1・2枚目の画像のような凄まじい光景は見らなかった思うので、恐らく撮影用の「やらせ」であろう。

窓からぶら下がっている乗客は体の99%が車外に出ているので、これなら乗車賃を払わなくてもよかったのではないか。

確かに、18と20番目の画像では先頭車両の正面ガラス枠の形が違っていますね。
ただし、当時の観客は気がつかなかったのでは。

157「女」(木下恵介監督)でも水戸光子が飛び降りた駅や列車に前後関係の整合性がないというようなことを書いておられますが、木下恵介のような巨匠でも昔はこんなこと(駅名、列車種、時刻表など)には気を留めなかったのでしょう。

赤松 幸吉 | URL | 2020-07-04(Sat)20:15 [編集]


Re: 日本の悲劇

赤松様 コメントありがとうございます。

小生も「一家心中、幼児には晴れ着を」の記事は 目に付きました。母親の心情を思うと、悲しくなります。

本ブログ(68.ここに泉あり)の画像では 窓へのぶら下がりだけでなく、屋根の上や 機関車のランボード・炭水車上まで乗っています。
当時のニュース映像だけでなく 小生の母親の話からも、大都市近郊では乗りきれない男達は屋根上に 女性は機関車の煙室扉前に乗ったそうです。

最後の先頭車の件は、おっしゃる通りでしょう。そういう眼で見ていないと気付きません。

テツエイダ | URL | 2020-07-05(Sun)12:40 [編集]