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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

307.月がとっても青いから

1955年11月 日活 製作 公開   監督 森永健次郎

不幸な身の上で育った 木谷美奈子(南寿美子)が、数々の偶然な出会いの中で 誠実な生き方を貫き 幸せをつかむ恋愛映画です。

秋月建設に勤める 日高雄吉(中川晴彦)は 社長令嬢のお供で車に乗っていた時、美奈子と事故になりかけ 知り合いとなります。翌日 若葉荘と看板がある同潤会青山アパートから出勤した日高は、原宿駅近くで追い駆けて来た下宿のおばさんから「ハハキトク」の電報を渡されます。
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美奈子は知らない内に 資産を奪った叔父に育てられ 小山(小泉郁之助)の妾にされそうになったので、家出して日高と待ち合わせた場所に行きますが会えず 信州に住む学校時代の友人を頼って訪ねます。

続いて 夜間走行列車で国元へ急ぐ日高の姿が映った後、
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草軽電鉄のデキ12形が 無蓋車と客車を牽いて三笠駅へ到着します。
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ホハ30形の ホハ31客車から美奈子は降りると、
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前方でチト50形無蓋車から牛乳缶を降ろしている 槙山三平(フランキー堺)に逢見屋旅館への行き方を尋ねます。
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警笛が鳴り 二人の背後で、草津温泉行列車が 出発して行きました。逢見屋旅館が実家の 同級生だった花村さんを訪ねますが、既に旅館は人手に渡っており 行方も分からず困っていると 槙山の牧場へ置いてくれることになりました。

中盤 美奈子は馬車で三笠駅へ、牛乳缶を受け取りに出掛けます。
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三笠の別荘にいる 秋月社長令嬢の京子(明美京子)は 東京から来た日高を出迎えますが、二人の後方では 美奈子が受け取り作業しているのでした。
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終盤 槙山牧場では 地元の有力者である谷村剛太郎(菅井一郎)から 借りた金を返せず、牧場の牛や馬を 根こそぎ持ち去られてしまいます。美奈子に惚れている 谷村の息子の洋二(弘松三郎)の願いから 美奈子の嫁入りと引き換えに、牛馬は元に戻され 美奈子は日高との別れを覚悟します。
そして 日高が東京へ戻る時、美奈子は駅で一目 日高を見送りたいと行きました。小瀬温泉駅ホームに、日高と京子の姿があります。
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やがて 列車が到着する頃、漸く 美奈子はホームを臨める場所へ着きました。
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京子に見送られて
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列車が出発すると美奈子は涙を拭きながら 移動し
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線路まで登ると、去り行く 日高が乗る列車に向かって 手を振り続けるのでした。
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その夜 谷村洋二は 会社のトラックの助手席で 陽気に飲酒して暴れ、危うく 草軽電鉄列車と衝突するところでした。
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しかし 直後に自転車に乗る京子を 撥ねてしまい、更に負傷して動かない京子を残して 逃げてしまいます。
美奈子は 谷村と会う約束の場所へ行くと 事故の音に気付いて 負傷している京子を救助し、一命をとりとめたことから 皆の心を揺さぶり 一連の事態は好転したのでありました・・・






PS.
 先日 新駅舎が完成し 使用を停止した旧原宿駅舎の、65年前の姿が 最初の画像の片隅にあります。現在ではケバケバしい 飲食店が並ぶ辺りも、当時は煙草屋・クリーニング店等が並んでいたのですね。
 出勤時に「ハハキトク」の電報を受け取り 直ぐに国元へ向かった日高が 午後9時の時点で夜間走行列車(セット撮影)の中にいるということは、西なら岡山・北なら尻内(現八戸)以遠へ向かっていることが想像できます。

 続いて 浅間山の姿が映った後に 駅へ到着する草軽電鉄列車が映り、三笠駅での美奈子の 降車シーンへと繋がります。でも最初の列車は 左方にスイス風変電所が映っているので、小瀬温泉駅へ到着する上り列車でしょう。
 美奈子は逢見屋に花村が もういないので 駅に戻ろうとすると、槙山から「田舎は終いが早いから戻る列車は無い」と言われます。夕方到着する列車で 三笠駅へ来た様ですが 当時の時刻表では、新軽井沢 16:43発で 16:53頃 三笠着の列車に乗ったと思われます。(確かにこれが終列車!)
 下りの終列車が 17:00前とは全線走行に3時間半程掛かる草軽電鉄ならでは なんですが、実際には 新軽井沢へ戻る上り列車の方は 17:54頃と 20:18頃の2本あります。

 中盤 京子の願いで日高は別荘へ呼ばれますが、何時の列車で来るか知らせなかったので 京子は駅で待ちくたびれた様子です。想像すると、上野9:40発 ―(2305レ臨時準急高原)― 12:59軽井沢着・・新軽井沢13:19発 ― 13:34頃三笠着(この2本の列車は共に9月4日迄の臨時便)
 終盤 京子は日高を美奈子から遠避ける為 東京へ戻させますが、小瀬温泉11:17発 ― 11:52新軽井沢着・・軽井沢12:15 ―(326レ)― 16:30上野着の列車が想定されます。
 しかし作中では東京へ帰る筈の日高が、草津温泉方面行の下り列車に乗って行きました?(勿論撮影上の都合でのことで、撮影用の臨時列車が運行されたと思われます) 
 もし日高が乗りテツで 上越線経由での帰京を 目論んだとすると、小瀬温泉 11:16 ―(草軽電鉄)― 12:50 上州三原 13:12 ―(国鉄バス)― 13:47 長野原 14:10―(84レ)― 16:00 渋川 16:29 ―(724レ)― 17:00 高崎―(634レ)― 18:56上野 のルートで帰れます。   

 谷村洋二が助手席に乗るトラックが衝突しかけた列車は、前出の上り終列車で 草津温泉16:53発 → 19:51小瀬温泉発 → 20:27新軽井沢着の列車と思われます。

 本作公開から4年後の8月に 台風の直撃で吾妻川橋梁が流失し 路線が分断され、翌年の1960年4月新軽井沢~上州三原が廃止となり 残る上州三原~草津温泉も1962年1月末で幕を閉じました。

 作中で登場したデキ12形電機13号機は、1920年米ジェフリー社製・ダム発電所建設工事軌道用に使われた後 1924年に譲渡され 全線廃止まで使われました。(さよなら列車も牽引し、現存する幸運機!)
 その後 草津温泉駅跡に放置された後 → 軽井沢町立社会体育館敷地 → 中央公民館駐車場脇 → 軽井沢駅舎横→旧軽井沢駅舎記念館と 静態保存場所が転々として現在地に落ち着いている様です。
 参照  鉄道青年様のブログ(草軽電鉄の記憶:火山山麓のレモンイエロー)
 
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コメント


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月がとっても青いから

昭和30年 菅原都々子の「月がとっても青いから」は空前絶後のメガ・ヒットをし、全盛期の美空ひばりでさえ、そのセンセーショナルな人気には適(かな)わなかった。

当時の100万枚という記録的セールスは現在の市場規模で換算すると3,000万枚になるという。

子供の頃はラジオからこの曲が毎日のように流れてきて、老いも若きもこの歌(都々子の奇妙な歌唱法)を口ずさんだものだった。

謎めいた歌詞、「えぇ? 月は黄色かレモン色じゃないの」と子供はみんな不思議に思ったが、「月が青く見える」のは恋をしてからだということが分かるのは大人になってからのことだった。

当時ほとんどテレビの普及していなかったため、人気歌手の映像は銀幕でしか見られなかったから、歌謡映画は貴重だった。

この映画の菅原都々子(二十代後半)はつくろいは「小娘」風だが、実体は若いのか年を取っているのかよく分からなかった。

草軽鉄道は「カルメン故郷に帰る」(いずれこのブログにも出てくるのでは)で特に有名だが、すでに廃線になった、懐かしい原風景が現在このように見られるというのは映画のおかげ、当時はどれほど慧眼な鉄道ファンでも汽車や駅舎やホームを動画で残そうなんて、思わなかったのではないか。

主人公の旅行行程が詳細に記せられていますが、草軽鉄道のように本数の少ない路線ではかえって特定しやすかったのではないか。

2枚目の車内スチールは勿論セットだろうが、よく見ると手前の女性が持たれている背もたれと日高の座席とは高さがかなり違っているように見える(頭の位置でよくわかる)。

これは単にカメラアングルのせいなのだろうか。

次は「山鳩」かな。

赤松 幸吉 | URL | 2020-03-29(Sun)11:16 [編集]


Re: 月がとっても青いから

赤松様 コメントありがとうございます

菅原都々子さんの「月がとっても青いから」は子供の頃に聞いたことがありますが、本作中に初枝役で明るく演じ ラストに三平を横に歌っていますね。 この歌は1955年4月に発売され大ヒットし、即映画化されたのが28歳の時だったそうです。

当時の草軽電鉄では、全線を走る列車は6往復でした。他に新軽井沢~旧軽井沢の短区間列車が16往復程あり、下りの最終は19:48でした。

テツエイダ | URL | 2020-03-30(Mon)21:38 [編集]


草軽電鉄映りまくり

みなさんこんにちは。

草軽電鉄をここまでしっかり写した映画も珍しいでしょうね。当時、ファンの人々でも8ミリで記録するくらいしか、動画を残す機材はありませんでしたので、その意味でも「動いている草軽電鉄」は極めて貴重です。
それにしても、草軽電鉄は全線通して乗ると3時間以上ですか。ナローゲージでそれほど速度を出さないからとしても、かなり時間がかかりますね。トイレ設備が客車に無いなど、ファンでも通しで乗るのは辛そうです(笑)。

さて、2枚目画像ですが、これはセットで間違い無いです。
奥に見える仕切り壁に接した座席、ここはデッキへ出るドアとの関係で少し狭くなっています。また頭持たせはありません。
手前の座席も、背刷りにモケットが張ってあるように見えない(平らな板に見える)ので、セットと判断できます。
この形状になった座席は、1951年製造開始のスハ43系からですが、それ以前の車輌には、頭持たせが無いのです。したがってこれはスハ43形に似せて造ってあると考えられ、その意味ではよく似せてあるのですが、座席指定の番号札が、座席の背刷りに無い(当時は窓上ではなく、座席の背刷りに表記)など、惜しいところがあります。座席の枠も、実物はニス塗りで(ずっと時代が下ってからは塗りつぶしになりましたが)、木目が見える美しいものでした。

すぎたま | URL | 2020-04-01(Wed)13:42 [編集]


Re: 草軽電鉄映りまくり

すぎたま様 コメントありがとうございます

新軽井沢~北軽井沢を乗車したことのある 義母の話では、登り勾配区間(全線では40‰の場所もあった)では自転車より遅かったそうです。

スハ43形の座席番号札は、当初 座席の背刷りにあったのですか。座席の枠も ペンキの塗りつぶししか、見たことがありませんでした。

テツエイダ | URL | 2020-04-02(Thu)16:22 [編集]


昔を思い出します

昔私が小学生の頃昭和30年代初期この歌非常に流行っていました。このブログに掲載してもらい初めて「月がとっても青いから~」の歌詞を知ることとなりました。
久しぶりに聞くと周りの人も大人ばかりの頃、今は亡き多くの人を思い出しては当時を懐かしく思います。今でも口ずさみます。
アップ有難うございます。それとこの映画、今では非常に貴重な草軽鉄道の当時の場面が多く出ているようで、鑑賞してみたいものです。
以上簡単ですが印象を記させてもらいました。
今後のご活躍を期待しています。
それでは。



C62熱中人 | URL | 2020-04-19(Sun)22:28 [編集]


Re: 昔を思い出します

C62熱中人様 コメントありがとうございます

小生も幼少の頃 この歌を聞いた記憶がありますので、小生より少々年長の方と推察致します。

本作は草軽電鉄の 車内シーンこそありませんが、最高速度16㎞/時と記載されたデキ12形とは思えない程 急加速するシーン等 生きた草軽電鉄の姿が映っています。

暗い時節柄 次回作は予定を変えて、明るい作品を取り上げますのでご期待ください。

テツエイダ | URL | 2020-04-20(Mon)16:36 [編集]