
1997年4月 松竹富士 配給 公開 .製作 吉本興業 電通ヤング・アンド・ルビカム カラー作品 監督 坂本順治
死にかけたヤクザ倉井拓也(三浦友和)に頼まれ子供を 別れた母親の所へ届けるハメになった 探偵 木田満(豊川悦司)が、次々ピンチが巻き起こる 相棒との旅道中を 人情味豊かに描いた コミカル・ロードムービーです。
相棒の石井久(真木蔵人)に同行を断られた木田は、倉井蛍(類家大地)を連れて 夜行バスで早朝宮古駅前へ到着します。

ところが母親は 既に八戸へ、引っ越ししていました。
三陸鉄道の宮古駅から八戸へ向かうべく、36-100 形式内燃車に乗ります。

駅でも車内でも蛍は、度々神経性の腹痛を発症して木田を慌てさせるのでした。

野田玉川駅らしきで途中下車して 診察してもらいますが、大したことはない様でした。

その後木田は食堂で 同級生の保(みちのくプロレス社長 ザ・グレートサスケ)と再会し、欠場者の代役で試合出場までします。
中盤 石井が母親探しに加わり 八戸駅前で出てきた立花英子(原田知世)に、蛍が反応したので 声を掛けますが人違いでした。

そして漸く 母親である中津和江(余貴美子)に会えますが、再婚を控えて 引き取りを拒否されます。
それから 七戸に住む倉井の父親錠治(菅原文太)を訪ね、蛍を引き取り育てることを 同意してもらえました。二人は帰京すべく 南部縦貫鉄道七戸駅へ喜びながら駆け込むのでした。

レールバスに乗る段になって どちらが先に乗るか譲り合って、後ろに地元の人を待たせています。

車内では仕事が片付いて、二人共寛いでいます。

そこへ蛍が走って見送りに現れ 父親の消息を尋ねますが、木田はそれには答えず お気に入りのサングラスを記念にあげました。
やがて発車のベルが鳴り、エンジンを吹かしてレールバスは動き出します。

蛍はホームの端まで走って見送り、二人も窓から顔を出して 応えました。


レールバスは踏切を過ぎ

4輪単車独特の 走行音を響かせながら、七戸川橋梁を渡って 野辺地へと進みます。

野辺地駅の跨線橋で 木田は青森方面ホームへ行こうとして、

石井から指摘されて 盛岡方面の上りホームへと下ります。通って来た南部縦貫鉄道への 連絡部分は木造で、幅も半分程度しかありません。
やがて盛岡行の特急はつかり号が到着し 石井に続いて木田も乗りますが、木田は直ぐに引き換えして 降りてしまいます。

デッキで石井は怒りますが、ドアが閉じて発車して行きました。
木田のいる3番線から向かいの4番線を見ると、英子が仕事道具と共に立っています。英子は「大湊から・・次 青森・・」と木田に伝えます。

木田は英子に付いて、雪降る青森駅へと やって来た様です。

英子は木田が付いて来るかな と振り返ると、後ろから「道 外れろよ」と木田が声を掛けます・・・
PS.
東京から宮古に住む 母親の所へ行くのに、夜行バスを使います。当時の時刻表に依ると 京浜急行電鉄と岩手県北自動車の共同運行で、品川BT 21:00発で宮古駅前に 6:45到着でした。
宮古の駅そば らしきを食べ 母親が八戸へ転居したので、三陸鉄道北リアス線宮古 9:04発 109D久慈行に乗ったと思います。途中 蛍が腹痛を発症し、10:25野田玉川駅らしきで途中下車して受診します。
八戸駅は2002年12月の東北新幹線延伸開業に向けて、駅舎・構内の全面改築・改造が行われて本作ロケ時の面影は有りません。その他八戸線の陸奥湊駅界隈でもロケが行われています。
南部縦貫鉄道は当時1996年度末での休止が決まっていました。1996年12月初旬にキハ102レールバスを、貸し切ってロケが行われた様です。翌年になるとファンが押し掛ける様になり、4月1日~5月5日まで営業を延長したとか。
富士重工で製造されたレールバスのキハ101と102は、1962年10月の南部縦貫鉄道開業時から 1997年5月の休止となるまでの全期間走っていたそうで 正にギリギリのタイミングでのロケでした。
願わくば 北海道の簡易駅の様な、板張りホームの盛田牧場前駅でも ロケをしてほしかったです。(1978年に訪れ レールバスにピッタリの雰囲気に、感動した思い出があります)
死にかけたヤクザ倉井拓也(三浦友和)に頼まれ子供を 別れた母親の所へ届けるハメになった 探偵 木田満(豊川悦司)が、次々ピンチが巻き起こる 相棒との旅道中を 人情味豊かに描いた コミカル・ロードムービーです。
相棒の石井久(真木蔵人)に同行を断られた木田は、倉井蛍(類家大地)を連れて 夜行バスで早朝宮古駅前へ到着します。

ところが母親は 既に八戸へ、引っ越ししていました。
三陸鉄道の宮古駅から八戸へ向かうべく、36-100 形式内燃車に乗ります。

駅でも車内でも蛍は、度々神経性の腹痛を発症して木田を慌てさせるのでした。

野田玉川駅らしきで途中下車して 診察してもらいますが、大したことはない様でした。

その後木田は食堂で 同級生の保(みちのくプロレス社長 ザ・グレートサスケ)と再会し、欠場者の代役で試合出場までします。
中盤 石井が母親探しに加わり 八戸駅前で出てきた立花英子(原田知世)に、蛍が反応したので 声を掛けますが人違いでした。

そして漸く 母親である中津和江(余貴美子)に会えますが、再婚を控えて 引き取りを拒否されます。
それから 七戸に住む倉井の父親錠治(菅原文太)を訪ね、蛍を引き取り育てることを 同意してもらえました。二人は帰京すべく 南部縦貫鉄道七戸駅へ喜びながら駆け込むのでした。

レールバスに乗る段になって どちらが先に乗るか譲り合って、後ろに地元の人を待たせています。

車内では仕事が片付いて、二人共寛いでいます。

そこへ蛍が走って見送りに現れ 父親の消息を尋ねますが、木田はそれには答えず お気に入りのサングラスを記念にあげました。

やがて発車のベルが鳴り、エンジンを吹かしてレールバスは動き出します。

蛍はホームの端まで走って見送り、二人も窓から顔を出して 応えました。


レールバスは踏切を過ぎ

4輪単車独特の 走行音を響かせながら、七戸川橋梁を渡って 野辺地へと進みます。

野辺地駅の跨線橋で 木田は青森方面ホームへ行こうとして、

石井から指摘されて 盛岡方面の上りホームへと下ります。通って来た南部縦貫鉄道への 連絡部分は木造で、幅も半分程度しかありません。
やがて盛岡行の特急はつかり号が到着し 石井に続いて木田も乗りますが、木田は直ぐに引き換えして 降りてしまいます。

デッキで石井は怒りますが、ドアが閉じて発車して行きました。
木田のいる3番線から向かいの4番線を見ると、英子が仕事道具と共に立っています。英子は「大湊から・・次 青森・・」と木田に伝えます。

木田は英子に付いて、雪降る青森駅へと やって来た様です。

英子は木田が付いて来るかな と振り返ると、後ろから「道 外れろよ」と木田が声を掛けます・・・
PS.
東京から宮古に住む 母親の所へ行くのに、夜行バスを使います。当時の時刻表に依ると 京浜急行電鉄と岩手県北自動車の共同運行で、品川BT 21:00発で宮古駅前に 6:45到着でした。
宮古の駅そば らしきを食べ 母親が八戸へ転居したので、三陸鉄道北リアス線宮古 9:04発 109D久慈行に乗ったと思います。途中 蛍が腹痛を発症し、10:25野田玉川駅らしきで途中下車して受診します。
八戸駅は2002年12月の東北新幹線延伸開業に向けて、駅舎・構内の全面改築・改造が行われて本作ロケ時の面影は有りません。その他八戸線の陸奥湊駅界隈でもロケが行われています。
南部縦貫鉄道は当時1996年度末での休止が決まっていました。1996年12月初旬にキハ102レールバスを、貸し切ってロケが行われた様です。翌年になるとファンが押し掛ける様になり、4月1日~5月5日まで営業を延長したとか。
富士重工で製造されたレールバスのキハ101と102は、1962年10月の南部縦貫鉄道開業時から 1997年5月の休止となるまでの全期間走っていたそうで 正にギリギリのタイミングでのロケでした。
願わくば 北海道の簡易駅の様な、板張りホームの盛田牧場前駅でも ロケをしてほしかったです。(1978年に訪れ レールバスにピッタリの雰囲気に、感動した思い出があります)


