fc2ブログ

日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

295.東京は恋する

1965年9月 日活 製作 公開  カラー作品   監督 柳瀬観

美大入学を目指す 塚口明夫(舟木一夫)が一目惚れした緒方ミチコ(伊藤るり子)の恋人が、高校時代の悪友 三村健次(和田浩治)だったことから 苦悩する様を描いた青春映画です。

高校の同級生三村と 再会して飲んだ塚口が、翌朝バイト先へ向かう場面で 先ず小田急電鉄 2400形4連の急行列車らしき走行シーンが入ります。
295-1.jpg

続いて 銀座で雨宿りしていた時に一目惚れした女性が 東北沢駅ホーム横の店で働いているのを偶然見かけ
295-2.jpg
仕事帰りにミチコの落とし物を届けたことから 知り合いになれます。

ミチコから御礼に靴下をもらった塚口が にやけ顔で改札口横を通ると、三村に丁度会います。東北沢駅の北口で、階段を8段上がると改札口になっています。
翌日塚口が仕事帰りに ミチコのいる店の前をウロウロしている背後で、小田急電鉄 1900形らしきが発車して行く姿があります。
295-4.jpg

終盤 ミチコが実家へ戻る話に 三村が同意したので 荷物を持って東北沢駅へ来ると、降りて来た塚口が
295-5.jpg
ミチコに気付いて駆け寄り
295-7.jpg
線路端で翻意する様に説得する場面があります。
二人の背後に到着したのは、ぶどう色(茶色)の 1400形でしょうか。
295-8.jpg
結局彼女の意思は変わらず、見送りに行くことにした塚口でした。
続いては 見送り後や仕事中に考え込むシーンの中で、列車の窓から手を振りながら 去り行くミチコの姿を
295-9.jpg
思い出す様な場面があります。

ところが 実家へ帰ったと思っていたミチコが途中から戻り、東京には恋人がいるのでと 見合い話を断ったそうです。
そして実家の祖父母が上京して来るので、塚口に三村健次として 一日恋人を演じて祖父母に会ってほしいと頼まれます。
その当日 今となっては懐かしい三角屋根の 東京駅丸の内口駅舎が先ず映り、
295-11.jpg
はとバス乗り場で三人と待ち合わせた 緊張顔の塚口でした。
295-10.jpg






PS.
 本作の舞台となり 度々登場する小田急電鉄東北沢駅ですが、2005年10月~2018年3月にかけての大工事で地下化されて 現在ではロケ地の面影は全くありません。

 1927年の開業当時から停車する上下線の間に通過上下線のある4線構造で 通過待ち停車時間が長いので、塚口がミチコを発見しても ゆっくりホームから様子を見ることが出来たと思います。

 5枚目の画像で踏切待ちをしているバスが停車している都道の先に 本作公開時頃まで貨物取扱所があって、相模川等から輸送してきた砂利の置き場とトラックに積換え業務を行っていたとか。

 6枚目の画像にチョコッと映っている茶色の 1400形電車は1930年の江ノ島線開業期に作られ、通勤車輛が全て濃黄色と濃紺の2色塗となっても 茶色のまま残っていたのも旧型のHB車だったからの様で この後 2年程で廃車となりました。

 
関連記事

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する
 

東京は恋する

この映画のミラクル・ショットは冒頭にあります。

銀座のとある店舗前で雨宿りをする二人(舟木一夫と伊藤るり子)、ビニール・テント(awning)と滴(しずく)、頭上に「森永地球儀型ネオン塔 ミルクキャラメル」、人影を照り返す水溜まり、俯瞰から捉えたパラソルの波、スリ落ちたブローチ、雨上がりの銀座・・・。

そこに、さざ波のようにタイトル「東京は恋する」が同名主題歌にかぶさってスクリーンに浮かび上がってくる。

あぁ、このファースト・シーンを何度繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返し(←しつこい)見て、溜息をついたことか。

願わくば、ヒロインが二流どころの伊藤るり子ではなく、和泉雅子ちゃん(勿論、全盛期の)であって欲しかった。

このタイトルシーンに夢中になったのは私だけかと思っていたら、you tubeに『 映画「東京は恋する」タイトルシーン』とアップしているファンもいるぐらいで、他にも同様の仲間たちが沢山いた。

(このブログにもしばしば登場する)小田急電鉄 2400形は、小さい頃、山陽本線を走っていたミカン色と深緑(湘南色)の国鉄80系(の想い出)を呼び起こさせます。

修学旅行もこのタイプの列車で行った記憶があります。

下北沢は、テレビや雑誌などで「若者の街」とか「ファッションの街」と紹介されて、関西人にもよく知られていますが、「東北沢」という駅もあったとは意外です。

4枚目の写真に、駅の前の植え込みに「ひがしきたざわ」というネーム・プレートが見られますが、これは実在していたのでしょうか。

駅名表示板としてはかなり変則的で、しかもこのようなポジション(植え込み)に設置されているのは不自然です。

ロケ用にわざわざ備え付けられたのではないでしょうか。

冒頭の雨宿りシーンのバックのシャッターには大きく「銀座支店 休日・日祭日」とだけ書かれていますが、何の会社なのかテナントなのか、その他一切分かりません。

これこそ撮影用に作成されたセットに100%間違いなく、このことからも「ひがしきたざわ」という表示板はロケ用の小道具ではないでしょうか。

この映画には、当時(地方在住の)誰もが憧れていた東京見物、その観光名所がふんだんに見られます。

乗り物も「はとバス」だけでなく、モノレールも。

赤松 幸吉 | URL | 2019-10-12(Sat)19:48 [編集]


Re: 東京は恋する

赤松様 コメントありがとうございます。

なるほどミラクル・ショットですか! 何か明るい未来を予感させる、タイトルクレジット迄の部分ですね。
当ブログでは全く扱わない部分ですが、本作の導入場面としては 重要なシーンですね。

4枚目の画像にある「ひがしきたざわ」という表示板は、確かにロケ用の小道具の様に見えますが 確信はありません。

駅東側の都道は 踏切でいつも渋滞していましたが、山手通りの渋滞区間を回避する抜け道として よく使っていました。
しかし駅舎を脇見した記憶が無く、一度だけ下車した時も 目的地へ急いでいたので駅舎を見ていませんでした。

テツエイダ | URL | 2019-10-13(Sun)15:40 [編集]


昭和40年頃の小田急

みなさんこんにちは。

1枚目の画像、2400系ですが、おそらく前看板は「快速準急」ではないかと思います。この時代、急行にいくらか停車駅を足した「快速準急」という種別が存在しました。場所は向ヶ丘遊園-生田間にも見えますが、どうでしょうね。

2枚目の奥に止まっているのは、どうも2100形のようです。屋根が深く、ヘッドライトが外付けタイプで、両側の尾灯兼用の標識灯が角形ならば間違い無いです。2200形が本車のあとにすぐ登場しますが、2100形は軽量化試験車という位置づけです。ただその後は案外不遇で、旧4000系へのモーター流用のため1976年頃廃車になっています。

3枚目画像、かなり後年までこの場所はこのままになっていました。ホーム延伸で少し様子が変わった程度です。奥に見える跨線橋は、小田急では標準的な形態ですが、古レールを使用して造られており、ここに使われているレールは、ほとんどが皇紀年号2608年(!)の10月製でした。古レール愛好家の間ではそこそこ有名で、当時の日本製鉄が、公式に軌条工場を再開する1948年11月までに、いわば「非公式」に製造したレールには、皇紀年号が使われていました。ちなみに現在でも、生田駅下りホームに1本同じレールが柱として使われています。

東北沢駅の改札付近は、複々線化工事が始まるまで、ほとんどこのままでした。駅前に降りる階段もそのままです。ただ、この植え込み?の駅名看板は、少なくとも晩年にはありません。やはり映画としての演出ではないでしょうか。

東北沢駅は、通過線があって、その両側にホームがあるという独特の形状のホーム配置です。しかし通過線が別にあるため、乗客には安全な構造で、昭和2年開通の鉄道としては先進性があったと言えます。戦後新幹線の駅構造の参考にするため、国鉄から視察団がこの駅に降り立ったそうです。小田原駅の新幹線ホームなどが、この形態になっていますね。

茶色い電車(HB車)が写っているカットの場所は、その後コーヒーショップなどが建てられたので、前の道路は窮屈になったはずです。HB車の形式は、意外と微妙なのですが、1200形も窓配置が少し異なる以外正面は同じで、1400形かどうかは、この画像からははっきりしません。これらHB車も、旧4000系にモーターを譲って廃車になっていきました。

その下の国鉄形客車は、オハ35形の戦後型に見えますが、スハ42形の可能性もあり、なんとも言えませんね。デッキが絞られているので、スハ43系やオハ61系では無いと思われます。

失礼いたします。

すぎたま | URL | 2019-10-21(Mon)21:00 [編集]


Re: 昭和40年頃の小田急

すぎたま様 細やかなコメントありがとうございます。

最初の画像ですが、この場面のピントは終始左端の家屋に合っていました。それ故 車輛は終始ピンボケでしたので、種別不明でした。 「快速準急」という種類があったのですね 「特別準急」があった位ですから納得です。

古レールを使った跨線橋はよく見かけましたが、皇紀年号2608年(1948年)の表示とは知りませんでした。テツの道は奥深し!

国鉄形客車の場面はオハ35形の戦後型ですか、周囲がなるべく映らない様に撮影しているので分かりませんでしたよ。 デッキからはみ出して立っている男3人は、監督が頭にくる 映りたがりのヤジ馬でしょうね。

テツエイダ | URL | 2019-10-23(Wed)20:44 [編集]