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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

293.黒い画集 ある遭難

1961年6月 東京映画 製作 東宝 配給 公開   監督 杉江敏男

山で遭難死した岩瀬秀雄(児玉清)の姉真佐子(香川京子)が 弟の死に疑問を感じ、従兄の槙田二郎(土屋義男)に江田昌利(伊藤久哉)と 慰霊登山に同行調査を頼んで 遭難の真相に迫るサスペンス映画です。

遭難した3人のパーティでは初心者の浦橋吾一(和田孝)が遭難の詳細を書いた 追悼文が雑誌「岳人」に載り、前半はこの文をなぞる様に 浦橋の回想で遭難に至る過程が映ります。
その途中で寝静まった2等寝台車の通路を 巡回する列車給仕が映ります。
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そして3段式寝台中段左右に岩瀬と浦橋が横になりながら酒を飲み、下段の江田が「混雑を避けて睡眠をとる、全て初心者の君の為だ」と浦橋に告げます。
その後皆より先に寝た浦橋が 夜中に目が覚めてトイレに行くと、
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デッキで岩瀬がタバコを吸っていました。「酔ったので風に当たっているんだ」と言いますが、江田から知られたくない秘密を仄めかされたからでした。

真佐子から調査を依頼された登山家の槙田は 当初申出を一笑に付しますが、追悼文を読むと了承して 初冬に江田と共に鹿島槍を目指すことになりました。
新宿駅下り甲府・長野方面の長距離列車ホームに、
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22:45発準急穂高3号 長野行列車が発車を待っています。

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2等車の席取りの為先に来た槙田が、窓を開け顔を出して 江田を呼んで案内します。
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既に混み合っている車内へ入り窓側の席へ呼ばれると、
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座席には例の追悼文が掲載された「岳人」が置いてありました。やがて出発するとウイスキーを飲み交わしながら、槙田は「秀夫は寝台車に乗せて頂いたそうで」と礼を言いつつ江田を持ち上げてます。
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夜半に江田が目を覚ますと、向かい席の槙田がいません。網棚のリュックは有り、括られた生花が揺れています。江田は不安を感じてか、前方の寝台車の方へ行ってみます。
2等寝室と書かれた扉を開けると
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3段寝台の通路に槙田が立っており、江田の登場を予見していたかの様に「秀夫のやつ楽だったでしょうに 心遣いをして頂いたのにだらしのないヤツだ」と呟いています。
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その後 409レ準急穂高3号は早朝 4:57着の松本で下車し 5:08大糸線始発1レに乗り換えて 6:12信濃大町に到着し、大谷原までバスに乗り そこから鹿島槍を目指して登るのでした。 (現在では信濃大町駅~大谷原登山口の路線バスはありません)







PS.
 中央本線下り新宿22:45発 準急長野行(松本~長野は普通列車)の列車は、準急アルプス号時代から 寝台車とロ座が連結されていました。本作公開の前年1960年4月下旬より準急穂高3号と改称されています。
 当初は並ロ座だけの優等車が1956年11月よりナハネ10形寝台車が加えられ、1958年2月より車体中央にデッキを設けた 独特な形のナロハネ10形2等・3等合造寝台車へと変更されました。(1960年7月より 1等・2等合造寝台車)

 1枚目と最後の画像から留置中のナロハネ10に暗幕を掛けて ロケが行われた様です。
 何れにしろ給仕が巡回する寝静まった寝台で、酒盛りし談笑する様子は 寝台車と山男の印象を悪くしますね。

 6~8枚目の画像はエキストラを入れてのロケかセット撮影の様に見えます。走行中の場面では風を送って花を揺らしていますが、離れた席のリュックから垂れた紐は揺れていません。
 また準急穂高3号の3号車ナハ10形普通車に乗車したなら 江田が寝台車である1号車へ行くには2号車オロ36形1等車を通り抜ける必要があり、作中の様にチョット気軽に隣の車輌へといった 行動はとれないと思われます。

 寝台車の付いた中央本線夜行準急客車列車は その後 穂高・上高地と名称変更され、更に1966年3月より急行列車となりましたが 1968年のヨンサントウで消滅となりました。

本作は1960年8月17日~9月1日に前半の夏山現地ロケを行い 翌年3月24日~4月11日に天候に悩まされる早春現地ロケを 寒さと闘いながら行い、1961年の夏山シーズン直前に 迫力ある本格的山岳映画の公開に至ったそうです。

 


 


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コメント


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ある遭難

『黒い画集』の「あるサラリーマンの証言」(『証言』)、「寒流」(『寒流』)、「ある遭難」(『遭難』)は今見てもいずれも粒よりの秀作ではあるが、興行成績が芳しくなかったらしく、このシリーズは三本で打ち切りになった。

『黒い画集』には『坂道の家』、『凶器』など、他にも切れ味の鋭い短編があり、東宝の俊悦監督陣で是非映画化を続けて欲しかった。

この「ある遭難」における殺人計画は現実には可能かどうかは疑問だが、清張の精緻な実地踏査(鹿島槍ケ岳)と卓抜した筆致で説得力のあるサスペンスになった。

鉄道シーンでは(8月29日)新宿発22時45分発 、(30日)信濃大町着、バスで大谷原へ、と原作にあり、映画も同じ準急、同じ時刻を踏襲している。

寝台車シーンは内部がリアル感たっぷりなので、ロケか実車を借り切って待機線かどこかでの撮影かと思います。セットにしては列車内部が余りにもよく出来すぎています。

ひとつ、腑に落ちないカット(写真7枚目)があります。

そこには頭上に扇風機がぶら下げられていますが、冬季には扇風機は取り外されるか、カバーを掛けられるのが普通ではないでしょうか。

3人のパーティが登山に出かけたのが、夏。
土屋と伊藤が調査に出かけたのが、初冬。

夏と冬のシーンに同じ実列車を使って、同時期に撮影されたので、冬の列車に扇風機を残したままになっていたのでは。

セットなら冬の列車にわざわざ扇風機を設置することもないでしょう。

赤松 幸吉 | URL | 2019-09-14(Sat)20:32 [編集]


Re: ある遭難

赤松様 コメントありがとうございます。

貴方にご紹介して頂いた作品んを、漸く取り上げることができました。

松本清張氏が実地調査をしたか分かりませんが、登山家で作家でもある加藤薫氏の協力を仰いだ様です。

扇風機の件ですが、雪山ロケの後 4月17日~27日にセット撮影等 残り部分の撮影が行われたそうです。
小生も冬季に電車内の扇風機に カバーが掛けてあった記憶がありますが、4月後半に実車を借りて 夏と冬の車内撮影を1回で行われたとすると カバーが無いのも御納得頂けるかと思います。

テツエイダ | URL | 2019-09-15(Sun)13:58 [編集]


貴重なナロハネ10車内

新宿駅のシーンでの車輌は、ナハ10形で間違い無いようです。これはセットでは無く、実車を使っているようですね。
赤松様がご指摘のように、扇風機にカバーが無いのは季節的に不自然な気がします。これも、車輌区でロケをしたためかもしれません。
「二等寝室」の画像と、その下の画像は、まさしく「ナロハネ10形」で撮影されています。全室二等寝台の車輌(例えばナハネ10など)では、「二等寝台」と表記されるのです。「寝室」になっているということは、合造車であることを示しているのです。
最後のカットでも、巻き上げカーテンが降りた窓の数が5つに見えます。ナロハネ10の二等部冷房改造後であるオロハネ10形の窓を見ますと、二等側(B寝台側)は5つなので一致します。
貴重なナロハネ10の車内が見られるということですね。

すぎたま | URL | 2019-09-24(Tue)11:27 [編集]


Re: 貴重なナロハネ10車内

すぎたま様 コメントありがとうございます。

そうですか 二等寝室という表示が合造車特有の表示なのですね PS部分を修正させて頂きます。
45年前に北海道で急行大雪5号のオロハネ10 B寝台に乗った時 通路が妙に短い印象が強く残っていたので、ナハネ10では?と書いた訳でした。

テツエイダ | URL | 2019-09-26(Thu)21:01 [編集]


プロバビリティーの犯罪

テツエイダ 様

 ED76であります。

被害者の岩瀬役の「児玉清」氏は、知性と包容力・理解力に溢れる父親役が似合う俳優のイメージがあります。小生が強く印象に残るのは、題名は忘れたのですが、ドラマでの「と或る商社の部長役」。家族を支え、そして大学生とОLの子どもの父親として強い存在感を示していたのですが、部下の女性(確か「土田早苗」様?)と長年にわたる不倫の末、結ばれない将来に絶望した彼女は自殺してしまうという展開に。
 責任を全て負い、妻(確か「奈良岡朋子」様だったような?)に全ての財産と子どもを託し、自分はアフリカの駐在員(完全な閑職だった)として、日本を離れて・・・というストーリーでありました。その時のラストシーンでコートに身を包み、大きなスーツケースを持ち、外苑の銀杏並木をただひとりで去っていく姿が印象的でした(映像の「児玉」氏は、若き青年姿ですが)。
 最近では、CX系の「HERO」の東京地検の次席検事・鍋島利光役が光ります。事実、愚娘が「できれば、結婚式に児玉清みたいな父親がいたなら、友だちにも誇れるよねぇ」とあっさり言われてしまい・・・(苦笑)。

 
 「松本清張」氏の「黒い画集 遭難」は、赤松様が仰るように短編集の一つであり、日常の現代人の心の陰りを鋭く表現している作風が小生気に入っているものであります。
単純な遭難事故として片づけられようとしていた一件が、被害者の姉役「香川京子」様(「天国と地獄」の社長夫人役)の疑問から、少しずつ疑念が見え始めて、リーダーの江田役の「伊藤久哉」氏(時代劇の悪役が似合います)に迫っていく従兄弟の槙田役の「土屋義男」氏(東邦特撮シリーズの名優)。北アルプスという「開放的密室」の中では、互いに逃げる事はできないのです。

 「天候の急激な変化は、長期予報で推測できたのではないか」
「岩瀬は、やたら疲れていたようだ。前の晩、何か精神的なショックで寝付かれなかったのではないか」

 このあたりの台詞回しは、見事の一言であり、ラストシーンでの江田の最期は強いインパクトを残してくれます。
この作品の根幹を成しているのは、「プロバビリティーの犯罪」というものです。自分の「ある行動」によって、殺害したい相手がうまく殺害できればよし、たとえ殺害できなくも疑われる心配はない。何度失敗しても、次々と同じような「行動」をくり返して、いつかは目的を達すればよいという殺害方法が、正しく江田が取った「行動」であります。
 ただ小説では、江田は目的を果たし、そのことに気付いた槙田を殺害した後、悠々と山を下る・・・という結末になっており、それでは如何なものかということで、あのラストシーンとなったと伺っております(小生は天邪鬼的な人間ですから、小説のラストが気に入っていますが)。


 「鉄」的には、往年の中央夜行レの姿に注目が行きます。山岳線区であることから、「ナハ10系」の軽量PCと合造車である「ナロハネ10」がポイントでしょうか。小生、以前「穂高」に当該寝台車が連結されていたことを知って、「101系」「73系」と「ナロハネ」がすれ違っていたことに感動したものでした。小生もテツエイダ様と同様に、昭和48年の春休み「鉄」親父にねだってSL撮影で初めて渡道。「321レ(旭川・ 稚内間)」で「C55」に牽かれて稚内に到着後、夕飯の味噌ラーメンもそこそこに、上りの「利尻」に乗車して「改造されたオロハネ10のハネ」にお世話になりました。合造車ということで期待していたものの、乗ってみればただの「ハネ」と基本的には変わらない事実(当たり前のことですが)に気づいてしまい、妙にがっかりいたことを覚えております・・・。
 
 P.C
  前回、テツエイダ様が驚いたと仰っておられた「825レ」ですが、昭和45年の春休みに完乗しました。「鉄」親父に連れられて「銀河51号」で名古屋へ向かい、最後尾の「背吊りが木製のスハフ(オハフ?)」に乗車。「中津川」で「EF64」から「D51」にスイッチされて「塩尻」で逆編成に。「DD51」が連結されて一路「長野」へ。そして「姨 捨のスイッチバック」で、交換の「名古屋行のPC」を見送ったのでした。

 失礼いたします。




ED76 | URL | 2021-11-26(Fri)13:13 [編集]


Re: プロバビリティーの犯罪

ED76様 コメントありがとうございます。

またまた凄いですね 旭川から8時間近く掛けて稚内まで乗り通し、僅か2時間弱の滞在で上り「利尻」のハネで戻るとは!

当時321レは宗谷本線を走り通す唯一の各停PC列車でしたね。さぞや汽車旅を満喫されたことでしょう。

小生は無煙化された後年 友人と旭川~音威子府を「急行天北」で移動し、ホームで名物の駅そばを堪能して稚内まではDL牽引のPC列車に乗りました。 なので廃止された天北線に乗りはぐったのが心残りです。

テツエイダ | URL | 2021-11-27(Sat)16:50 [編集]