fc2ブログ

日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

 285.別れて生きるときも

1961年4月 東宝 製作 公開  カラー作品   監督 堀川弘通

幾多の困難な環境にも負けずに力強く生き抜く塩崎美智(司葉子)の半生を描いた女性向け映画です

何度も刑務所に出入りする父 塩崎兼造(河津清三郎)の為に苦労して京都に育った美智は、女学校の教師 小野木淳(芥川比呂志)の策略で彼と結婚してしまいます。
ところがこの男はとんだ暴君で、我慢の限界で遂に美智は東京へと逃避行します。明け方 C57形蒸機に牽かれた列車に、
285-1.jpg
美智は一人思い詰めた顔で乗っています。

上京してはみたものの、
285-2.jpg
不況の 1931年では東京でも女の職探しは困難です。困り顔で歩く美智の背後の高架線を、茶色の省線電車らしきが走っています。(木製東京市散水車が!)
285-20.jpg
この近くで親切な朴泰泳(小林桂樹)に救われ職を得た美智が、桶屋の下宿先から通勤の為荒川土手を歩く場面では 京成本線荒川橋梁を渡る京成電車4連の姿があります。
285-4.jpg

その後 朴と美智の仲が噂されたのでモデル派遣会社へ転職した美智は、仕事依頼先の井波謙吾(高島忠夫)と恋仲となります。
遠くに京成本線荒川橋梁を渡る青電3連が見える東武鉄道 堀切駅で
285-6.jpg
通勤利用駅が同じなので会う井波と美智ですが、この日は井波が「あわてて髭を剃り忘れた」などと言いながら遅れて現れました。
285-7.jpg

続いて東京高速鉄道 赤坂見附駅に1000形地下鉄澁谷行が到着します。
285-8.jpg
下車客に交じって井波と美智も降りてきました。ところが改札を抜けると、その先は人だかりで出口へ進めません。
285-9.jpg
折しも(226事件)勃発の朝であり、赤坂見附付近は鎮圧軍とにらみ合う叛乱軍占拠地帯の最前線でした。それ故出口から地上へでることは禁じられ、
285-10.jpg
地下鉄も運行停止となり駅構内に缶詰めとなってしまいました。

その後 井波と美智は結婚し女の子も生まれて、つかの間の幸せな時期を過ごすことができました。ところが井波が思想犯として特高に捕まり、面会も叶わぬまま招集されてしまいます。
1944年の暮れ頃 突然長崎の人から手紙があり、井波が「前線へ向かうので一目娘 麻子(板屋幸江)に会いたい」と旅館の女将 野村ひさ枝(細川ちか子)に託して送られた手紙でした。
急ぎ美智は麻子を連れて、長崎の旅館へ向かいます。D51形蒸機牽引客車等の走行シーンが悲しいBGMと共に流れ、
285-11.jpg
満員の夜行列車の通路で眠る麻子を抱いた美智の力強い姿が映ります。
285-12.jpg

285-13.jpg

麻子を背負って漸く長崎の旅館へ到着すると、急に予定が変わって今夜出帆することになったと女将の説明です。一縷の望みを胸に部隊へ走る途上、汽笛を鳴らして近づく小型蒸機列車の直前を抜けて行きます。
285-14.jpg
地元の顔役である女将のコネで部隊内を入れて岸壁へと引込線を何本も渡って急いだ3人でしたが、井波が船内に乗っていると思われる楓丸が目前を静かに出港して行く姿を只 見送るしか出来ませんでした。

その後 沖縄へ向かう途中で戦死した知らせが届きますが、「夫は私の胸の中に蘇っている 私の生きてる限り別れても一緒に生き続けている」と美智は思い誓うのでした・・・





PS.

 1936年設定の駅ということで、東武鉄道堀切駅を選んで駅名板を替えてロケが行われた様です。1961年では枝線に行かなくては旧型車がいないので、東武鉄道の車輌が映らない様にしたのでしょう。ならば京成の青電も通過後に・・・

 また 1936年当時は東京地下鉄道が浅草~新橋を運行していたのみで、東京高速鉄道が赤坂見附駅を含む青山六丁目(表参道)~虎ノ門を開通させたのが2年後の11月なので架空設定です。(赤坂が 226事件の舞台なので苦しい脚本です 新橋は鎮圧軍の待機場所なので・・・)
 1000形電車も東京地下鉄道の車輌であり、映っている1001号は現在 地下鉄博物館に静態保存されています。1001が到着するシーンは赤坂見附駅ではなく、末広町駅の様に見えます。(赤坂見附駅は将来に備えて最初から2層構造だったそうです)

 長崎の陸軍部隊門近くを走る場面の小型蒸機は、つだ なおき様の情報により三井埠頭専用線の3号機関と判明しました。
この機関車は1968年10月頃まで働いたピーコック製C形蒸機の様です。



PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する
 

赤坂見附と2.26事件

こんにちは。

2.26事件当時、地下鉄銀座線(東京高速鉄道)が開業していたというのは随分トンデモな設定ですね。でも、もし本当に開業後だったら、反乱や鎮圧の経過はどうなっていたでしょう。反乱軍側は地下鉄の全部の出口や通風口を押さえることはできず、そこが情報伝達の抜け道になっていたとか、歴史ミステリーに使えそうな展開も考えられますね。

花見牛 | URL | 2019-05-29(Wed)17:24 [編集]


Re: 赤坂見附と2.26事件

 花見牛 様  コメントありがとうございます。

この場面は快晴の堀切駅で二人がおち合い、そのまま乗り継いで赤坂見附駅へ向かった様に見えます。(浅草から地下鉄に乗り継ぐのに何故か下り線?)

史実では2.26事件3日前の大雪(35㎝)が12㎝程残っていた状態で起こった事件の様です。そして当日は午前8時頃から再び雪が降りだしたので、青年将校役の小池朝雄が雪まみれなのも他の映画同様 フィクションであり演出です。

それよりも監督は2.26事件という異常な環境の中で、井波に求婚させたかったのでしょう。

もし本当に銀座線全線が開通していたら、叛乱軍としてはいち早く運行停止させてトンネルを封鎖するなどして守りを固めたことでしょう。

テツエイダ | URL | 2019-05-29(Wed)23:13 [編集]


ラストの機関車は・・

こんばんは。最後の写真の小型蒸気機関車は、鶴見の三井埠頭専用線3号機と思われます。1924年コッペル製、鶴見臨港鉄道から国鉄のち三井埠頭へ来た機関車で、昭和41年まで残ったそうです。

つだ・なおき | URL | 2019-05-30(Thu)22:38 [編集]


Re: ラストの機関車は・・

 つだ・なおき 様  コメントありがとうございます。

小型蒸気機関車は 三井埠頭専用線3号機との御意見に納得致しました。 キャブにある独特の窓が決め手でしょうか。
でもあの画像からこの機関車を導き出すとはさすがですね。

あの画像の場面の後 線路を横切って倉庫らしき前のホームへ三人で上がる場面がありますが、この場所の様子が風間さんのブログにある三井埠頭の構内画像とほぼ同じであることも確認できました。

テツエイダ | URL | 2019-05-31(Fri)23:08 [編集]


鉄橋を渡るシーンについて

テツエイダ様

下から2枚目のシーンですが、
中央東線、塩崎-韮崎の塩川鉄橋と思われます。
手前に金剛寺トンネルというのがありまして
その上からのアングルようです。
また、左に白く見えるのが旧国道20号、
あの名優の不幸な事故現場になります。

以上、毎度のロケ地ネタで失礼しました。

甲府機関庫 | URL | 2019-06-04(Tue)01:54 [編集]


Re: 鉄橋を渡るシーンについて

甲府機関庫 様  コメントありがとうございます。

さすが あの画像で分かるとは 地元ならではですか。 それにしても あのカットの為にロケに行ったとも思えないので、他の映画で 撮影したが使われなかった映像でしょうか。

テツエイダ | URL | 2019-06-04(Tue)19:50 [編集]


間違いはあるとしても

地下鉄開業の間違いはあるとしても非常に良い映画だと思います。
司葉子の最高の作品ではないでしょうか。
遊園地は、どこでしょうか。

さすらい日乗 | URL | 2019-07-02(Tue)21:23 [編集]


Re: 間違いはあるとしても

さすらい日乗 様  コメントありがとうございます。

小生も司葉子出演作品の中では一番好きな作品であります。娘時代から中年期まで、体当たりで熱演している様に感じます。

遊園地は確信はありませんが、今は無い 多摩川園と思われます。現在の多摩川駅の前にありました。
スリラーハウスやビックリハウスが映っているので、ここかなと思いました。 閉園半年前に行った記憶があります。

テツエイダ | URL | 2019-07-02(Tue)22:27 [編集]


別れて生きるときも

大女優と呼ばれる司葉子も東宝では「社長シリーズ」の社長秘書・小林桂樹の恋人(あってもなくてもいい役)ぐらいしか印象にない。

しかし、ここでは女の悲しみや苦しみに満ちた愛の遍歴を見事に体現していて、演技派女優にちょっぴり仲間入りしたと言ってよい、彼女の代表作である。

舞台となった「赤坂見附駅」が昭和11年( 226事件勃発)にはまだ開業していなかったとは、あらら、、、と恐れ入る。

(大蔵時代の)新東宝作品ならまだしも、天下の大東宝作品であり、かつ黒澤明の直弟子・堀川弘通監督とあろう御仁がこのような時代考証ミスを犯すとは信じられない。

「赤坂見附駅」の「見附」という呼称は関西人には聞き慣れない言葉だ。単純に「赤坂」では何故いけなかったのだろうか(後年「赤坂」という駅が生まれますが)。

納得できないのは、地下鉄の「東京」駅名だ。 設備・施設・サービスや乗降人員数など、いずれをとっても他の凡庸な地下鉄駅なみで、これほど「名前負け」している駅も珍しい。

いやしくも、日本鉄道王国、絶対王者の「東京」という称号を冠する以上、他の地下鉄駅とは「存在感」が厳格に峻別されなければならない。

個人的な提案だが、他の地下鉄との差別化を図るために、ホームはすべて大理石造り、天井には高級シャンデリア、壁にはミレーの大壁画、トイレは総檜造り、ベンチは北欧家具で統一する。

また、(利便性でどうしても「東京」とい駅名が使いたかったら、)「JR東京」駅と区別するために、「地底東京」、「土中東京」、「洞内東京」などと改名、発車メロディに「もぐらの唄」を流し、構内アナウンスは稲川淳二氏を専属契約、とかする。

三枚目の写真の「木製東京市散水車」は別のシーンでも出てきたように思う。
スタッフが苦心してこしらえた大道具類は何度も使いたかったのだろう。

劇中の朴泰泳さんは仏様のような人格者(小林桂樹の地がそのまま出たような役柄)、世の中こんなに善良で誠実な人ばっかりだったら、社会も争いごとなく穏やかで、みんな楽しく暮らせるだろうに。

赤松 幸吉 | URL | 2019-08-11(Sun)08:59 [編集]


Re: 別れて生きるときも

 赤松様 コメントありがとうございます。

 見附は城の門の外にあった通行人監視哨ですから、江戸城周囲には各所にあったそうです。それが地名として残った代表が、赤坂見附です。
  226事件で決起軍が占有したのが赤坂・麹町・永田町等の一帯が主だったので、映画では澁谷まで全通した想定で脚本を書いた様です。(赤坂見附は決起軍の占有地帯先端警備線が敷かれた有名地点なので想定したのだと思います。)

 作中では赤坂見附駅で軟禁状態にされ異常な境遇におかれたが故に、井波は永久に機会を逃してはとその場で美智に結婚を申し込んだ様ですね。

テツエイダ | URL | 2019-08-11(Sun)22:56 [編集]