
幾多の困難な環境にも負けずに力強く生き抜く塩崎美智(司葉子)の半生を描いた女性向け映画です
何度も刑務所に出入りする父 塩崎兼造(河津清三郎)の為に苦労して京都に育った美智は、女学校の教師 小野木淳(芥川比呂志)の策略で彼と結婚してしまいます。
ところがこの男はとんだ暴君で、我慢の限界で遂に美智は東京へと逃避行します。明け方 C57形蒸機に牽かれた列車に、

美智は一人思い詰めた顔で乗っています。
上京してはみたものの、

不況の 1931年では東京でも女の職探しは困難です。困り顔で歩く美智の背後の高架線を、茶色の省線電車らしきが走っています。(木製東京市散水車が!)

この近くで親切な朴泰泳(小林桂樹)に救われ職を得た美智が、桶屋の下宿先から通勤の為荒川土手を歩く場面では 京成本線荒川橋梁を渡る京成電車4連の姿があります。

その後 朴と美智の仲が噂されたのでモデル派遣会社へ転職した美智は、仕事依頼先の井波謙吾(高島忠夫)と恋仲となります。
遠くに京成本線荒川橋梁を渡る青電3連が見える東武鉄道 堀切駅で

通勤利用駅が同じなので会う井波と美智ですが、この日は井波が「あわてて髭を剃り忘れた」などと言いながら遅れて現れました。

続いて東京高速鉄道 赤坂見附駅に1000形地下鉄澁谷行が到着します。

下車客に交じって井波と美智も降りてきました。ところが改札を抜けると、その先は人だかりで出口へ進めません。

折しも(226事件)勃発の朝であり、赤坂見附付近は鎮圧軍とにらみ合う叛乱軍占拠地帯の最前線でした。それ故出口から地上へでることは禁じられ、

地下鉄も運行停止となり駅構内に缶詰めとなってしまいました。
その後 井波と美智は結婚し女の子も生まれて、つかの間の幸せな時期を過ごすことができました。ところが井波が思想犯として特高に捕まり、面会も叶わぬまま招集されてしまいます。
1944年の暮れ頃 突然長崎の人から手紙があり、井波が「前線へ向かうので一目娘 麻子(板屋幸江)に会いたい」と旅館の女将 野村ひさ枝(細川ちか子)に託して送られた手紙でした。
急ぎ美智は麻子を連れて、長崎の旅館へ向かいます。D51形蒸機牽引客車等の走行シーンが悲しいBGMと共に流れ、

満員の夜行列車の通路で眠る麻子を抱いた美智の力強い姿が映ります。


麻子を背負って漸く長崎の旅館へ到着すると、急に予定が変わって今夜出帆することになったと女将の説明です。一縷の望みを胸に部隊へ走る途上、汽笛を鳴らして近づく小型蒸機列車の直前を抜けて行きます。

地元の顔役である女将のコネで部隊内を入れて岸壁へと引込線を何本も渡って急いだ3人でしたが、井波が船内に乗っていると思われる楓丸が目前を静かに出港して行く姿を只 見送るしか出来ませんでした。
その後 沖縄へ向かう途中で戦死した知らせが届きますが、「夫は私の胸の中に蘇っている 私の生きてる限り別れても一緒に生き続けている」と美智は思い誓うのでした・・・
PS.
1936年設定の駅ということで、東武鉄道堀切駅を選んで駅名板を替えてロケが行われた様です。1961年では枝線に行かなくては旧型車がいないので、東武鉄道の車輌が映らない様にしたのでしょう。ならば京成の青電も通過後に・・・
また 1936年当時は東京地下鉄道が浅草~新橋を運行していたのみで、東京高速鉄道が赤坂見附駅を含む青山六丁目(表参道)~虎ノ門を開通させたのが2年後の11月なので架空設定です。(赤坂が 226事件の舞台なので苦しい脚本です 新橋は鎮圧軍の待機場所なので・・・)
1000形電車も東京地下鉄道の車輌であり、映っている1001号は現在 地下鉄博物館に静態保存されています。1001が到着するシーンは赤坂見附駅ではなく、末広町駅の様に見えます。(赤坂見附駅は将来に備えて最初から2層構造だったそうです)
長崎の陸軍部隊門近くを走る場面の小型蒸機は、つだ なおき様の情報により三井埠頭専用線の3号機関と判明しました。
この機関車は1968年10月頃まで働いたピーコック製C形蒸機の様です。


