
早くに妻を亡くした大学教授 曽宮周吉(笠智衆)が、何かと父の世話を焼く一人娘 紀子(原節子)の結婚を心配して一芝居打つホームドラマです。
冒頭 横須賀線 北鎌倉駅の様子が3カット映ります。


そして紀子や叔母の田口まさ(杉村春子)が、茶会に参加する場面へと続きます。
その翌日 紀子は病院で検査結果を聞く為、出勤する父に同行して横須賀線で東京へ行くことになります。
先ず 鎌倉駅のホームが映ります。屋根が掛かるのは僅かで、殆どの部分は露天ですね。

ホームの様子は現在から見ると、隔世の感があります。

続いて 東京行 63系電車が、軽快なBGMと共に亀ヶ谷トンネルへ向かって行きます。

久里浜始発らしき電車は混んでいて、二人共立って吊革に掴まっています。

次に大船から東海道本線へ乗り入れた所でしょうか、複々線区間を走っています。前から2両目は二等車、4両目にはサハ57形らしき太い白帯の進駐軍専用車が連結された10両編成です。

横須賀線では 1949年1月10日より10両化されました。
その次のカットでは3複線区間から、左方向へ複線が分岐して行く地点が映ります。

鶴見の先で分岐する品鶴線でしょうか、直進する列車の最後部はモハ32形車輌と思われます。
そして六郷川橋梁を渡るシーンへと続きます。撮影機を窓外へ固定して撮っているので、ポニーワーレントラス橋が続いた後

プレートガーター橋へと変わる様子が良く分かります。

横浜に停車した時に席が空いたのでしょうか、紀子も父親の隣に座って本を読んでいます。

田町駅の先では、右手に大きなガスタンクが現れます。

浜松町付近では、やや距離を置いて映しています。

最後は新橋駅南西地点から63系電車を捉えているそうです。

当時 横須賀線用に配備された 153両の内、63系は 45両で最多でした。
その次のカットは銀座服部時計ビル(この当時はPX)なので、二人は終点 東京駅で降りた様です。
PS.
前作「276.お茶漬けの味」のコメントへの返信続編でも紹介しましたが、小津監督作品の撮影を担当した厚田雄春氏が(小津安二郎物語 厚田雄春・蓮實 重彦 著 筑摩書房刊)の中で本作についても触れています。
厚田カメラマンは鉄道ファンでもあるので横須賀線に乗って鎌倉~東京で小津監督と共にロケハンすると、好撮影地や見所の助言を行い 小津監督も多くの意見に同意して本編の様な流れとなったそうです。
車窓からの撮影には張り出し長さを検討した丈夫な台を窓に取り付け、フランス製パルモ撮影機を載せて固定し 駅間でのみ撮影して駅が近づくと中へ収納したそうです。
また笠智衆と原節子が乗った車内シーンは大船駅から国鉄大船工場までの引込線で、63系電車を借りて行き来してもらい エキストラと共に撮影したそうです。
小津監督はスクリーン・プロセスが嫌いなので、実車を借りて撮影することが多かったそうです。(225.彼岸花)の特急かもめ号車内ロケも、品川客車区で特ロ車輌を借りて行った様です。
その究極例が前作のコメントへの返信続編で記した、特急つばめ号の展望車でのロケです。マイテ39形らしきを借りて、急行きりしま号の最後部に沼津まで連結してもらっての撮影でした 予算は?


