
働きながらも明るく洋裁学校に通う小神須美子(和泉雅子)は難病に罹り下半身麻痺となってしまいますが、周囲の励ましで絶望の底から生き抜いていこうと決心するまでの過程を描いた映画です。
冒頭 北海道の樽前山をバックに室蘭本線社台駅付近の社台ファーム横を走り抜ける、C57形蒸機らしき牽引の旅客列車が映ります。

続いて 室蘭本線 苫小牧近郊の直線区間らしきを走り来る D51形蒸機が映って、タイトルが入った後 昭和39年3月と公開3年前からの話と表示されます。

岩内に住む須美子が友達と帰って来て、岩内駅から出てくる場面があります。

1954年9月の岩内大火で全焼し、翌年再建された駅舎です。1985年6月末をもって、岩内線(小沢~岩内)と共に廃止されました。
須美子の中学校の先輩 内村弘二(山内賢)に礼を言いたくて、札幌行列車に乗り換える小沢駅ホームで捜す場面があります。曲線ホームの先からカメラは、超望遠レンズで撮っています。
牽引機関車は C57形でしょうか?発車ベルが鳴る中 須美子は前後に車内を捜しますが、内村が座る席を通り過ぎて後方へ行ってしまいます。内村が気付いて窓を開け、


呼び掛けると須美子も振り返ります。

「次は銀山」と放送が聞こえる中、列車は動き出しました。内村の問い掛けに須美子は「昨日はありがとう」と笑顔で叫び、手を振って見送るのでした。

脚に異常を感じ原因不明のまま下半身麻痺となった須美子は、変形性脊髄症と分かり札幌で手術を受けることになります。
客車のボックス席の窓側に須美子を寝かせ、父 小神修造(日野道夫)と母 はつ(望月優子)それに看護婦さんが付き添って札幌へ向かいます。

続いての蒸機走行シーンは、銀山~然別の稲穂峠でしょうか。

PS.
冒頭のシーンは岩内線や函館本線とも違う室蘭本線で撮影された様ですが、駅構内を除いて日本一の最長直線区間(白老~沼ノ端 28.7㎞)として有名な区間で雄大な北海道らしい場所として選ばれた様です。
岩内駅は東映作品「飢餓海峡 1965年公開」の冒頭でも、1947年の話として登場しています。ロケ当時 岩内線はDC化されているので、他で撮影された様です。本作の岩内駅舎は現地での撮影です。
小沢駅での見送り場面は蒸機が牽く列車の方が絵になるので、岩内ではなく小沢で行ったのでしょうか。ところが函館本線もC62形重連で有名な急行ていね(後のニセコ)はありましたが、岩内から札幌直通の準急はDCでした。
日中に小沢駅からの普通札幌行は 11:12 発の41レが唯一で、16:43 発の137レは夕方過ぎます。放送が本物ならば、長万部始発の 41レ(小樽 12:36 札幌 13:16着)でロケが行われた様です。
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