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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

250. ゼロの焦点

1961年3月 松竹 製作 公開   監督 野村芳太郎

新婚一週間で失踪した夫 鵜原憲一(南原宏冶)の行方を追って北陸金沢へ向かった妻 禎子(久我美子)が、現地で知り得た夫の意外な秘密と過去から連なる結末へと至るサスペンス映画です。

冒頭 禎子は上野駅へ、転勤引継ぎの為 金沢へ向かう鵜原の見送りに来ました。同行する本多(穂積隆信)が出札窓口で金沢までの切符二人分と入場券を買うと、出札職員は復唱して「5930円です」と応えます。
上に 21:15発 上越北陸線回り急行北陸 金沢行の、発車案内札が掛かっている改札口を入ります。
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そして混み合う 14番線ホームを進み 鵜原と本多は、指定席一等車の次の自由席一等車に乗り込みます。
白いカバーが掛かった座席の窓側に座った鵜原は「12日に帰るから」と言って、
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列車はゆっくり発車して行きます。ここでサスペンス映画向けのBGMと共に、タイトルバックとなります。

鵜原が予定日を5日過ぎても帰らず行方不明となったので、本社の青木課長に同行して禎子も金沢へ行くことにします。
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17日の夜 急行北陸の一等車に乗ると、
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程なく発車して EF57形電機らしき牽引列車の走行シーンとなります。
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車内で新婚旅行の話となると、窓の大きな一等車に乗る鵜原夫妻の回想場面となります。そこで禎子が「学校にいる時から北陸の地に憧れていた」と話すと、「あそこは一年中暗い空で やがて憂鬱な冬が来る」などと否定的な感想です。
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青木は空気枕をひじ掛けに置いて横向きに寝て、禎子はコートを掛けて真っ直ぐ座って寝ている様です。やがてもの悲しいBGMと共に C57形蒸機らしきに牽かれて、
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夜明けの海岸沿いを走る列車の走行シーンへと続きます。
目覚めた禎子が曇った窓を拭くと、小さな海辺の駅を通過するところです。続いて親不知付近の様に 切り立った斜面と海に挟まれた所を走るC57形蒸機牽引列車が、積もった雪と相まって遠い雪国へ来たことを強調しています。
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禎子は洗面を済ませて席へ戻ると、青木に「おはようございます」と声を掛けます。
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起き上がった青木は車窓を見て、「あゝ あれが能登半島です」と指さします。北陸本線 泊駅付近なのでしょうか。
次に C58形蒸機に牽かれた列車が、金沢駅へと到着します。
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そして新所長 本多のいる金沢出張所へと行って話を聞きますが、11日に高岡へ寄って帰ると言って出たまま行方不明で 更に最近一年半の住み家も分からない始末です。

市内の白山荘に宿をとり 翌朝本多に同行して、 鵜原の得意先である十間町の丸越工業へ向かうことにします。雪景色の兼六園下電停付近を走る、北陸鉄道 金沢市内線の路面電車が映ります。
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車内で本多は鵜原と丸越工業 社長夫妻の親交具合を説明して、仕事抜きでも深い交友関係にあつたと説明します。車掌が「次は寺町三丁目」と案内した後、立っていた本多も座ることが出来ました。

続いて堤町電停で下車したと思われ、 300形らしき2系統の路面電車が前を走る 丸越工業本社へと二人は到着します。
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ここで実地取得した様な英語を喋る受け付女性から社長宅へ来てほしいと告げられ、この女性に二人は強い印象の残る人だと感じるのでした。
社長宅で夫妻と鵜原の思い出話を聞いているところへ警察からの知らせが入り、出向くと 能登半島の富来町で鵜原に特徴の似た身元不明の自殺遺体が発見されたとのことなので現地へ行くことにします。

本多は社用があるので、禎子一人で先ず七尾線の気動車に乗って羽咋へ向かいます。キハ20系らしき5連DCが映り、車内で禎子は社長夫人 室田佐知子(高千穂ひづる)が文化人として活躍する新聞記事を目にします。
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羽咋駅で北陸鉄道 能登線のキハ5001らしきバケット付き気動車に乗り換えです。
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能登高浜付近から海辺の車窓が映った後、寒々とした終点 三明に着いて更にバスに乗り換えて
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富来へいきますが別人でした。
禎子の行動を再現すると、金沢 10:40ー(125レ)ー 11:42 羽咋11:52ー(北陸鉄道能登線)ー 12:48 三明 12:50ー(バス)ー13:20 富来 14:10ー 14:40 三明 14:50ー 15:48 羽咋 16:15ー 17:13 金沢 となって大変な一日です。

東京から鵜原の兄 鵜原宗太郎(西村晃)が捜索に来たので禎子は一旦帰京しますが、義姉宅に宗太郎殺害の電報が届き 急遽義姉(沢村貞子)と共に金沢署へ出向きます。
現地で火葬した遺骨を胸に帰宅する為 急行北陸 一等車に乗った義姉を、金沢駅ホームへ見送りに来た禎子がいます。
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前方で文化人女史を他の婦人たちと見送りに来た佐知子が、禎子に気付いて近寄って挨拶します。
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禎子は母親から鵜原が今の会社に入る前 立川で巡査をしていたことを聞き、丸越工業の受付で見た パンパン英語を喋る女が気になります。ところが女は姿を消し 亡くなった彼女の夫のことを調べると、先日行った富来の人でした。
前と同じく三明から
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バスに乗り換えて富来町へ行くと、姿を消した女 田沼久子(有馬稲子)と自殺した内縁の曽根益三郎が住んでいた家に辿り着きます。
この曽根益三郎と鵜原憲一が同一人物であることを確信した禎子は、一人帰京するべく金沢駅 出札口で切符を求めると「東京まで 930円です」しかし警察から呼び出しがあり、禎子の思いと違う結末を聞かされます。

その後 鵜原の行動に納得がいかないながらも、生活の為 再就職した禎子は一年間丸の内の会社で働きます。そして次の正月休み 再び金沢へ。暗い海沿いの線路を走る、C57形蒸機牽引列車の姿が映ります。
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最後は その後のサスペンスドラマの定石となる、断崖絶壁上での真相追及場面があって謎が解けてゆくのでした。








 PS.

1.上野駅で本多は金沢までの一等乗車券と一等急行券を二人分 それに禎子の入場券を求め、出札係から 5930円と言われます。これは東京ー(東北・高崎・上越の合計 267.6㎞)ー宮内ー(信越 70㎞)ー直江津ー(北陸 179.9㎞)ー金沢 合計 517.5㎞の一等乗車券 2240円+一等急行券(300㎞以上区間)720円で計 2960円 これの二人分で 5920円に入場券 10円を足して合計 5930円という計算なのでしょう。
 急行北陸が上越線経由なので、脚本家はこの様な計算を元に台詞を書いたのでしょう。ゆえに出札窓口部分はセット撮影もしくは、役者が演じての撮影と思われます。1947年6月29日より上野ー(上越線経由)ー金澤・新潟の 605レ606レ夜行急行列車が設定された時より(列車特定区間)として、高崎~直江津の間で途中下車せずにその先まで乗車する場合は距離の短い 信越本線経由として計算する制度がこの区間では始まったそうです。
 ロケが行われた当時 上野駅の出札職員としてこの制度は、急行北陸を念頭に置いて発券する以上 常識であったと思われます。ですから東京ー(東北・高崎・信越 295.8㎞)ー直江津ー(北陸 179.9㎞)ー金沢 合計 475.7㎞に基づき、一等乗車券 2140円+一等急行券 720円で計 2860円 二人分で 5720円+入場券 10円で 5730円となります。

2.最初に鵜原と本多が乗ったのは、3号車の自由席一等車の様ですから当時はスロ60形と思われます。旧特ロ車輌としては乗り心地を含めてやや古いけれども、シートピッチが長く足元がゆったりとして寝やすい車輌です。
 しかし禎子が青木課長と金沢へ向かう場面で乗ったのは、狭窓の転換式クロスシートであるオロ35クラスの並ロ車輌の様です。車内シーンを撮る為に、セットか留置中の車輌を借りての撮影と思われます。

3.禎子が乗った急行北陸がC57形蒸機牽で親不知付近らしきを走行する場面がありますが、実際には 5:20前後の通過で冬場は真っ暗です。ですから泊付近で青木が、「あゝあれが能登半島です」と案内するのは不可能では?(魚津でも 6:13発で、12月18日の日の出は 6:58です) その後は金沢まで海辺を離れ、見えないと思われます。 泊駅手前の市振らしき海辺の寂しげな駅構内が映っているのが印象的ですね。
 犬童一心 監督の 2009年東宝作品では 1957年12月の設定ながら列車の時刻が殆ど同じなので、車掌が「おはようございます 時刻は 6:30を迎えております 次は泊です」と放送して 50分程列車の時刻設定を遅くして辻褄を合わせている様です。

4.急行北陸が金沢駅へ到着する場面では、C58形蒸機が牽いて現れます。当時 北陸本線の直江津~金沢で、旅客列車は殆どC57形蒸機が牽いていた様です。北陸本線上りの津幡手前には、俱利伽羅峠があるのでC58形蒸機ではあまりにも力不足と思われます。
 七尾線からのC58形蒸機が牽く列車が津幡から金沢まで乗り入れていたので、あるいはこの列車の姿かもしれません。(金沢 7:45着の和倉からの 312レがありました)

5.富来へ向かう禎子が羽咋から乗り換えたのが、北陸鉄道 唯一の非電化路線である能登線です。当ブログ(27.あらかじめ失われた恋人たちよ)でも登場したローカル私鉄で、1972年6月に廃止されています。

6.後半 禎子が帰京するべく金沢駅で切符を求めると、930円ですと言われます。これも不思議で上記の額から二等切符は一等の半分なので、都区内まで 1070円です。930円では高崎線の倉賀野までしか行けないし、窓口氏はドン行列車で延々と東京まで行くと思ったのでしょうか?(なお 1959年7月では 900円でした)


 (238.女のみづうみ)で予告しましたが 皆様のコメント等の応援もあって、250回記念(ゼロの焦点)を小生なりの切り口で発表することができました。 これからも応援宜しくお願い致します。




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コメント


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ゼロの焦点

200回目が「点と線」なら、250回目は「ゼロの焦点」になるのは順当なところでしょう。

原作が松本清張、脚本が橋本忍・山田洋次。

彼らにより当時の路線図や列車種別・時刻表などは徹底的に調査されているので、この完璧なブログと合わせてみれば「松本清張ワールド」の臨場感がたっぷり堪能できます。

250回記念ということでいつにも増して気合いが込められており、検証には乗車料金まで併記されている。

当時入場券が10円だったのはよく覚えています。
当時のかけうどん一杯が30円だったと思うので、(入場券は)かなり高かったのでは。

犬童一心監督の同名映画も見ましたが、これはもう一つ面白くなかった。

先ず、女優たちの風格と存在感がまったく比べものにならない。
久我美子・高千穂ひづる・有馬稲子の三大女優(くせ者俳優・南原宏治も含めて)を並べられると、リメイク版は出演者たちのチャラチャラとした「薄っぺらさ」だけが目についた。

次に時代性。
昭和30年代頃までは、終戦直後生活苦のために「パンパン」(進駐軍相手の売春婦)や「ヤミ屋」を一時やらざるをえなかった人たちが、過去の素性がばれるのを恐れ、怯え、ビクビクしながら暮らしていたケースが現実にも多く見られたものでした。

この肝心の殺人動機がもはや犬童作品公開時の観客の肌には十分に伝わらない世情となっていたのではないか。

犬童作品では、鉄道シーンの一部はコンピュータ・グラフィックスによる画面のような気がするのですが。

もしそうだとすると、清張作品を炙り出すのに味もそっけもなく、興ざめです。
本作は松本清張+野村芳太郎の名作群の一つです。

赤松 幸吉 | URL | 2018-01-20(Sat)18:52 [編集]


Re: ゼロの焦点

 赤松様 いつにも増して熱のこもったコメントありがとうございます。

女優陣の風格と存在感については同感です。時代性については 本作が原作発表から1年程で公開されていますから、街中でのロケなどは有利であり 自然に撮れるのも当然です。

 犬童一心監督 作品はどうしても不利な点が多いながらも、韓国ロケで市内電車の走る当時の金沢の街に近い雰囲気を再現しています。 また急行北陸のおはよう車内放送の声・質 共に臨場感満点で、しびれました。
 ただ鉄道好きの小生が鑑賞した時、上野駅で禎子が急行北陸を見送る場面でいきなり蒸機の汽笛が鳴ったのでアチャーでした。 原作より更に古い 1957年の時代設定とした点も不明です。もの悲しい雰囲気の為に、どうしても上野発の蒸気機関車が必要なのでしょうか。(高崎線は1952年4月に電化され、それ以降 上越・信越本線への長距離列車は高崎まで電気機関車が牽引した様です)

 PS.の部分はどうもアラ探しをしている様に感じられる方もいらっしゃると思われ 小生としても心苦しいのですが、 当ブログの切り口方針として大目に見てください。
 ゼロの焦点に憧れて急行越前や北陸に乗った昔、親不知付近は新線になっていましたが夜明け前でした。そんな記憶も相まって、この作品を取り上げたら気合を込め過ぎたのかもしれません。

テツエイダ | URL | 2018-01-22(Mon)10:26 [編集]


待ってました!

「ゼロの焦点」、楽しみに待っていました!

さすがの分析で、楽しませていただきました。
ありがとうございます!

当地の鉄道趣味の重鎮にも
お見せしましたら、
何点か指摘がありましたので
お伝えいたします。

新婚旅行のシーンの車両は
大窓なので、オロ40と思われるが、
上司と金沢に向かうシーンは
小窓のオロ35なので
「北陸」には連結されていない。

オロ35は関西系の車両に多く
「ゆのくに」に連結されていたので、
夕方四時半ごろに金沢についた
「ゆのくに」の車両でロケしたのかな?
との分析でした。

臨時に連結された場合が
あったかもしれないので、
断定はできません、とのことです。

親不知辺りを走るシーンは
ダブルルーフの客車なので、
「北陸」ではなく「普通」である。

アップのシーンの二両目に
オハニ30が確認できるので、
やはり普通列車だと思われたそうです。

金沢到着のC58は
七尾線の普通列車だと断定したのは
客車の愛称板が裏返しあり
真っ白なので、普通列車である。

金沢市内線の電車は
単車の300形が出てくるが
車内のシーンはボギー車でロケしている。
窓の間の柱に広告があるのが
ボギー車の特徴だそうです。

七尾線の気動車はキハ25で
キハ10は七尾線にいなかった。
俯瞰のシーンは複線なので、
金沢ー津幡で撮影したと思う。

羽咋駅の能登線入線シーンは
キハニ5001で、3枚窓なのと
入線時に番号が見えていました。
その後、付随車になったので、
貴重な走行シーンだという事です。

田沼久子がひとりで
電車に乗り、スキー客が
ヒソヒソ話をするシーンは
金名線 手取中島〜加賀広瀬を走る
白山下行きのモハ5101で、これも
車番が見えました。

お骨を持ち帰る金沢駅のシーンも
オロ35なので、きっと
「ゆのくに」の車両を使い
ロケしたのでしょう。

…との事でした。

自分も知らない事ばかりで
大変、勉強になりました。

テツエイダさんの記事をご覧になり
「よく調べてあるなー!」と
感心しておられましたよ(*^^*)

また、今後の記事も楽しみにしていますね!
いつも、ありがとうございます。

いずみ | URL | 2018-01-22(Mon)16:23 [編集]


Re: 待ってました!

 いずみ 様 こちらこそあなたのコメント待ってましたです。

禎子が青木課長と金沢へ向かう場面は、やはりオロ35でしたか。そして 当時は並ロが急行列車から外され準急と普通列車に充てられていたので、金沢 16:38着 「準急ゆのくに」でのロケと推理されたのですね。
新婚旅行中の会話場面での走行音が無いのでセット撮影かと思ったのですが、車窓と様子から雑音が多いのでアフレコに替えたのかもしれませんね。

親不知付近らしきの走行シーンは編成が7連(北陸は荷物車を含めて13連)なのと、当時のダイヤで冬場は余程の遅れがないかぎり日中 上り優等列車は撮れないから普通列車と考えたのです。

金沢市内線の電車の車内で窓の間の柱に広告があるのがボギー車の特徴であるとは、地元の方ならではの知識ですね。

七尾線の気動車はキハ25形でしたか ご指摘ありがとうございます。キハ20系として訂正させて頂きます。

北陸鉄道能登線 羽咋駅へ来た車両は、小生にはヘッドライトと窓枠の位置から4枚窓に見えます。手持ちのビデオでは番号が不鮮明で0が一つ見えるので、キハ5201でしょうか?

田沼久子が金名線 白山下行に乗ってる場面は、これも不鮮明で白山下行しか確認できません。それで この場面は触れなかったのですが、モハ5101でしたか さすがです。

(238.女のみづうみ)での最終コメント中に禎子が田沼久子の家を探す場面で、親戚の方の家が登場しているそうでしたね。今回 じっくり観ると現在ではかなり街が変わった様ですが、香林坊二丁目ですか。

テツエイダ | URL | 2018-01-23(Tue)14:17 [編集]


ありがとうございます!

丁寧なご返信、
ありがとうございます!

鵜原憲一が上野駅から出る時
「12日には帰るからね」と告げますが、
これは1月12日の事と思われます。

市内線電車の車内シーンで
「大乗寺」と書かれた笠を手に座る
修行僧が映るのですが、
これは小寒から節分まで行われる
大乗寺の寒行托鉢なので、
節分までだと、1月になりますね。

羽咋駅の能登線、
拡大すると「500・」まで
読めると思うのです。
後述の写真、ご確認ください。

モハ5101に関しては
公開後の昭和38年に事故で
貫通扉にお面が変わってしまったので、
貴重な記録ですね!

あと、地元民が思うに
丸越工業の所在地は
十軒町→十間町だと思います。

ロケ地は上堤町ですが、
隣が十間町なので、
そういう設定なのでしょう。

資料の写真をアップしたので
リンクを張っておきますね!

あと、参考になりそうな
ブログも、お知らせまで。

http://ecran.exblog.jp/21622264/

親戚の件、よく
覚えていてくださいました(*^^*)

現在は香林坊2丁目ですが、
当時は高岡町だったはずで、
母親などは「高岡町のおじさん」と
呼んでいます(笑)

いずみ | URL | 2018-01-23(Tue)21:19 [編集]


あれ

よくよく読ませていただきましたら
やはり12月18日の設定なのでしょうか?

だとすると、大乗寺の托鉢と
辻褄が合わなくなり
ますます謎が深まります。

しかし、テツエイダさんは
本当に博識ですね!
自分は昔の鉄道の事は、
あまり詳しくなので
本当に勉強になります!

いずみ | URL | 2018-01-23(Tue)22:06 [編集]


Re: ありがとうございます!

 細かく分析された再度のコメントありがとうございます。

この映画の現地ロケが 1961年1月~2月に行われた様なので、大乗寺の寒行托鉢と同時期となったのでしょう。

北陸鉄道能登線の件ですが 再度じっくり観ると、車体中央の社紋下の番号にゼロが見えますね。小生は先頭部左上の番号しか見ていませんでした。 更にドアから社紋までの間に窓が4つの小型車輌ですから、間違いなくキハ5001気動車ですね。

十軒町の件は勘違いで、十間町でしたね。この2点を訂正させて頂きます 鉄道趣味の重鎮の方に宜しくお伝え下さい。

いずみ様におかれては、小生との間に立って お疲れ様でした。赤松様への返信でも書いた様に 40年程前に何度か石川・富山県を訪れましたが、北陸鉄道能登線や尾小屋鉄道の廃線に間に合わなかったことが今もって残念です。

 でもローカル私鉄好きの小生が初めて金沢へ朝方着いた時、金沢駅の裏口の様な(失礼!)北鉄金沢駅に驚き・感動しました。
現在の便利で綺麗な駅の様子とは、隔世の感がありますね。ですから画像が少ない点 申し訳ないのですが、(70. 非行少女)は思い入れのある作品です。 乗り鉄・撮り鉄・時刻表好きの小生なので車輛に関しては弱い方ですが、これからもコメント・ご指摘をお願い致します。

テツエイダ | URL | 2018-01-24(Wed)19:55 [編集]


ありがとうございます

なるほど!
1ー2月のロケでしたか。
大変、納得がいきました。

40年ほど前に、金沢にも
来られたのですね!

私、実は41歳でして
当時の事は、全く知りません。

が、重鎮の方と知り合いまして
日々、勉強させていただいております。

https://scontent-nrt1-1.xx.fbcdn.net/v/t31.0-8/fr/cp0/e15/q65/21414760_484376395269313_6527464677885128576_o.jpg?efg=eyJpIjoidCJ9&oh=8756225c27accd46cc490bf1e5113c3c&oe=5AE3B5D7

重鎮の方は、カフェのオーナーなので
もし、金沢にお越しの際には
お立ち寄りください!

すごい記録写真が
たくさんありますよ。

当地の鉄道が出る映画としましては
「恋する女たち」もありますので
いつかピックアップされる日を
楽しみにしております(^^)

いずみ | URL | 2018-01-24(Wed)21:54 [編集]


Re: ありがとうございます

 北陸地方で3万枚の記録写真とは恐れ入りました 小生など足元にも及びません。

なるほど 「重鎮の方」ですね 道理で詳しい訳です。新聞の切り抜き画像 ありがとうございました。西脇様の写真 芯が強いながらも、優しそうな人柄を感じ取れます。 金沢へ行く時は、立ち寄らせて頂きます。

「恋する女たち」機会があったら、必ず取り上げます 情報ありがとうございました。

テツエイダ | URL | 2018-01-24(Wed)23:03 [編集]


Re: タイトルなし

 いずみ様が記事を書いて撮影までされたそうで、西脇様といずみ様の共同作業で開いた写真展 素晴らしいですね おめでとうございます!。

余談の件ですが、このブログを始めて3回目に「アエラ」という雑誌に同じ内容の記事が偶然載りました。 内容はこれまで語られた有名作ばかりで、目新しい内容はなかったのです。
 それもあって50本に一本の記念号以外は、有名作を取り上げない方針を決めたのです。
 勿論「男はつらいよ(第9作) 柴又慕情」は観ていますが、ご想像通り あえてこれまでは取り上げていなかったので いつかは登場すると思います。

テツエイダ | URL | 2018-01-26(Fri)00:29 [編集]


最初に見たのはテレビでした

最初に見たのはフジテレビで、主人公は河内桃子でした。結構怖いドラマだったと記憶しています。
映画を見たのは大分後でしたが、かなり変な話だと思いました。結婚してみて、夫に別の女性がいたことを全く知らなかったというのは非常に変だと感じました。まあ、当時の日本の女性はそんなものかとも思いましたが。
今見て、この映画に意味があるとすれば、犯人の高千穂ひづるの演技で、非常に冷めた演技で、当時で考えればすごいものだったと思うのですが。
鉄道に関係なくてすいません。

さすらい日乗 | URL | 2018-02-02(Fri)08:51 [編集]


Re: 最初に見たのはテレビでした

さすらい日乗 様 コメントありがとうございます。

小生 星野知子主演のテレビドラマは観ましたが、河内桃子主演作は未見です。星野版はドラマの前半まで映画と台詞が全く同じだったので、台本をコピーしたのかと思いました。

この映画は結局 鵜原憲一という男が一緒に暮らす女性がいながら東京で見合いした相手の方が良かったので、見勝手な考えから周りの人間を悲劇へと巻き込んでしまったとも言えると思います。

当時の見合い結婚は現在より紹介者を信頼して任せた面があったと思います。当時も探偵に調査依頼をする例もありましたが、この話の場合は分からなかったと思われます。

この映画が高千穂ひづるの演技で、より印象深い作品となったのは間違いないでしょう。

テツエイダ | URL | 2018-02-02(Fri)23:54 [編集]


スロ51も共演?

テツエイダ様、みなさまこんにちは。

下から3枚目の画像、「かなざわ」駅でのシーン、背景の客車は「特ロ」のスロ51形に見えますね。デッキの外側、柱が側板と同一面で、車端が絞られておらず、また車内のシートも、かろうじて背刷りが一人ずつに分かれているように、枕カバーから見えます。隣接する向こう側の車輌も同形式かもしれません(車端の雨樋が角管です)。

失礼いたします。

すぎたま | URL | 2018-02-03(Sat)14:38 [編集]


Re: スロ51も共演?

すぎたま 様 コメントありがとうございます。

鋭いご指摘ですね。僅かに車内側が映っているシーンをビデオで観ると、背刷りが分割している様にも見えます。
形式に弱い小生には決め手が無いので、このシーンはスルーしたのです。
北陸なれど、スロ54・スロ60にスロ51が増結されて一等車が3両編成で走った時期なのかもしれません。(スロ51が増結された実例あり)

テツエイダ | URL | 2018-02-03(Sat)18:28 [編集]