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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

241.どっこい生きてる

1951年7月 新星映画社・前進座 製作 北星映画 配給   監督 今井正

時代は戦後復興初期。定職に就いて安定した生活を目指す 日雇い労働者 毛利修三(河原崎長十郎)の、だらしなくも前向きに苦闘する生活を描いた社会派映画です。

冒頭 早朝から日雇い労働を紹介する職安の様な所を目指す人々を映した場面で、薄暗い中 千住大橋らしきを越えて来た都電の前後に軌道敷を走る男がいます。
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続いて 高架駅を出発する京成電鉄 200形らしき電車が映り、駅の出口から走り出して来る人々がいます。推測すると 千住大橋駅でしょうか、「防犯強化デー」と書かれた大きな立て看板が目立っていますね。
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次に都電 3000形 3105が停止しない内から飛び降りて 駆け出す男達がいます。行先表示が北千住と読めるので、都電 21系統(千住四丁目~水天宮前)ですね。
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カーブを曲がった所で停車したので、千住中組電停でしょうか 殆どの人が降りた様です。他の車が走っていないので、日光街道の路上を広がって走って行く様です。かつて千住橋戸町にあった職安を想定している模様です。

この日雇い労働の仕事もアブレる日もあって苦しいのに 借家も立ち退きを迫られ、妻 さと(河原崎しづ江)は長男 雄一(河原崎労作)長女 民代(町田よし子)を連れて東北の姉宅を頼って行くことにします。
出発の日 上野駅へ行く前に、アメ横近くの高架線沿いを歩く一家が映ります。山手線か京浜線の 63系電車が5連らしきで走行する姿が映ります。この界隈は現在と殆ど変わりない感じです。
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そして一家は上野駅前へやって来て、露店の本屋で毛利は児童書を二人に買ってあげます。戦後6年目の上野駅前ではアメ車らしき乗用車が溢れて、復興期に入った様子です。
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中央改札口前の明り取りのある大屋根が映り、行列に並ぶ一家の姿があります。やがて「10番線から 11:25発 各駅停車 青森行の改札を開始します」と放送があり、行列は進み始めます。

毛利は妻に金を渡そうとしますが辞退され、二人の子供を連れて改札を通ります。さとは走って12番線を目指す人々の流れの中で、後ろを振り返りながら進んで行くのでした。
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毛利は三人が乗った列車を見送るべく、北方向にある両大師橋に上がります。やがて3番線らしき高架ホームを出発した蒸機牽引列車が、白い煙を吹き出しながら毛利の下を通過して行きます。去り行く妻子に向かって再起を誓っている様な表情ですね。
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その後 努力しても不運や毛利のだらしなさもあって、遂には盗人の片棒まで担ぐ始末の毛利です。逃げ回った末に 簡易宿に戻ると、警官が待ち構えていました。しかし上野署へ出頭すると、妻がキセルをして捕まった故の呼び出しでした。
聞けば「姉宅も極貧状態なので、黒沢尻(現 北上)から二駅程の切符で戻って来た」そうです。余程不憫に見えたのか「本当は3倍の罰金なのだが」と言って、警察では説諭で放免してくれました。

警察を出て 鶯谷~上野らしき線炉端の高台を一家はとぼとぼと歩き、仕切り壁に座り込んで途方に暮れた顔の夫婦です。一家の背後では回送か入れ替え中なのか、小型蒸機が白煙を上げて走っています。
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さとは「今夜子供たちを何処へ寝かせたらいいのか」と呟き 雨も降り出して、毛利も今後どうしたらいいのか迷っている様子です。雨の中 常磐線の 63系電車らしきが走行する姿があります。
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PS.
 毛利の妻が子供たちを連れて乗ったのは 上野 11:30発 113レと思われますが、この列車が黒沢尻に到着するのが 3:26頃と 真夜中です。到着後の行動を考えたら、12:35頃到着する上野 21:30発 常磐線経由の青森行 211レが適当でしょう。
また当時の運賃では、上野~黒沢尻の 3等運賃が 560円です。行きは払えた切符も、帰りは隣の六原までの 10円切符を買うのがやっとだったのでしょう。







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コメント


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どっこい生きている

今井正の名作です。日本映画はこんな傑作をも生み出していたのです。

この「どっこい生きてる」を見ると、イタリア・ネオリアリズムに完成度で決して見劣りしないと思し、知名度の高い「米」(同じく今井正監督)などよりも秀逸である。

戦後直後の東京の街並みが手に取るように分かり、資料的価値にもなっているようだ。

4枚目の写真(アメ横近くの高架線沿い)、ここらあたりの町筋は基本的にまったく変わっていないですね。

省線のカーブもそのままだし、他の映画でもよくここが映し出されています。

山手線か京浜線と言うことですが、この高架線は山手線のみと思っていましたが、京浜線も通っているのですか。

余談:
この映画で飯田蝶子が本当に美味しそうに煙草を吸っていますね。

赤松 幸吉 | URL | 2017-09-19(Tue)20:36 [編集]


Re: どっこい生きている

赤松様 コメントありがとうございました。

この時代を映した作品は他にもありますが、これ程 悲惨な生活を描いた作品は初めて観ました。
また上野駅で行列から改札口を通るまではセット撮影と思われますが、続く12番線の列車に向かって人々が全力で走る場面は生のロケでしょう。3人が右に避ける様に走っています。

ところで4枚目の画像ですが 1947年米軍撮影の航空写真では、秋葉原と上野駅は山手線と京浜線が別々のホームが有ります。
しかし複々線なのは両駅の直前で、間は山手線と京浜線が線路を共用していて 御徒町駅も一面共用状態です。

その後1956年11月の完全分離運転に向けて 徐々に工事が進んでいたと思われますが、ロケ時点でどういう状況だったかは不明です
 線路共用時代の(177.飢える魂)5枚目画像で、山手線車内のドア上部に誤乗防止の表示があります。

テツエイダ | URL | 2017-09-20(Wed)18:53 [編集]