日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

225. 彼岸花  

1958年9月 松竹 製作 公開  カラー作品   監督 小津安二郎

商社重役の平山渉(佐分利信)は旧友の娘の行動には寛容なのに 自分の娘 節子(有馬稲子)には自説を押し付け孤立しますが、娘の幸せを優先する様に変わっていく姿を描くホームドラマです。

この作品の鉄道シーンは冒頭と最後に有ります。冒頭 今となっては懐かしい台形頭の東京駅丸の内駅舎が映り、横須賀線 70系電車らしきが停車しています。
225-11.jpg
続いて湘南電車発着の 12番線で 15:21発 沼津・伊東行普通二三等列車 15両編成 833ㇾの案内板が映りますが、直ぐにパタパタが動いて白地になり 発車して行った様です。
225-22.jpg

ホームには今出た電車で熱海方面へ向かった新婚の二人を見送った披露宴の列席者が残り、余韻に浸った様に話をしています。
そのホームのベンチには二人の清掃担当の職員が休憩なのか座り、新婚旅行に出掛ける花嫁さんの勝手な品定めをしています。
225-33.jpg
一人が「風が強くなる様だな」と言って、柱に掲示された強風注意の鉄道気象告知板が映ります。
225-44.jpg

平山が節子の見合い話を進めていたある日 勤務先へ谷口正彦(佐田啓二)が訪ねて来て、節子との結婚承認を願い出ます。妻の清子(田中絹代)も初耳で、平山は怒って節子に禁足令を出すしまつ。
谷口に会った清子や次女の久子(桑野みゆき)は賛成派で、平山は家族の中で孤立する一方です。更に京都の知り合いの娘 佐々木幸子(山本富士子)の策略で平山は追い詰められます。

更に先日 結婚式に出た親友の河合利彦(中村伸郎)から、奥さんから頼まれた節子たちの仲人を引き受けたことを聞かされます。
結婚式の前夜 平山が白手袋と靴下を買ってきたのを見た清子は、「明日の結婚式に出てくださるのね」と念を押し 二階にいる節子に報告するのでした。

平山は結婚式の後 暫くして愛知県の蒲郡で同窓会があり その帰りに京都の佐々木家に寄ると、幸子母娘から広島の新居に是非寄る様に説得されて 強引に承諾させられます。
翌朝 特別急行かもめ号の二等車席に
225-55.jpg
平山が座っています。8:30 に始発の京都駅を出た直後の様で、車内はガラガラです。デッキから白い上着を着た列車給仕が現れたので、手を挙げて呼び寄せます。
225-66.jpg

そして節子宅へ 14:18 広島に着く旨の電報を依頼します。列車給仕(須賀不二夫)が書きとめ
225-88.jpg
「大阪でお打ちします」と言って前方へ行くと、「青葉茂れる・・・♪」と小声で歌いだす平山です。
当時の電報料金は市外だと 10字まで 60円で、5字増す毎にプラス 10円なので 80円 至急電報扱いは倍額なので 160円と思われます。列車給仕はこの様に電報代行サービスも行っていました。

続いて EF 58形電機を先頭に淀川らしき大河を渡る 特別急行かもめ号の全景が、鮮やかなテールマークが小さくなる迄映され エンドマークとなります。
225-100-2.jpg
1953年3月より運行開始された山陽特急かもめ号は京都~博多を結び、この年 1958年4月の姫路電化より京都~姫路の牽引機が C59 形等の蒸機から EF58 形電機に変更されました。
   





PS .

 谷口の広島転勤引っ越しの手伝いに行って来た久子は、「明日 谷口さんが 18:30の あさかぜで広島へ行くので、私も見送りに行く」と告げます。
若い谷口が広島へ行くのに当時は敷居の高い特別急行列車を使う? 漠然と不思議に思います。でも会社で転勤の挨拶をしても 18:30発の あさかぜ なら間に合い、同僚の見送りも受けられそうです。

そして広島には翌朝 7時過ぎの到着なので、そのまま着任の挨拶にも出社できて合理的であり ナハ10形三等座席車も連結されている あさかぜ号を利用したと思われます。
この映画公開の翌月に あさかぜ号はオール冷暖房完備の 20系化されたので、暑い時期の転勤で苦労したであろう谷口は後日 悔しい思いをしたことでしょう。
一般的な直通急行列車を使うと あさかぜ号の前は、13:30発長崎行 39ㇾ雲仙号となり 広島到着も朝 5時頃で早過ぎます。更に後続の博多行 41ㇾ急行筑紫号だと、20:30の発車で到着は午後1時半なので納得ですね。

 特急かもめ号は需要見通しから昼行特急列車の象徴である一等展望車は連結されず、特ロ車両のスロ54形二等車を4両連結しました。しかし本編の様にガラガラの日もあり、一年も経たずに3両に減らされます。
1958年の利用調査でも二等車は6割程で、東海道本線の つばめ号の様に高くありません。本編では利用者が多く乗車する前の京都~大阪の車内なので、セット撮影としてもガラガラ状態としたのでしょう。
関連記事

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する
 

彼岸花

このような作品を見ていると毎日の慌ただしさや煩雑さを忘れ、心が洗われるような気分になりますね。

特別急行かもめ号の一枚目の写真(乗客が誰もいない車内)と二枚目の写真(佐分利信が座っている)では車両が違うようですね。

一つの車両に佐分利しか乗客がいないというのも不自然ですが、黒澤明が「天国と地獄」で車両全席を乗客で埋めたのに対して、小津の美意識は周りの余計なエキストラ陣を嫌ったのでしょう。

室内と同様にローアングルで撮られており、鉄道車両の中でも上品で静謐な映像となっています。

映画でこのシーンを見ますと、列車の走行音は聞こえても、車両は微動だにしません。
小津が実際の列車内でロケをするはずはないし、勿論、セットなのでしょうね。

赤松 幸吉 | URL | 2017-01-20(Fri)19:45 [編集]


Re: 彼岸花

赤松様 コメントありがとうございます。

佐分利信が座っている画像を見ると、2列後ろの通路側席にも乗客が居る様です。何れにしても大半の乗客が乗るであろう大阪駅に着く前の様子にしても、余りにガラガラ過ぎますね。

車両については 本来スロ54形の筈が、スロ53形の網棚と照明灯の様にも見えます。スロ53形にしては照明灯の両横に通風孔かスピーカーが有り 現物に合わないので、この頃の松竹映画で多用されたセットと思われます。

テツエイダ | URL | 2017-01-21(Sat)23:06 [編集]


特ロはセットかについて

この特ロの天井灯は白熱灯なのでスロ54でないことは明らかです。小津映画の鉄道シーンの撮影手法について、貴田庄「小津安二郎と東京物語」ちくま文庫137頁以下に、10月「14日品川駅構内、田町客車区(ママ)の三等車の中で、尾道から去る車内の原(節子)のシーンが撮られます。ただし、厚田(雄春)は後年、「小津安二郎物語」において、大船駅の修理場(ママ)で待機していた客車を借りて、このシーンを撮影したと話しています。」とあるのが参考になりそうです。東京物語にはスハ44系で編成された「かもめ」の美しい姿が記録されていますが、かもめは尾道通過であり原節子が帰京するシーンで使われているのは本当は辻褄が合いません。小津は鉄道をよく登場させているものの、マニアのレヴェルには達していなかったと思います。彼岸花の特ロもかもめ用ではなく、撮影用に国鉄から借りた実物だと思います。

特別急行列車 | URL | 2017-02-09(Thu)00:51 [編集]


Re: 特ロはセットかについて

 特別急行列車 様  詳しいコメントありがとうございます。
 小津監督について書かれた多くの本の中に、鉄道シーンの撮影について書かれた本があったのですね。
座席部分のアップではなく車内を映していますので、国鉄の協力で借りて窓の外から扇風機で風を送って撮影したのでしょうか。

テツエイダ | URL | 2017-02-11(Sat)09:39 [編集]


燈具左右のグリルについて

 白熱灯の左右にグリルのような器具があります。私自身は特ロに乗ったことがなく、この器具について実体験がありません。映画「つばめを動かす人々」の開始後5分30秒くらいのところにスロ60形の室内が写りますが、天井に同じようなグリルが並んでいます。また「日本の客車」掲載のマイネ41の室内写真にも燈具の左右にグリルがあります。マイネ41は冷房装備でありグリルは冷風の吹き出し口と思われます。私がわかるのはここまでです。

特別急行列車 | URL | 2017-02-17(Fri)12:02 [編集]


Re: 燈具左右のグリルについて

特別急行列車様 コメントありがとうございます。

早速「つばめを動かす人々」を見てみると、天井部分が同じですね。この部分は当初一等車としての冷房化への準備工事として天井裏のダクトと共に吹き出し口として設置した物のようです。しかし二等車となったので使われなかったとの記述を読みました。

一方天井が同様のマイネ41は一等車として冷房付きで製作されたので、当初の予定通りに使われた様です。

こうなると前回のコメント通りロケ当時は特急用に使われなくなったスロ60を、停車中の客車区で借りて撮影が行われた様です。

テツエイダ | URL | 2017-02-18(Sat)11:32 [編集]