
父親が出征した山田家の皆が疎開先で差別や苦難に会いながらも、父親の帰りを希望に 行動を共にする小母さん(竹久千恵子)と一致団結して立ち向かう姿を描いた映画です。
冒頭 疎開先の越後を追い出された一家が、知り合いを頼りに七尾線の金丸駅に到着した場面があります。雨が降る中 C58形らしき蒸機が二重屋根の客車を牽いて発車して行きます。
傍らの金丸駅と書かれた天水受けらしきに、勢いよく雨水が流れ込んでいます。近所の家から小母さんが大八車を借りて来て、持ってきた家財道具を運べる様です。
中盤 最初に疎開した越後での回想場面があります。地元の人々に疎開者である一家は阻害され、実力者と衝突して遂に借りていた家を追い出されることになってしまいます。
転居地を小母さんが英二(藤本武)を連れて汽車に乗って捜しに出ますが、中々見つからず車内で途方に暮れて柿を剥きながら涙ぐむ小母さんでした。

その時 小母さんは小さいころ育てられた能登半島にある遠い親戚を思い出して、早速翌日に越後の駅から能登へ向かいます。去り行く汽車は最後部まで超満員で、終戦直後の様子です。

親戚も見送りに来ないのに 一家に当初は嫌がらせをした くまん蜂こと山村八造(宮川富士夫)と子分の子供達だけが沿線から見送ってくれたので、一同 窓から顔を出して手を振って応えます。

苦難の続いた金丸での生活も漸く落ち着いた頃「明日朝八時 金丸に着く 父」という電報が着きます。翌朝 雨が降る中 金丸駅へ

一家総出で迎えに行くと、遠くから一番列車がやって来ました。

C58形蒸機が郵便・荷物車を挟んで二重屋根の旧型客車を牽いて到着しましたが

父(渡辺篤)は降りて来ません。一同ガッカリしますが、乗り遅れたのかも と駅舎内で待つことにします。
ところが次の列車からも、その次も父親はあらわれませんでした。

仕方なく持参した食糧を食べ、自宅に電報が来ているかもと力なく引き返す一同でした。

しかし家に戻ると父親が帰って寝ており、あわてて一つ前の駅で降りてしまったとのことでした。父親は皆を待つ間 英二が書いた疎開生活の回想記を読んでいて、一家が会った数々の苦難を承知していたのでした。
PS.
父親からの電報の日付は昭和20年10月ですが、小母さんの発言から一家が越後から能登へ移転したのは 1945年秋と思われます。越後の何処から乗ったのか不明ですが、仮に南の直江津だとしても大変です。
1944年末の時刻表しか分かりませんが、直江津 8:58 ー( 603ㇾ )ー 13:19 津幡 14:31 ー( 9ㇾ )ー 15:42 金丸 と乗り継いだと思われます。超満員列車で所用8時間44分は過酷な旅だったでしょう。
また父親の復員は昭和21年10月と思われ 乗った列車を捜すと、1946年秋の七尾線の時刻表が不明なので 1947年6月号では 金丸 8:15 頃の 3ㇾがあります。
父親はあわてて手前の千路で降りてしまったと釈明しましたが、次の列車は2時間半後であり 千路~金丸は 3.7kmなのですから普通なら出迎える家族が待つ金丸まで歩くと思いますが・・・
電報を打ちながら一人勝手に帰宅して寝ていた父親の行動が事実だとしたら、能天気な父親であり ひたすら駅で待つ家族の姿に哀愁を感じます。
そんな父親を非難する者は誰もいなく、皆笑顔で喜んでいます。それだけ皆が待ち焦がれていた復員で、父親を頼りにしているんですね。
- 関連記事
-
- 335.父ちゃんのポーが聞える
- 219. 風の子
- 112. 君に幸福を


