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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

204.若い人たち

1954年11月 新東宝配給公開 近代映画協会製作   監督 吉村公三郎

都市銀行に勤務するベテラン女子行員 小宮阿佐子(乙羽信子)が、同僚や部外の人間との交流から自分の歩むべき道筋を見定める過程を描いた映画です。

冒頭 京浜線沿線らしきから都心に通勤する場面から鉄道シーンがあります。阿佐子が父 小宮良介(御橋公)と踏切で待つ前を横須賀線 70系電車と京浜線電車が高速で通過して行きます。
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そして京浜線・山手線の分離運転直前でホームだけ完成している新橋駅へ向かう電車から、対向する 40系らしき電車が向かって来る姿が見えます。
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風格ある新橋駅駅舎をバックに小宮が歩き、
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有楽町駅中央口からは阿佐子が出て来ます。
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従業員組合の集会後 戸川健一(金子信雄)と山本久子(木村三津子)は帝都高速度交通営団地下鉄 銀座線の銀座駅へと入ります。この当時東京の地下鉄は銀座線以外では丸ノ内線の池袋~御茶ノ水だけです。
ホームへの階段を降りて 暫し話していると、渋谷行の 1000形 1018号電車を先頭に到着しました。この車両は 1929年 汽車製造東京支店製の東京地下鉄開通当初から走る車両と同じ初期型です。
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それから下宿へ帰った戸川が二階の自室へ入ると、窓越しにD51形蒸機重連牽引の貨物列車が右から左へと走り抜ける様子が見えました。山手貨物線か品鶴線の列車と思われます。
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中盤 支店の慰安旅行で箱根に行った阿佐子は、父親がケガをして自宅に居るので泊らず宴会を中座して帰ろうとします。戸川も妹が田舎から来ているから帰ると言うので、同行することにします。
続いて帰路の小田急電鉄特急車内の中央にある喫茶カウンターでは、アイスティらしきが作られ
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二人が座る席まで運びます。これは三井農林(現 日東紅茶)が営業を担当した「走る喫茶室」で、接客員はスチューワーデスと呼んでいました。
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二人で話す内に、酒匂川橋梁らしきを渡って行きます。続いて小田急 1700形特急が、橋梁を渡る走行シーンがあります。前面が非貫通二枚窓の有名な3次編成ではなく、初期型なので特徴が薄いですね。
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この 1700形は小田急戦後初の本格的特急ロマンスカーで、オール転換クロスシートに喫茶カウンター・トイレを装備しています。 1951年2月より 1957年のSE車置き換えまで特急運用につき、後に通勤型へ更新されました。

終盤 組合活動で目立つ存在の戸川は、静岡への転勤辞令を受けます。いよいよ移動の当日、戸川は開店前に皆に挨拶して店を後にします。慰安旅行を阿佐子と二人で中座したことから、噂になったことを気にする久子は見送りに行きません。
そんな久子の姿を見た阿佐子は、「上司には伝えておくから戸川の見送りに行きなさい」と送り出すのでした。そして久子は階段を駆け上がって東京駅8番ホームへ行くと、発車待ちの急行列車沿いに車内の戸川を捜します。
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案内放送が「 10時発 急行げんかい 博多・都城行でございます」と流れるホームを前後に捜す久子へ、ホームのワゴン販売で買い物をしている戸川が声を掛けます。
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暫し別れの挨拶を交わした後、久子は「いつか貴方に付いて行ける様になりますわ」と伝えます。そこで発車ベルが鳴り 戸川はデッキへ乗って握手を交わし、列車は動き出します。
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なおも久子が「静岡へ遊びに行きますわ」と言えば、「いらっしゃい」。 そして去り行く戸川に「本当に静岡まで行くの良くって?」と問えば、「待ってま~す」と明るい未来を思わせるエンドシーンであります。
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PS このラストシーンは東京駅8番線でロケされています。10:00発 33ㇾ急行げんかい号の設定なので、時刻表では長距離優等列車用の 15番線発車の筈です。
   想像するに本物では混んでいて混乱を招くので、東京駅8番線到着普通列車の回送便を使って、急行札のみ付けてエキストラを乗せてロケを行ったのでは?と思われます。
   アフレコの案内放送がバックで何度も「 15番線お後へ願います 10時発 急行げんかい 博多・都城行です。」と、流れていますので せめて(15番線) の部分をカットしてほしかったと思います。
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コメント


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若い人たち

「若い人」ではなく「若い人たち」(こんな映画があったのか)なのですね。

とにかく、大蔵以前の新東宝は良心作の宝庫でした。

今は昔、今から思えば不思議なことばかりです。

電車内の喫茶室の接客員を「スチューワーデス」と呼んでいたこと。
また、その喫茶室の写真を見ると、座席は普通車両と同じようでテーブルはなさそう。そればかりか喫茶室なのに荷物台が上にあるというのも変だ。

当時はまだ蒸気機関車が煙塵をまき散らしながら、このような町の中を堂々と走っていたのか。
部屋の窓から噴煙が入ってきたり、洗濯物が戸外に干せなかったのではないか。

駅の案内放送が「 15番線お後へ願います 」、現在では「黄色い線の内側にお立ちください」とか言っているようだが、当時は「お後へ願います」だったのか。

また、これから考えると当時はプラットフォームに線は引かれていなかったのですね。

黄色い点字ブロック以前は白線のみで、アナウンスも「白い線から出ないように・・・」のようだったと思う。

当時のアナウンスはすべて素っ気ない男の声で、ずっと近年になって初めて女性の爽やかなアナウンスを聞いたときは感動した。

赤松 幸吉 | URL | 2016-03-27(Sun)09:51 [編集]


Re: 若い人たち

赤松様 コメントありがとうございます。

小田急ロマンスカーでは乗客が座る席で注文を受け、喫茶カウンター内で作り 客の元へ届けるシートサービスを行っていました。

そして座席の壁側には折り畳み式のテーブルが有り、これを起こして飲み物を置いていました。
つまり客室全体を喫茶室に見立てて「走る喫茶室」と称していた様です。

このシートサービスは 1995年に終了し ワゴン販売となりましたが、2005年VSE(50000形特急)登場時にこの車両のみで復活したので小生も乗りに行きました。
しかし一昨日のダイヤ改正を機に残念ながら再び終了となりました。


また小生の記憶では、昔のホームには端より少々内側に白いタイルが点々と埋め込まれて目印になっていたと思います。
昔の鉄道は男社会であり、アナウンスも男性の声でしたね。近年の爽やかな女性の声には賛成です。

しかし録音々声も増え、長距離列車到着時に上野駅で聞こえた「うぃの~・うぃの~(と小生には聞こえた)」の声がもう聞こえないのも残念であります。

テツエイダ | URL | 2016-03-28(Mon)12:25 [編集]


小田急1700系特急車画像は貴重

赤松様、テツエイダ様こんにちは。

冒頭の画像の車輌は、運転室のすぐ後ろにドアがあるので、クハ86形(80系)と思われます。ドアの窓が三段なので、モハ63形と共通の部品を使った比較的初期のタイプでしょう。撮影はやはり京浜線(東海道線)と思えます。踏切の表示が占領軍仕様なのも、時代を反映していますね。

D51牽引の貨物は、山手貨物線の場合昭和40年代までありましたので、今から思えば驚きですね。確かに今ほどは住宅が建て込んでいたりはしませんが、それにしても、ですよね(笑)。

赤松様、小田急の「走る喫茶室」は、喫茶室が特定の場所にあるのではなく、座席まで注文したものを「持ってきてくれる」サービスをそのように言っていたものです。テツエイダ様が解説されているように、先般廃止されてしまいました。一つの時代の終わりのようですね。

この車内シーンで、天井灯の様子から、この車輌は1700系の第3編成、1705-1753-1706ですが、鉄橋を走っているのは第1または第2編成です。車内と走行シーンを撮る際、同じ列車を撮影できなかったのでしょう。
座席は当時の転換座席(初期の0系新幹線と同じく、背刷りを前に押しやると向きが変わる)で、テーブルは現在も活躍する7000系ロマンスカーと同様、壁側から起こすと前席の後ろにテーブルが立ち上がる構造です。「スチュワーデス」の人が、テーブルが出ていないと自ら起こしてくれ、持っている台ふきんでさっと表面を拭いてから、持ってきた飲み物などを置いてくれたものでした。

「×番線お後へ願います」という表現は、昭和50年代前半頃までは、駅によってはしていたと記憶しています。今は自動放送になってしまい、女声のアナウンスになった代わりに、内容には趣が無くなりつまらなくなりましたね(笑)。

東京駅客車列車発車シーンの、スハ43系が当時新車で、とても美しい状態なのが驚きです。国鉄が協力して、品川配置の特に新しい車輌をわざと集めて連結したのかもしれません。スハ43系は、まあ現代でもごく一部とは言え、保存運行されているのもまた驚きではありますが。
失礼いたします。

すぎたま | URL | 2016-04-23(Sat)12:08 [編集]


Re: 小田急1700系特急車画像は貴重

すぎたま様 コメントありがとうございます。

クハ86形でしたか。高速通過で鮮明度が低く、あまり自信がありませんでした。

山手貨物線で蒸機牽引列車が、昭和40年代にも存在していたのですか。
小生は東京オリンピックの年に、赤羽線の板橋駅で入換中のD51を見かけた記憶があります。

小田急1700系特急ロマンスカー車内シーンは、第3編成ですか。(105.妻と女記者)(72.影なき殺人者)でもロマンスカーの車内シーンがありますが、喫茶カウンターが映っているのは当作品だけなので貴重なシーンと思われます。

テツエイダ | URL | 2016-04-23(Sat)18:21 [編集]