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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

202. 荷車の歌

1959年2月 新東宝配給公開(他 自主上映会多数)全国農村映画協会製作  監督 山本薩夫

平山茂市(三國連太郎)と結婚し 共に荷車引きを始めた農村女性 セキ(望月優子)の、明治中期から戦後までの苦難の生涯を世相と共に描いた映画です。

茂市の熱意に親から勘当されながらも結婚したセキですが、姑(岸輝子)に冷たく扱われ 生まれたオト代(左民子)と姑も相性が悪く里子に出すことになります。
荷車引きの苦難の生活ながらも次々と子供が生まれ、姑が亡くなり時代が進んでいきます。その後成長した子供たちが、勤めに出て働く場面に鉄道シーンがあります。

長男の虎男(坂本信夫)は機関士を目指してカマ焚きに精を出しています。202-1.jpg
後述のロケ地を考えると、八高線のC58形蒸機でロケが行われたのでは?と思われます。
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末っ子の三郎(矢野宣)は「兄が汽車なら、わしゃ電車じゃ」と市電の運転手として働く姿が紹介されています。
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こちらのロケ地も不明ですが、古風な車両で複線なので横浜市電 700形が候補です。
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時代は進んで戦時中、三郎にも赤紙が届き出征することになりました。「祝出征 平山三郎君」と書かれた上り旗が立ち、茂市とセキの両親を始め新婚の嫁さんの他 村中の女性総出の見送りです。
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茂市の隣にはセキと同じく(大日本国防婦人会)の襷を掛けた、茂市の妾であるヒナ(浦辺粂子)まで割烹着姿で三郎の見送りに立ってセキを苦しめています。
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やがて 8620形蒸機である 18646号の汽笛が鳴り響き、出征兵士達を乗せた列車は動き出します。
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「平山三郎君 万 歳~ 」と声が上がり、一同 万歳三唱で見送ります。
三郎の嫁 鈴江(赤沢亜沙子)が窓辺に駆け寄り、別れを惜しんでいます。
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その後 茂市とセキが駆け寄り、セキは最後まで三郎の手を握って見送るのでした。

18646 蒸機に荷物車合造三等車が続いて加速して行きます。列車の真上にはありませんが、背後の線路には架線が張られているのが目に付きます。
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片側が電化され、反対側が非電化のこの駅は何処なのでしょうか。(111.異母兄弟)の両毛線栃木駅や、(156.新男の紋章 度胸一番)での高山本線那加駅の様に私鉄との接続駅でしょうか。

当時 18646号機は八王子区の所属でしたから、横浜線と相模線の接する橋本駅は?とも考えましたが違う様です。近郊で蒸機牽引旅客列車があったのは、五日市線と八高線?
五日市線は、C11かC12でした。当時の時刻表で八高線を見ると 1958年10月訂補時刻表では一日4往復の汽車が有り、1959年6月改正の時刻表では完全気動車化されています。

それでは東飯能か越生か小川町等が候補に挙がります。調べると「飯能現代史詳細年表」に、1959年1月21日東飯能駅で(荷車の歌)のロケが行われたとの記述が有ります。
故に三郎の出征見送り場面は、クランクアップ寸前に八高線 東飯能駅で地元婦人会のエキストラ協力の元 ロケが行われた様です。ですから背後の架線は、西武池袋線東飯能駅です。

1958年11月に八高線の旅客列車は完全気動車化されたとの文献もあるので、定期列車でロケが行われたのか撮影用に臨時便を仕立てたのか不明です。
1958年10月訂補されたダイヤの定期列車だとすると八王子 14:04発 下り高崎行 245ㇾが該当し、東飯能駅 14:52分発でした。通常はC58形蒸機が使われ、映画用にハチロクを用いたと思われます。

しかし エキストラ手配と日照の関係で東飯能駅で下り列車を使っての撮影となり、広島県の三次駅近郊を想定した場面なのに架線が映り込んでしまったものと思われます。
小生は 1963年夏に西武鉄道で東飯能駅まで来て、薄暗い地下道を通って八高線に乗り換え 拝島へ向かった記憶があります。その4年前に、ここでロケがあったとは・・・
定時を過ぎてもカラカラカラとアイドリングしたままの気動車は発車せず、対向するD51形蒸機重連の貨物列車が到着するまで長々と待っていたのが印象に残っています。


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