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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

199. 眼の壁

1958年10月 松竹 製作 公開   監督 大庭秀雄

昭和電業 社員の萩崎竜雄(佐田啓二)が上司を自殺に追い込んだ手形詐欺事件の黒幕を、友人の東毎新聞記者 田村満吉(高野真二)と追い掛けるサスペンス ミステリー映画です。

序盤 会社幹部から金策を依頼された会計課長 関野徳一郎(織田政雄)は手形詐欺に遭い、失意のうちに東海道本線 根府川橋梁の袂からEF58形電機牽引の上り列車へ飛び込み自殺してしまいます。
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萩崎は関野から事の顚末を書いた最後の手紙を受け取ると、会社幹部が世間体から泣き寝入りを決めたことから 休暇を取って一人 関野の敵討ちをすべく手形詐欺の犯人捜しを始めます。

先ず 実行犯を関野に紹介した山杉商事の上崎絵津子(鳳八千代)の行動を探るべく、
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総武本線 御茶ノ水~秋葉原に架かる 松住町架道橋を潜る外堀通り沿いの山杉商事を見張れる喫茶店に入ります。
窓際の席に座ると、眼下の外堀通りを都電 13番(水天宮前~新宿駅前)の 4000形と8000形がすれ違っています。この辺りは都電 19番(王子駅前~通り三丁目)も走っています。
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中盤 萩崎と田村を先頭とした記者達で黒幕を追う中 田村が広告部の永井章子(朝丘雪路)と結婚し、式の後 東京駅から新婚旅行に出発するべく同僚から見送りを受けています。
そこへ階段を駆け上がって、
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田村の部下が警察発表のニュースを知らせに来ました。発車して暫くすると、デッキから萩崎が旅行鞄を持って現れ 名古屋へ向かうのだと言います。
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会社の顧問弁護士の部下を射殺した犯人であるバーテンダーの山本一夫(渡辺文雄)が空路 名古屋へ飛び、22時10分発の列車に乗り継げるかを気にしていたという情報を萩崎は掴んで来たのです。
そして時刻表で名古屋駅 22:10発の列車は中央本線 下り瑞浪行 627ㇾが該当し「春日井・神領までは時間的にこの列車を使うまでもないので、高蔵寺~瑞浪の何れかの駅で降りたと思う」と推理します。

ところが時刻表では 1950年10月よりこの瑞浪行列車が各停の終列車であり、この列車の後は定期では名古屋 22:40発 準急長野行 807ㇾ・不定期では 23:35発 準急長野行 1809ㇾが在るのみです。
停車駅は共に千種・小曾根・多治見・中津川・・・であり 作中では神領行の終列車が有るかの様な萩崎の発言ですが、627ㇾを逃がすと春日井・神領へはもう行けず タクシーでも使うしかないのです。

伊東行の湘南電車が熱海駅へ近付くと 田村が犯人を追いたいのを察した新妻 章子は、岐阜の叔母の所へ一人で行くと言い出し 三人は夜行列車に乗り換えます。急行では到着が早すぎるので鈍行で行ったのでしょう。
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そして名古屋駅に到着すると萩崎と田村は降車して、5号車デッキから手を振る章子を見送るのでした。
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推測すると東京 20:51-(721ㇾ)-22:55 熱海 0:08-(129ㇾ)-5:29 名古屋 5:40 - 6:21 岐阜  

名古屋支局を基点に田村と手分けして、萩崎は中央本線 高蔵寺~瑞浪での山本の足取を各駅で追い掛けます。渓谷沿いを走るD51形蒸機牽引列車の姿は、古虎渓駅 付近でしょうか。
多治見駅構内には、キハ17形らしき気動車が多数留置されています。
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中央本線 名古屋口の短距離列車や太多線・越美南線用の車両と思われます。

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そして土岐津駅(現 土岐市駅)の改札駅員から、当夜 その様な人が下車して駅前からタクシーに乗った。
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との話が聞けて そのタクシーを捜し出し、山本の足取を再現してもらうと瑞浪駅で降りたとのことです。
山本達は瑞浪に関連があると踏んだ萩崎は、この街に宿を取ります。会社の専務に手紙を書き 郵便局へ行くと、田舎の局なのに明日 十万円の普通為替を受け取る話を聞きつけ山本の逃走資金では?と考えます。

翌日 この郵便局へ行くと一足早く女性が受け取ったと言われ、駅へ急ぐと D514蒸機牽引列車が発車しました。
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萩崎は改札駅員に「その人なら たった今の列車に乗りましたよ」と言われ、ホームへ出ました。
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列車は既にかなりのスピードに達しており、薄煙を残して最後部がホームを離れるところでした。
萩崎が空しく見送る列車の二等車には、からくも追っ手をかわした絵津子が乗っているのでした。
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D514号機はD51形のなかでも通称なめくじ型と呼ばれた初期型で、当時は中津川区に所属して中央本線の客貨列車牽引の任務についていました。
中央本線 名古屋~塩尻は 1966年5月に名古屋~多治見が電化されたのを皮切りに、同年5月には瑞浪迄・1968年には中津川 そして 1973年5月 遂に塩尻迄電化され中央本線全線電化が完成しました。


PS.山本が羽田から名古屋へ空路 逃亡したのだが、この便は日本ヘリコプター輸送時代から運行していた路線で全日本空輸 羽田 19:30発 25便 名古屋小牧空港 21:20着の飛行機に搭乗したのです。
そして空港から連絡バスに乗り、名古屋駅へは 21:55に到着したので 22:10発瑞浪行には間に合ったのです。しかし飛行機は片道 4,000円掛かり、急行二等車の 2,560円よりかなり高額です。
そこまでして当日中に急ぎ、土岐津へ向かった山本の行動は不明です。

次回は通算200回記念作なので、誰でも思い浮かべる有名作を取り上げる予定です。




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