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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

197. 恋人

1951年3月 新東宝 配給 公開   製作 新東宝・昭映プロ   監督 市川崑

結婚式を翌日に控えた 小田切京子(久慈あさみ)が従兄弟の遠藤誠一(池部良)とデートするも、お互いの気持ちを言い出せないまま経過してゆく 独身最後の一日を描く青春映画です。

結婚式前日なんて案外暇なの。などと遠藤を誘った京子は、父親 小田切恵介(千田是也)から小遣いを調達して待ち合わせの銀座へと出掛けるのです。
水田沿いを小田急電鉄の 1800形2連が走り来ると、
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雑木林を横目に第4種踏切を通過して行きました。戦災復興用の国鉄63系そのままの姿で、オデコの通風口が特徴的です。
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ロケ地は不明ですが当時 豪徳寺~経堂で これに似た風景の場所があったそうで、あるいはそこかもしれません。何れにしても現在とは隔世の感があります。
また標識だけの簡易的な第4種踏切が経堂付近にあったとすると驚きですが、1955年時点で小田急線内にはこの簡易踏切が390ヶ所もあったそうで不思議ではない様です。

その後の近代化で第4種踏切は 1973年中には全廃されたそうで、今では全て第1種甲踏切です。なお当時は占領下だったので、標識の表面は英語表記と思われます。
意外と思えるのが鋼製の架線柱で、小田急では 1927年の開業時から高価ですが強度と耐久性が高い近代的な鋼製架線柱を使っていたそうです。

小田急 1800形は大東急時代の 1946年 20両導入され、小田急初の20m車として活躍後 1957年から車体更新されて 1981年迄使われました。
2連で運行されているので各停と思われますが、新宿発の2連は 1960年代になっても見られました。

銀座の喫茶店で待ち合わせた二人は映画・スケート・天ぷら屋・ダンスホールと渡り歩き 京子の独身最後の一日を共に楽しむのですが、気が付くと腕時計は止まっており終電車が気になります。
その頃 小田急線新宿駅では 1800形電車が停まっており、次々と駆け込む人が続いています。駅の時計は 24:48を指しており、
構内放送は「まもなく24時50分発経堂行が発車します。この電車は小田急線 本日の最終電車であります」と告げています。
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二人は国鉄からの中央地下通路を走って、小田急線乗り場へと急ぎます。しかし小田急線新宿駅11番線からは、ふらふらしている酔っ払いを置いて終電車が警笛を鳴らして出発して行きます。
そこへ遠藤と京子が到着しますが、終電車はホームを離れるところで間に合いませんでした。
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その様子を見て笑っていた改札口の駅員は、二人が引き返して来ると顔を正して見送ります。
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改札口から出てくると京子が寒いと言い出したので、
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再び地下通路へ降りて行きます。京子を残してタクシーを捜しに行った遠藤ですが、見付からずに戻って来ると二人はお互いの気持ちに関して口論となります。
地下通路の壁には小田急線の案内が書いてありますが、代表的な行先が進駐軍基地に関連した相模大塚・相武台前と書いてあるのが時代を反映してます。しかも相模大塚は海老名で相模鉄道に乗り換えた先の駅なのにアバウトです。
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1927年の小田急線開業時以来の姿を保つ新宿駅ですが、この映画の4年後に公開された前出 (57.泉へのみち 東宝) でもほぼ同様でした。
その後利用客増加から列車本数増加計画に伴い、1960年から大改造工事にかかり 1964年2月に完成させて現在に至っています。
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コメント


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占領下では

おはようございます。

画像2枚目の場所は、おそらく経堂-千歳船橋間で合っていると思います。
https://www.google.co.jp/maps/@35.6504879,139.6338792,3a,75y,69h,90t/data=!3m6!1e1!3m4!1smxF0waAc2H4lyIEy_ptfQg!2e0!7i13312!8i6656!6m1!1e1?hl=ja
グーグルストリートビューで、左奥に斜めに続く道が、かつては線路を横断する踏切になっていました。たぶんここが画像の踏切の場所と思います。
この映画が撮影されたのは、年号からして占領下の日本です。一番下の画像で、相鉄線の相模大塚が英語の行先に入っているのは、当時運転されていた「白帯車」(占領軍専用車)の運用に、新宿-海老名-相模大塚という直通があったためです(書かれている行先は、全て米軍に接収された施設がある場所です)。当時の1150形(後の1100形)が使用されました。海老名駅のはずれで、相鉄線と小田急線はつながっており、その後も横浜発本厚木行きの電車が運転されていました。

すぎたま | URL | 2016-01-29(Fri)06:11 [編集]


Re: 占領下では

すぎたま 様  貴重なコメントありがとうございます。

新宿~相模大野の直通電車があったのですね。当時の時刻表を見ると、横浜発本厚木行の電車が通勤時は 30分毎に運転との記述がありますね。

テツエイダ | URL | 2016-01-29(Fri)20:43 [編集]


恋人

時たま、わが心の日本映画ベスト・テンを勝手に思い浮かべてみることがあるが、その10本がすべて市川崑監督作品だけで自然と埋まってしまう。

市川作品の(個人的)ベスト・ワンは、となると、この「恋人」(1951年)か「細雪」(1983年)だが、やはり、甘く、切なく、やるせない「恋人」の方に軍配を上げる。

表示板(7枚目の写真)の「相模大塚」が何故アバウトなのか、最初のうちは意味がよく分からなかったので路線図を調べてみると「海老名」で他線の「相模鉄道」に乗り換えなければ、直接行けないからなのですね。

この後、すぎたま氏のコメントから新宿から相模大塚への直通電車(白帯車)が運行していたことを知って、びっくり仰天。

当時の進駐軍からすれば、日本の鉄道網をいじるくらい、他愛ないことだったのでしょうね。

このシーンには他に「KEIO LINE(京王鉄道)」の案内板も出てきます。

そこには「CHOUFU(調布)」「FUCHU(府中)」「HIGASHI FUCHU(東府中)」、一番下に「6403 AIR FORCE .....」と表示されていて、ローマ字表記の駅名はすべて進駐軍用だったことが分かります。

小田急の最終電車が24時50分、さすが大都会の東京、戦後間もない頃でもこれほど遅くまで(現在の最終電車の時刻と同じくらいに)電車が走っていたとは。

現在では「0時50分」と表示されるが、当時は「24時50分」と呼ぶのが普通だったのでしょうか。

「映画の文法」(今泉 容子氏 著 彩流社)の中で「哀愁(Waterloo Bridge)」と「恋人」のグラフィック類似性の指摘には目から鱗が落ちました。

銀座で「哀愁」を見た後、通りをぶらついたり、ホールでダンスをするふたり(池部良と久慈あさみ)の構図やポーズが、映画の中の映画の「哀愁」のふたり(ロバート・テイラーとヴィヴィアン・リー)とまったく同じなんですね。

「さすが才人・崑さん!」と思わず拍手喝采、ますますこの映画が好きになりました。

ふたりが散策した銀座界隈、とりわけ地下道はまだ存在しているのでしょうか。
ロケ当時の雰囲気が万分の一でも残っていれば、ロケ地巡りをしたいくらいです。

メロドラマの古典的傑作といわれている「哀愁」よりも、この愛すべき小品「恋人」の方が優れているのではないか。

全国民に告ぐ! 「恋人」、見るべし。

赤松 幸吉 | URL | 2019-08-17(Sat)15:00 [編集]


Re: 恋人

 赤松様 長文のコメントありがとうございます。

 進駐軍の鉄道輸送司令部下の 鉄道司令部 (RTO) の指令で、横浜発札幌行や東京発佐世保行を呉線経由で運行させるなど強権をふるっていました。 
 ですから線路さえ繋がっていれば(隣接していれば接続させる)彼らの都合の良い様に運行指令を全国的に出していた様です。

 小生 残念ながら「哀愁」を観ていないので、「哀愁(Waterloo Bridge)」と「恋人」のグラフィック類似性を理解できません。 しかし赤松様の解説で、良く良く分かりました。
 新宿の二人が走った幅広い地下道を、小生 幼少の頃歩いた微かな記憶があります。しかし前の東京五輪の頃までに、何時しか消えていた様です。


テツエイダ | URL | 2019-08-19(Mon)22:54 [編集]