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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

190.恋のハイウェイ

1967年3月 日活 製作 公開  カラー作品   監督 斎藤武市

母親の生活態度に嫌気がさして上京した梶若葉(吉永小百合)が、旅雑誌社のカメラ記者としての活躍を描くコメディ青春映画です。

鉄道シーンの最初は若葉が上京する折、先ず東海道新幹線が富士山をバックに富士川橋梁を渡る場面があります。
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東北新幹線の第一北上川橋梁が完成するまでの間、日本で一番長い鉄道橋でした。
写真大学の同級生 森道夫(関口宏)のツテで旅雑誌社に就職した若葉は、初仕事として神戸の小説家 伊吹年之助(金子信雄)の所へ向かいます。

この時 幼なじみで上野動物園で飼育係をしている柳金次郎(新克利)が東京駅の新幹線ホームまで見送りに来てくれました。
柳は若葉の白いスーツケースを乗車口まで持って来て、名残惜しそうに渡しました。若葉は0系新幹線 7号車デッキに乗りますが、隣の車両は何故か9号車と標示されています?間違いでしょうか。
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画像の上側は当時の東海道新幹線こだま号の標準編成図の中央部分です。この頃は12両編成の内 1~7号車を二等自由席車として、8号車を必ず一等車にして9~12号車を二等指定席車にしていました(5・9号車は半車ビュッフェ)。
ところが7番目の車両が一等車で、8番目が二等車として編成した こだま号も先に存在していたのです。そこで下側の編成図の様に7番目の車両を8号車としたので、8番目の7号車の隣が9号車になったのだと思われます。
ひかり号とこだま号が共通編成であった開業時の様にひかり号編成を使ったこだま号の場合、7・8号車共に一等車なので7号車を一等自由席車・8号車を一等指定席車としたので問題ないのです。

続いて京阪神急行電鉄神戸本線 芦屋川駅へ到着する 950形の姿が映ります。後ろに続く中間車は 920形でしょうか。この駅から若葉は、伊吹宅を尋ねますが不在でした。
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中盤 若葉の父親の所在を知る伊吹に同行して、三重県志摩へ行く場面があります。近鉄二代目ビスタカー 10100系の走行シーンの後、二階席に若葉と伊吹が並んで座っています。
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父親に会った帰りは同じ場所で反対方向への 10100系の走行シーンの後、
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二階席に一人で座る若葉がいます。そこへバンドメンバーの左近鉄兵(花ノ本寿)が現れ、シートピッチ 920ミリの狭い所を跨いで空いてる窓側に座ります。

そして左近の件で友達の家を追い出された若葉が、終電近く 柳の家を頼って駅を降りてくる場面があります。考え事をしている若葉は改札をそのまま通り過ぎ、「お客さん 切符」と言われてしまいます。
ロケが行われたこの駅は、京王電鉄の 2010系らしきが停まっている終端型の駅であることから府中競馬場前駅かもしれません。
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更に会社の受付係 浜野節子(山本陽子)の家からも森との関係を誤解されて追い出された若葉は、又も終電近く 柳の家を頼って駅から降りてくる場面があり 同様に改札を抜けて注意されます。
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終盤 若葉は節子の誤解を解くべく柳を自分の許婚として偽り会社内に紹介し、森と節子の仲を取り持つのでした。 そして今後のことを相談しに大阪の母親の元へ向かうことにします。
東京駅から新幹線に乗る若葉は、またしても柳の熱い見送りを受けるのです。2面4線と初期の東京駅新幹線ホームから発車して行く0系の姿を有楽町側から映した場面が続きます。
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最後は柳への愛情に気付いた若葉が再び上京して柳の元へ向かう折、アップで走り去る0系新幹線の走行シーンに続いて最初と同じ富士川橋梁を渡る場面があります。
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コメント


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恋のハイウェイ

「君の名は」同様、この映画も日本全(半)国を吉永小百合が鉄道でやたらに旅行する。
こちらは主人公が一応カメラマンなので話の筋は通っている。
当時の国内移動は飛行機はまだ一般的でなく、ほとんどが陸路だったのですね。

この記事の中に前代未聞の珍事が載っています。(それにしてもよく発見された)
それは6、8、7、9号車と続く珍編成車両、いくら何でもひどすぎる。当時の乗客は混乱したのではないか。現在なら車掌に怒鳴り込むところだ。

素人の考えに過ぎないが、7号車と8号車を入れ換えて編成するか、単純に「×号」の表示を掛け換えるだけでこの件は解消されたのではないか。

阪急電車を撮影した陸橋は映画「阪急電車」にも登場している同じ場所からではないでしょうか。

赤松 幸吉 | URL | 2015-09-20(Sun)07:46 [編集]


Re: 恋のハイウェイ

赤松様 続けてのコメントありがとうございます。

 本文中で当時の新幹線では8号車を常に一等車に統一させようとして6,8,7,9号車と続く編成となったのでは?と書いたのは、あくまで小生の推察です。
 旧来の客車と違って新幹線では、車両の切り離し結合は手間がかかり困難なのです。それ故苦しい表示となったのでしょう。

 阪急電車のシーンは、「青春のお通り 愛して泣いて突走れ」(1966年4月日活公開) でも反対側から撮影されています。

テツエイダ | URL | 2015-09-29(Tue)22:58 [編集]