
旅芸人の一座が訪れた三重県の港町には座長 嵐駒十郎(二代目中村鴈治郎)が昔 子供まで産ませた 本間お芳(杉村春子)親子が居て、 駒十郎の愛人で一座の すみ子(京マチ子)と穏やかではない関係に至るドラマで小津監督唯一の大映作品です。
鉄道シーンは中盤 すみ子は お芳を困らせようと、妹分の加代(若尾文子)をそそのかして息子 清(川口浩)を誘惑させます。ところが二人共 本気となり、駆け落ちを計るまでになります。
地元の駅に近い旅館 田丸屋に清と加代が泊る場面で、安全弁から盛んに蒸気を噴出しながら待機する C10 6 蒸機の後方の木造庫内に C10 7 蒸機が登場します。

(99.警察日記)で既述の武蔵五日市支区には C10 5号機の仲間に、6・7号機が配置されていました。それとこの木造庫の形から武蔵五日市支区でのロケに間違いないと思われます。
後述の田丸駅でのロケから参宮線を思い浮かべるのですが、参宮線と言えば旅客 C57・貨物 D51 です。小津監督は何故三重県に所縁の無い C10 形蒸機を登場させたのでしょうか?
三重県でのロケを終えて編集作業をしていた小津監督が、駆け落ちを計る若い二人の高鳴る気持ちを表すのに勢いよく蒸気を吹き上げる機関車のカットを入れたくなり東京から近場でローカル線の雰囲気溢れる武蔵五日市支区で追加ロケをしたのでは?と妄想してみました。
終盤 すみ子・清らと喧嘩別れした駒十郎は、座員に金の持ち逃げまでされたので一座を解散して一人旅に出ようとします。夜遅く駅へ行くと、

ベンチにすみ子が一人ポツンと座っています。この場面のロケは参宮線 田丸駅で行われたそうです。
駒十郎は気付かぬフリをして離れたベンチに座り、煙草をくわえて火を点けようとしますがマッチがありません。

そこへ近寄った すみ子が手持ちのマッチで火を点けてあげて、会話が始まり二人で桑名の座元を訪ねて再起を図ろうとします。
出札口横の壁には伊勢行・亀山行・草津行・松坂行・名古屋行と表示された、改札口上に掛ける次に発車する列車の行先札が並べて掛けてあります。なので次の下りは鳥羽行、上りは多気行の各札が改札口上に掛かっていると思われます。

そして すみ子はウキウキと出札口で「桑名2枚」と切符を買い求めました。この時 壁の時計は 23:12頃を指しています。こんな時刻に桑名まで行く列車があるのでしょうか。

次に暑そうな三等車内で寝ている子供や老人の姿が映ります。

続いてボックスシートに並んで座る駒十郎と すみ子がいます。駒十郎は風呂上りの様に頭の上に手拭いを載せて、すみ子のお酌で酒を飲み上機嫌な様子です。

そして遠慮気味に煙を噴き上げる蒸機に牽かれた夜汽車が、腕木式信号機の横をゆっくりと通り過ぎて行くシーンでエンドマークとなります。

さて二人は桑名を目指しているので、上り多気行に乗ったと思われます。壁の時計はともかく該当するのは田丸 22:08発の 836ㇾで、隣の多気には 22:18着です。この年 7月14日までは接続列車が無く、多気で夜明かしでした。
しかし7月15日に紀勢本線が全通し ダイヤ改正で紀伊勝浦発 準急 1908ㇾ名古屋行が新設され、多気 2:55発で桑名着が 4:47と夏場の夜明けの到着で先方の都合はともかく再起を図る二人に相応しい列車です。
このダイヤ改正時に、山田→伊勢市・相可口→多気 と駅名が改称され、紀伊半島を一周する準急くまの号の他 南海電鉄難波 21:55発の電車に連結された客車が天王寺 22:00発の 912ㇾに繋がれ名古屋 12:11着(南海の客車は白浜まで)という長距離鈍行も登場しました。
この列車の反対は名古屋 15:33発の 911ㇾで、やはり白浜から南海の客車も連結の上 紀伊半島を一周して東和歌山で切り離した一両の客車が南海電鉄の電車にぶら下り終着 難波に 5:37着 911ㇾも天王寺 5:30着とこれまた今では考えられない珍鈍行列車でした。
この南海電鉄の客車とは国鉄スハ43形をベースとしたサハ4801形で、紀勢線全通前から国鉄の夜行列車に連結されて白浜と結んでいました。1972年3月 南海の紀勢本線乗り入れが廃止され、一両だけ作られた珍車サハ4801形も廃車となりました。


