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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

183. 祇園囃子

1953年8月 大映 製作 公開   監督 溝口健二

京都 祇園の芸妓 美代春(木暮実千代)は旧知のメリヤス問屋 沢本(進藤英太郎)の愛人の娘 栄子(若尾文子)から懇願され、苦労の末 舞妓 美代栄に仕込む過程で深まる師弟の絆を描く映画です。

鉄道シーンは一か所 中盤に車両会社 専務の楠田(河津清三郎)が商売の切り札に美代春を使う為、美代栄と二人を東京へ連れて行く道中の場面にあります。
先ず 片廊下に個室がずらり並ぶ寝台車にアベックが鞄を持った列車給仕を伴い現れ、車掌から検札を受けて端の部屋に入ります。
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次にトレイを持った食堂車のウエイトレスが中央の部屋に向かいます。
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内側から外開きのドアを開けて、美代春がサイダー2本とグラスの乗ったトレイを受け取りました。代金(45円×2=90円)は列車給仕に注文を頼んだ時に、チップ込みで百円支払ったものと思われます。
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美代栄が「ちっとも寝られへん」と言うので、美代春が「楠田はんとお話してきたら、食堂車にいえはるで」と言いますが断ります。
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そこへ廊下から男が中を覗くと、美代栄が「お父ちゃんやわ」と言って後ろ向きになります。
沢本は部屋に入ると「京都駅で乗る時に姿を見掛けたんでな」と美代春に告げ、美代栄の後ろ姿を見て「暫く見ない内にすっかり綺麗になったな」と声を掛けます。
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嫌がった美代栄は「うち楠田はんのところへ行ってくる」と部屋を出て行きました。

沢本は美代春と二人になると、注いでもらったサイダーを飲みながら厳しい身の上を延々と愚痴るのでした。この撮影はセットか国鉄スロネ30形かマロネ39形二等寝台車を使って客車区で待機中に行われたのでは?と思われます。
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スロネ30形寝台車だとすると、1951年新製されたオール4人用個室寝台車です。引退したトワイライトエクスプレスに連結されていた、カルテットが似ています。冷房設備が無く扇風機だけなので、劇中でも暑そうですね。

この為 1955年の一等寝台車格下げ時には、個室寝台なのにスロネ30・マロネ39共に二等最下級の二等 C室に区分けされてしまいました。スロネ30の個室サイズは、幅1800×奥行1900でベット幅600 天井高2075 でした。
劇中では片側を寝台状態で、もう片側を座席状態のまま2人でゆったりと使っています。沢本が来訪した時も、長いシートを座席とテーブル代わりにして接待しています。

さて美代春達が乗ったこの列車は、何を想定しているのでしょうか? 京都を夜に出る東京行で、スロネ30かマロネ39 二等寝台車と食堂車が付いている列車はありませんでした。
近いのは 38ㇾ急行筑紫で、京都 21:26発・東京 7:23着でした。食堂車は有りますが、寝台はマイネ40一等寝台車だけでした。この列車の前に佐世保2:20発(真夜中!) 呉線経由 京都 20:17発の東京行 1006ㇾ特殊列車があります。

この特殊列車とは元連合軍専用列車Allied Limited 号であり、講和条約締結後の1952年4月より枚数制限付きで日本人も乗れるようになった急行列車で 1954年から一般急行列車 早鞆となりました。
特殊列車となっても編成はあまり変わらず、京都発時点で一等寝台車2両+二等寝台車3両+二等車2両+食堂車+荷物車2両というベラボウな豪華列車でした。

でも使われている二等寝台はマロネ29形という後の二等C室に区分される、開放ロングシートタイプ寝台でした。結論として劇中で登場するのは架空列車です。
当時 スロネ30寝台車タイプは 東京~関西の夜行急行列車 14ㇾ銀河(京都21:46→東京7:53) 16ㇾ彗星(京都22:57→東京9:24)に使われていたので、食堂車は連結されていませんでしたが普通に考えればどちらかの列車でしょう。
でも旧型個室寝台車でロケが行われたのはとても珍しく、京都~東京の移動で夜行列車の比重が高かった時代の貴重な記録であると思われます。
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祇園囃子

「浪華悲歌」「祇園の姉妹」の系統、男の犠牲になって生きていく女がテーマという溝口健二監督の「鉄板」作品。

小津安二郎が鉄道を愛し、鎌倉駅付近や電車内をしばしばフイルムにとどめたのに対して、溝口作品に鉄道シーンが登場するのは、(もっとも彼の作歴には時代劇も多いが)非常に珍しいのではないか。

鉄道シーンは1シーンのみで、いきなり寝台車の内部のショットから始まる。

普通は、常套手段として、駅のホーム、運行表示板、大時計、停車中の列車などのカットをリレー式に流していくものだが、溝口上皇(黒澤が天皇なら、溝口は上皇だ!)は蠢く人間模様しか熱い視線を注がず、まるで乗り物には興味がなさそうだ。

この列車は、発車時刻も列車名も車種もまったく不明で、東京行き夜行としか分からない架空列車もいいところで、溝口上皇には野暮で煩わしい列車運行情報のようなものには目もくれなかったようだ。

木暮や若尾はこの1シーンでサイダー一本飲んでいる内に東京へ到着、リニア・モーター・カーよりも高速なのだ(見事なジャンプ・カット?)。

普通は、途中に車窓からの展望や走行中の列車姿のショット、東京に着いたなら着いたで、東京の風景のカットをインサートするものだが、それが一切合切カケラもなし。

1枚目の写真の寝台車はリアルで奥行きもあり、これは実車両だと思いますが、4枚目以降は狭い個室(コンパートメント)では大きなカメラ機具を持ち込んで、自由に撮影ができたとは考えにくく、(次の理由からも)セットのような気がします。

1枚目の写真では反対側の窓はカーテン等が引いてあるように見えますが、次のシーンの4枚目以降、コンパートメントから見通せる向こう側のガラス窓は全開で、暗闇の中に時折り(いかにもセットぽい)家の灯りが流れています。

寝台車に乗ったことがないのでよく分かりませんが、就寝時間になると窓はすべてカーテンとかブラインドが閉められるのではないでしょうか。

サイダーが45円だとはどうして分かったのですか、当時のメニューでも保存されていたのですか。

赤松 幸吉 | URL | 2019-10-06(Sun)16:54 [編集]


Re: 祇園囃子

赤松様 コメントありがとうございます。

 ご指摘の様に2枚目の画像までは実車を使い、3枚目以後の個室内シーンはセット撮影の様ですね。通路側窓のブラインド幕に気付かれたのは、さすがの観察眼です。

 もし見送り等で 乗客が開けたままだったら、1枚目画像の車掌か給仕が閉めているはずです。
 通常 始発駅を発車後に夜間になり次第 順次閉めていました。 夜間始発列車は車掌が検札しながら、発車直後から閉めていたと思います。

 サイダーの件は1954年版時刻表から列車食堂の値段が記載され、これを参考にしたので前年では40円程かもしれません。
 ちなみに1953年に2等寝台個室の下段料金は1500円でしたが、翌1954年には1800円となっています。

テツエイダ | URL | 2019-10-09(Wed)19:10 [編集]