
1947年7月 東宝製作公開 監督 黒澤明
戦後黎明期の東京で若い貧乏なカップル雄造(沼崎勲)と昌子(中北千枝子)の日曜日一日を、ドキュメンタリータッチで描いた青春映画です。
冒頭 運輸省営鉄道 63系電車が上野駅らしきに到着するシーンがあります。
前面はまともですが、壊れた窓ガラスに板を貼って修理してあるなど荒廃した終戦後の姿で運行されています。
到着すると超満員の車内から昌子も降りて来ました。階段を降りてくると、壁に8番線の標示が有りますから常磐線沿線に住んでいるのでしょう。

昌子は外に出て待ち合わせの場所へ行くと、シケモクを拾って吸おうとしている雄造の手を叩いて止めさせます。駅の外の様子は新橋駅の様にも見えますが、上野なのでしょう。
ここから二人の楽しい一日が始まるのですが、所持金が雄造 15円・昌子 20円しか有りません。新築モデルハウスの展示場を見て夢を語る昌子ですが、10万円の価格に溜息の二人です。
ただここで 闇屋の男(菅井一郎)から貸し間が近くにあることを聞き、そこへ向かう道中 遮断棒の無い警報機だけの第三種踏切がありました。複線電化区間の様で、左からの単車に続いて右から2両編成の電車が通過します。

アップの映像であり、意外に高速で通過したので車両の詳細が分かりません。上野近くとなれば京成電鉄ですが、雰囲気的に東京急行電鉄 井の頭線(当時)の様にも見えますね。
上野公園界隈から動物園へ入ったりした二人は、日比谷公会堂で行われるクラシック演奏会のポスターを見て行くことにします。上野公園からの階段を駆け下り、上野駅へと走る二人を車から併走撮影している様です。
駅前交差点角は石垣だけで、まだ聚楽(現在はUENO3153ビル)も有りません。続いてドアガラスが板張りの 63系電車が疾走する姿の後、車内で座る昌子は「遅いな~この電車 もっと早くもっと早く」などとウキウキしている様子です。

次に雨が強まる中 有楽町で降りた二人が日劇をバックに晴海通りを横断する時、山手線でしょうか6両編成の 63系電車が高架線を有楽町駅へと向かって行きます。

ロケ当時 上野~有楽町の運賃は5km.までの最低区間内なので、 50銭でした。しかしインフレが激しいので この映画公開直後(6日後)に2倍の1円に値上げされ、貧乏な二人には一段と厳しい世の中になったのです。
その後ダフ屋に邪魔され演奏会に入れなかった二人は、野外音楽堂で二人だけの空想演奏会を開き 心が満たされます。最後は夜の有楽町駅らしきホームを想定したセット撮影シーンです。
ベンチに二人が座り、駅員が一人が立つホームで電車を待っています。

やがて電車到着の音が入り、昌子が「またこの次の日曜日」と笑顔で別れを告げて乗車した様です。
この映画は黒澤監督 戦後第二作で、珍しくホームドラマ風の映画です。焼け跡だらけの町と一見まともな都心のビル街、走る電車は板張りのドアや窓と戦後復興黎明期の東京をリアルに映しています。
なお国営鉄道事業が新法人 日本国有鉄道に移管されたのは、二年後の 1949年6月です。
戦後黎明期の東京で若い貧乏なカップル雄造(沼崎勲)と昌子(中北千枝子)の日曜日一日を、ドキュメンタリータッチで描いた青春映画です。
冒頭 運輸省営鉄道 63系電車が上野駅らしきに到着するシーンがあります。

前面はまともですが、壊れた窓ガラスに板を貼って修理してあるなど荒廃した終戦後の姿で運行されています。
到着すると超満員の車内から昌子も降りて来ました。階段を降りてくると、壁に8番線の標示が有りますから常磐線沿線に住んでいるのでしょう。

昌子は外に出て待ち合わせの場所へ行くと、シケモクを拾って吸おうとしている雄造の手を叩いて止めさせます。駅の外の様子は新橋駅の様にも見えますが、上野なのでしょう。
ここから二人の楽しい一日が始まるのですが、所持金が雄造 15円・昌子 20円しか有りません。新築モデルハウスの展示場を見て夢を語る昌子ですが、10万円の価格に溜息の二人です。
ただここで 闇屋の男(菅井一郎)から貸し間が近くにあることを聞き、そこへ向かう道中 遮断棒の無い警報機だけの第三種踏切がありました。複線電化区間の様で、左からの単車に続いて右から2両編成の電車が通過します。

アップの映像であり、意外に高速で通過したので車両の詳細が分かりません。上野近くとなれば京成電鉄ですが、雰囲気的に東京急行電鉄 井の頭線(当時)の様にも見えますね。
上野公園界隈から動物園へ入ったりした二人は、日比谷公会堂で行われるクラシック演奏会のポスターを見て行くことにします。上野公園からの階段を駆け下り、上野駅へと走る二人を車から併走撮影している様です。
駅前交差点角は石垣だけで、まだ聚楽(現在はUENO3153ビル)も有りません。続いてドアガラスが板張りの 63系電車が疾走する姿の後、車内で座る昌子は「遅いな~この電車 もっと早くもっと早く」などとウキウキしている様子です。

次に雨が強まる中 有楽町で降りた二人が日劇をバックに晴海通りを横断する時、山手線でしょうか6両編成の 63系電車が高架線を有楽町駅へと向かって行きます。

ロケ当時 上野~有楽町の運賃は5km.までの最低区間内なので、 50銭でした。しかしインフレが激しいので この映画公開直後(6日後)に2倍の1円に値上げされ、貧乏な二人には一段と厳しい世の中になったのです。
その後ダフ屋に邪魔され演奏会に入れなかった二人は、野外音楽堂で二人だけの空想演奏会を開き 心が満たされます。最後は夜の有楽町駅らしきホームを想定したセット撮影シーンです。
ベンチに二人が座り、駅員が一人が立つホームで電車を待っています。

やがて電車到着の音が入り、昌子が「またこの次の日曜日」と笑顔で別れを告げて乗車した様です。
この映画は黒澤監督 戦後第二作で、珍しくホームドラマ風の映画です。焼け跡だらけの町と一見まともな都心のビル街、走る電車は板張りのドアや窓と戦後復興黎明期の東京をリアルに映しています。
なお国営鉄道事業が新法人 日本国有鉄道に移管されたのは、二年後の 1949年6月です。
- 関連記事
-
- 362.嫉妬
- 191. 明日は日曜日
- 179.素晴らしき日曜日


