
1970年10月 松竹 製作 公開 カラー作品 監督 瀬川昌治
特急とき号に乗務するベテラン専務車掌の石川大作(フランキー堺)が女子大生3人組にかき回されるドタバタコメディに、踏切事故を体を張って防ぐ事件を織り込む シリーズ第7作目の喜劇映画です。
SLブーム最中に製作された作品だけに、冒頭でストーリーに関係のない各地の蒸機牽引列車が次々と登場します。最初の画像 D6062 は当時 大分運転所 配置なので久大本線走行シーンでしょうか。

本編では上野駅 地平 17番ホームから 181系特急とき号の発車辺りから鉄道シーンが始まります。このホームから唯一
発車する 15:05発 新潟行 とき3号と思われます。
当時 上野駅は、東北・上信越方面への発着で 20番線まで有りました。両大師橋を潜るころには 19番線に、常磐線の 455系電車が到着するところです。

石川が 学士さんとも呼ばれた国鉄本社採用エリートらしき松井英明(森田健作)を特急とき号の乗務に同行させて車掌業務のイロハを教える場面があり、車掌室へ案内し説明した石川はマイクを取って案内放送を始めます。
そして新潟の自宅へ戻ると、女子大の機関車研究クラブの桜直美(奈美悦子)・早房まり(左時枝)・富士早苗(辻由美子)ら3人が石川の行動を研究対象としたい旨 告げ 慌てさせます。
次に石川が自転車で通勤場面するでは、新潟交通 県庁前駅に停車するモハ 10形らしき姿が見えます。新潟交通の始発駅として川の中州の様に道路交差点の真ん中にあった駅で、1985年6月に白山前と改称しています。

県庁前~東関屋の大半は道路併用軌道の為 嫌われ、1992年3月に一足早く廃止されました。その後も乗客減が続き 月潟~燕の部分廃止を経て、1999年4月に東関屋~月潟の全線廃止となってしまいました。
女子大生3人組は派手な英車 MGBらしきオープンカーで、羽越本線らしきを走行するD51 形蒸機列車を 8ミリか 16ミリ撮影機で併走撮影する場面が有ります。 女子鉄の元祖でしょうか。
一人が運転して 二人が其々三脚に撮影機を載せて、最初はD51牽引の旅客列車を追い 続いてD51牽引の貨物列車を撮ります。D51牽引の客ㇾが残っていた羽越本線の列車と思われます。

新潟車掌区所属と思われる石川が新津車掌区も在る新津機関区で、C57 1号機の前を歩いていて入換の D511030が鳴らした汽笛に驚いて飛び上がるシーンも有り 現場の協力ぶりが分かります。

ハイライトは火薬を積んだトラックが踏切でエンコしてしまい、石川が元機関士の父 和三郎(森川信)・女子大生3人組と共に命からがら事故を防ぐ場面です。
夜間 C57 1号機を先頭に問題の踏切に列車は刻々と近付きます。皆でトラックを動かそうとしますがビクともしないので、照明器や旗を振って知らせ ギリギリで衝突事故を防いだのでした。

最後は石川と松井が乗務する特急とき号で、3人組が東京へ帰る場面です。新潟駅 とき号3号車デッキ前で、3人組は別れの挨拶を石川達と交わします。
まりが「松井と直美が一緒になって、新潟へ戻って来るかも」と言うと 石川が「松井君の新潟勤務もあと少しで東京の本庁勤めになるのでは」と返すので、やはり車掌業務は腰掛けの学士さんの様です。

そして石川の「この列車は新潟 13:00発 とき3号です」の車内放送の後、とき号の走行シーンが次々に有りエンドマークとなります。
1962年誕生の特急とき号はロケ当時、5往復 東京・上野~新潟を結んでいました(映画公開時には6往復)。その後 最盛期には 14往復にもなり、1982年11月の上越新幹線の開通まで走りました。

特急とき号に乗務するベテラン専務車掌の石川大作(フランキー堺)が女子大生3人組にかき回されるドタバタコメディに、踏切事故を体を張って防ぐ事件を織り込む シリーズ第7作目の喜劇映画です。
SLブーム最中に製作された作品だけに、冒頭でストーリーに関係のない各地の蒸機牽引列車が次々と登場します。最初の画像 D6062 は当時 大分運転所 配置なので久大本線走行シーンでしょうか。

本編では上野駅 地平 17番ホームから 181系特急とき号の発車辺りから鉄道シーンが始まります。このホームから唯一

発車する 15:05発 新潟行 とき3号と思われます。
当時 上野駅は、東北・上信越方面への発着で 20番線まで有りました。両大師橋を潜るころには 19番線に、常磐線の 455系電車が到着するところです。

石川が 学士さんとも呼ばれた国鉄本社採用エリートらしき松井英明(森田健作)を特急とき号の乗務に同行させて車掌業務のイロハを教える場面があり、車掌室へ案内し説明した石川はマイクを取って案内放送を始めます。
そして新潟の自宅へ戻ると、女子大の機関車研究クラブの桜直美(奈美悦子)・早房まり(左時枝)・富士早苗(辻由美子)ら3人が石川の行動を研究対象としたい旨 告げ 慌てさせます。
次に石川が自転車で通勤場面するでは、新潟交通 県庁前駅に停車するモハ 10形らしき姿が見えます。新潟交通の始発駅として川の中州の様に道路交差点の真ん中にあった駅で、1985年6月に白山前と改称しています。

県庁前~東関屋の大半は道路併用軌道の為 嫌われ、1992年3月に一足早く廃止されました。その後も乗客減が続き 月潟~燕の部分廃止を経て、1999年4月に東関屋~月潟の全線廃止となってしまいました。
女子大生3人組は派手な英車 MGBらしきオープンカーで、羽越本線らしきを走行するD51 形蒸機列車を 8ミリか 16ミリ撮影機で併走撮影する場面が有ります。 女子鉄の元祖でしょうか。
一人が運転して 二人が其々三脚に撮影機を載せて、最初はD51牽引の旅客列車を追い 続いてD51牽引の貨物列車を撮ります。D51牽引の客ㇾが残っていた羽越本線の列車と思われます。

新潟車掌区所属と思われる石川が新津車掌区も在る新津機関区で、C57 1号機の前を歩いていて入換の D511030が鳴らした汽笛に驚いて飛び上がるシーンも有り 現場の協力ぶりが分かります。

ハイライトは火薬を積んだトラックが踏切でエンコしてしまい、石川が元機関士の父 和三郎(森川信)・女子大生3人組と共に命からがら事故を防ぐ場面です。
夜間 C57 1号機を先頭に問題の踏切に列車は刻々と近付きます。皆でトラックを動かそうとしますがビクともしないので、照明器や旗を振って知らせ ギリギリで衝突事故を防いだのでした。

最後は石川と松井が乗務する特急とき号で、3人組が東京へ帰る場面です。新潟駅 とき号3号車デッキ前で、3人組は別れの挨拶を石川達と交わします。
まりが「松井と直美が一緒になって、新潟へ戻って来るかも」と言うと 石川が「松井君の新潟勤務もあと少しで東京の本庁勤めになるのでは」と返すので、やはり車掌業務は腰掛けの学士さんの様です。

そして石川の「この列車は新潟 13:00発 とき3号です」の車内放送の後、とき号の走行シーンが次々に有りエンドマークとなります。
1962年誕生の特急とき号はロケ当時、5往復 東京・上野~新潟を結んでいました(映画公開時には6往復)。その後 最盛期には 14往復にもなり、1982年11月の上越新幹線の開通まで走りました。

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