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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

169. にあんちゃん

1959年10月 日活 製作 公開   監督 今村昌平

佐賀県の小さな炭鉱で働く父親が亡くなり 兄妹4人だけとなって貧困に喘ぐ安本家を、前半は長男長女を中心に 後半は次女の末子(前田曉子)の視点から見た二番目の兄 高一(沖村武)を中心に描く映画です。

時は昭和 28年 佐賀県松浦郡 鶴之鼻炭鉱で、長男 安本喜一(長門裕之)は臨時雇いの身分で働いています。炭鉱から下りてきた来た炭車に喜一達は飛び乗り、ブレーキで減速させながら炭降所へと向かいます。
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その道中 横の道を保健婦の堀かな子(吉行和子)と末子の担任 桐野先生(穂積隆信)が歩いているのを見て、「おいアトイクバイ アトイクバイ」と冷やかし「オナゴをからかうて嬉しいとですか!」と怒鳴り返されました。
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そして勾配が水平近くになった炭降所の手前で石炭列車を一旦停止させ、ワイヤーで最後部を固定させました。小規模鉱山なので線路は 610㎜軌道と思われ、随所で炭車を手押し移動しています。
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次に3人掛かりで連結ピンを外して前から一両ずつ、カーダンパーを使って手動で石炭を降ろします。
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このロケは原作地 大鶴鉱業所が閉山となったので、近くの鯛之鼻炭鉱で行われたそうです。ここは 1969年迄 操業していました。

終盤 高一が慕っていた かな子が婚約者 松岡亮一(二谷英明)の後を追うように東京へ行ったので、アルバイトをして得た金で東京へ仕事を求めに行ってしまいます。
その道中を描くカットでしょうか、右側に海が迫る複線をC59形蒸機が8両編成の客車を牽いて高速で駆け抜けて行きます。山陽本線でしょうか、7両目にロザを挟んだ各停列車と思われます。
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しかし中学生の高一は東京で自転車屋の求人に応募して 主人に警察へ通報され、あっさりと強制送還となるのでした。桐野先生が唐津警察で聞いて、「12時50分ので着くそうです」と引き受けに来た喜一と姉 良子(松尾嘉代)に伝えます。
ディーゼルカーの最前部に警官同伴で乗る高一は筑肥線 東唐津駅に到着すると、半自動ドアなので手動でドアを開け笑顔で降ります。そして喜一と良子を見ると「ハハ 東京も大したことなかね」と話し、良子が「心配しとったのよ」と泣き顔で言うとショゲてしまいます。
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そこで桐野先生が「まあ良か良か」と取り成し、警官に礼を言って高一を貰い受けました。唐津市の入口駅に相応しい東唐津駅舎前で、喜一と良子は仕事があるので高一を桐野先生に託し 二人は平串行のボンネットバスに乗りました。
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当時 東唐津駅は松浦川手前で行き止まりの形で存在し、唐津市内へはバスに乗り換えて行き 事実上の唐津市の入口駅でした。博多方面からの筑肥線はこの駅で方向転換して山本へ向かい そこで唐津線に乗り換えれば唐津駅へ行けますが、それは乗り鉄の話です。
1983年 唐津への新線(虹ノ松原~唐津)が電化開通し、東唐津駅は現在地へ移転して高架・途中駅となりました。同時に筑肥線は従来線の博多~姪浜を移転廃止として、姪浜から地下鉄線に相互乗り入れし 唐津~博多が大幅に便利になりました。(ロケ当時はバス共で約2時間 現在は 75分位)

唐津警察で聞いた12時50分着の筑肥線列車ですが、ロケ当時は 12:15着の博多発 525ㇾがあるだけで架空ダイヤと思われます。原作発表の 1953年当時では、12:58着の 3517ㇾとより近い便が有ります。
キハ 10系気動車と思われるDCで帰って来た高一ですが、筑肥線は九州鉄道時代から列車の内燃化が進み昭和 20年代末の内燃化率 72%でした。


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コメント


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にあんちゃん

昭和34年度芸術祭参加作品とあり、個人的には今村昌平作品のベストだと思います。
今村監督はこのタッチ(作風)を続けていれば、第二の田坂具隆や今井正になれたものを。

何度もコリアンを演じてきた北林谷栄だが、この金貸し婆が彼女の在日の「役歴」の中でも至高(マックス)の境地に達している。

北林谷栄の強欲ハルモニの演技を見られるのは、希有の眼福とでもいうべきか。

炭鉱のトロッコの動力はどうなっているのでしょうか。ワイヤーで引っているように見えましたが。

鉄道シーンはほんの少ししかないが、バスでの見送りや船での離別が胸にしみます。

特に、橋の上でのバスの末子と姉の良子(松尾嘉代)の哀別シーン(窓から首を出す末子、走り出す良子、泣き出す末子、手を振る良子と~)は、後年の吉永小百合、和泉雅子、浜田光夫、舟木一夫、山内賢らの青春映画の悲しい別れシーンの手本になったと思われるぐらい、情感細やかに撮られている。

海沿いを走る汽車は右手に島があちらこちらに見えるので多分瀬戸内海、つまり山陽本線で間違いないでしょうね。

高一の「東京までの汽車賃が900円」という台詞があるが、いくら子供普通料金だからといって、当時は佐賀から東京までの乗車券はそれほど安かったのだろうか。

また、高一は普通列車で上京しているが、一体どのくらいの時間がかかったのか。


今村昌平は、この健全な映画で「文部大臣賞」を受賞したことに大変反省した(彼一流の強がり、虚勢、粋がりかも知れないが)、と後年述べているが、それでは余りにも安本末子さんに失礼ではないか。

赤松 幸吉 | URL | 2019-04-22(Mon)17:03 [編集]


Re: にあんちゃん

 赤松様 コメントありがとうございます。

昭和34年度芸術祭に参加して「文部大臣賞」を受賞した程、本作は高水準の秀作と評価する方が多いのでしょう。
「大変反省した」とは今村監督一流の言い回しで、照れ隠しでしょう。

小生には当時の貨幣価値が分かりませんが、唐津駅から唐津線・筑肥線経由で東京迄の距離が1226.6㎞なので1490円(3等運賃)
本来中学生なのでこの金額ですが、小柄なのでゴマ化して子供切符を買うと745円です。

原作の1953年当時だとしても、大人1340円小人670円であって金額は合いませんね? 実際には唐津駅の窓口で子供に単独で東京までの切符を売ってくれたのか疑問です・・・(悪知恵の働く幼稚園児なら、知らない大人の後ろに張り付いて乗って行く?)

テツエイダ | URL | 2019-04-24(Wed)15:50 [編集]