
1959年6月 日活 製作 公開 監督 中平康
新しい生活が待つ新潟へ向かう渡辺三郎(小高雄二)が冤罪事件に巻き込まれるが、恋人 道田とし江(芦川いづみ)の支えもあり裁判で冤罪を晴らすまでを描く社会派映画
鉄道シーンとしては渡辺逮捕に疑問をもつ相生警察の署長(清水将夫)が とし江と話す場面 操車場であろうか背後で9600形と初期型のD51(通称なめくじ型)が盛んに行き来しています。
また渡辺を直接逮捕した森山竜夫(長門裕之)も次第に疑問を感じ、怪しい富永清美(沢井保男)を新潟の鉢木駅(架空駅)から上野まで延々尾行する場面がハイライトです。バスで鉢木駅に着いた富永は69636蒸機牽引の列車に乗ります。

富永を追いかけて鉢木駅を発車 加速している列車に危うく飛び乗った森山。

車内の様子から普通列車と思われます。9600形牽引からD51へ 更にC57へと機関車は交代し、長岡駅に到着します。

長岡ではEL(EF57か)に機関車が替り、煙から解放されホッとします。それゆえか富永はサンドウィッチとビールを売り子から買い、落ち着いた様なのでここから森山も席に座り上野まで尾行は続きました。

上越線は山岳区間が長い為、建設当初から電化された区間も有り 終戦直後の1947年10月全線電化。更に高崎線も東海道本線よりも早く、1952年4月には全線電化となりこの時点で上野~長岡まで電化されました。
この頃 新潟方面から信越本線で上京すると長岡まではSLの煙に悩まされるが、ここから上越線に乗り入れると上野まで快適なEL列車の旅となる。本編ではこの辺を強調しています。
PS. 鉢木から乗った列車は 69636牽引だが、この機関車は昭和30~40年代一貫して大宮機関区の所属で川越線を走り 昭和44年9月30日には川越線SLさよなら列車の先頭に立っている。
また 車内中吊り広告には湯檜曽温泉の旅館ユビソ本家があるが足利競馬 前橋競輪 那須,塩原が有り 察するに森山が乗った列車の撮影は東京から程近い川越線で行われたのかなとも思われる。
そしてC57が長岡駅に到着し、EL牽引で出発して行く場面は俳優抜きの別撮りとも思う。
それから9600形から替ったD51は山線用集煙装置を付けたD51388号機です。本機は昭和30年代のこの時期 松本機関区所属で篠ノ井線を主に走り、新潟県にはゆかりが無い。

本編のD51走行シーンを見ると、冠着超えの様にも見える。 新潟~長岡に山岳区間は無いことから 他線で撮影した煙の多い山越えの走行シーンを入れて森山がデッキで煙に咳き込むシーンを強調している。
それがまた長岡でのSLからELへの変換でホッとする車内の雰囲気を印象的にしている。
この当時 新潟から上野へ日中走る上越線経由直通の普通列車は朝6:50新潟を出発し15:52上野着の1本しかない。昼行の急行も、午前発の佐渡 午後発の越路の2本しかない。
架空のダイヤでの話とも思うがもし本当なら本編では日中走り、夜上野に到着していることから この普通列車で信越本線 上越線と乗り通し、何処かで途中下車し急行越路に乗り19:00上野に到着という過程ではなかろうか。
まだまだ複線化が進んでいなかったこの時代 意外な程 新潟~上野を走り通す列車は少なく、夜行を含めても上下急行3本 普通2本しかありません。
PS-2. 川本三郎氏の著作(あの映画にこの鉄道)から、1~3枚目の画像が撮影された鉢木駅は高麗川駅だそうです。
新しい生活が待つ新潟へ向かう渡辺三郎(小高雄二)が冤罪事件に巻き込まれるが、恋人 道田とし江(芦川いづみ)の支えもあり裁判で冤罪を晴らすまでを描く社会派映画
鉄道シーンとしては渡辺逮捕に疑問をもつ相生警察の署長(清水将夫)が とし江と話す場面 操車場であろうか背後で9600形と初期型のD51(通称なめくじ型)が盛んに行き来しています。

また渡辺を直接逮捕した森山竜夫(長門裕之)も次第に疑問を感じ、怪しい富永清美(沢井保男)を新潟の鉢木駅(架空駅)から上野まで延々尾行する場面がハイライトです。バスで鉢木駅に着いた富永は69636蒸機牽引の列車に乗ります。

富永を追いかけて鉢木駅を発車 加速している列車に危うく飛び乗った森山。

車内の様子から普通列車と思われます。9600形牽引からD51へ 更にC57へと機関車は交代し、長岡駅に到着します。

長岡ではEL(EF57か)に機関車が替り、煙から解放されホッとします。それゆえか富永はサンドウィッチとビールを売り子から買い、落ち着いた様なのでここから森山も席に座り上野まで尾行は続きました。

上越線は山岳区間が長い為、建設当初から電化された区間も有り 終戦直後の1947年10月全線電化。更に高崎線も東海道本線よりも早く、1952年4月には全線電化となりこの時点で上野~長岡まで電化されました。
この頃 新潟方面から信越本線で上京すると長岡まではSLの煙に悩まされるが、ここから上越線に乗り入れると上野まで快適なEL列車の旅となる。本編ではこの辺を強調しています。
PS. 鉢木から乗った列車は 69636牽引だが、この機関車は昭和30~40年代一貫して大宮機関区の所属で川越線を走り 昭和44年9月30日には川越線SLさよなら列車の先頭に立っている。
また 車内中吊り広告には湯檜曽温泉の旅館ユビソ本家があるが足利競馬 前橋競輪 那須,塩原が有り 察するに森山が乗った列車の撮影は東京から程近い川越線で行われたのかなとも思われる。
そしてC57が長岡駅に到着し、EL牽引で出発して行く場面は俳優抜きの別撮りとも思う。
それから9600形から替ったD51は山線用集煙装置を付けたD51388号機です。本機は昭和30年代のこの時期 松本機関区所属で篠ノ井線を主に走り、新潟県にはゆかりが無い。

本編のD51走行シーンを見ると、冠着超えの様にも見える。 新潟~長岡に山岳区間は無いことから 他線で撮影した煙の多い山越えの走行シーンを入れて森山がデッキで煙に咳き込むシーンを強調している。
それがまた長岡でのSLからELへの変換でホッとする車内の雰囲気を印象的にしている。
この当時 新潟から上野へ日中走る上越線経由直通の普通列車は朝6:50新潟を出発し15:52上野着の1本しかない。昼行の急行も、午前発の佐渡 午後発の越路の2本しかない。
架空のダイヤでの話とも思うがもし本当なら本編では日中走り、夜上野に到着していることから この普通列車で信越本線 上越線と乗り通し、何処かで途中下車し急行越路に乗り19:00上野に到着という過程ではなかろうか。
まだまだ複線化が進んでいなかったこの時代 意外な程 新潟~上野を走り通す列車は少なく、夜行を含めても上下急行3本 普通2本しかありません。
PS-2. 川本三郎氏の著作(あの映画にこの鉄道)から、1~3枚目の画像が撮影された鉢木駅は高麗川駅だそうです。
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