日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

 127. 惜春

1952年3月 新東宝 製作 公開   監督 木村恵吾

平凡な会社員 藤崎実(上原謙)の妻は流行歌手 衣笠蘭子(笠置シヅ子)で、豊かな生活は妻の収入に依っている。一ヶ月間の関西公演中 家政婦として蟻安たか子(山根寿子)が来て、一家に小波が立ち始める恋愛映画です。

前半の鉄道シーンとしては、藤崎の出勤時の様子等で東急電鉄 玉川線の中里辺りでしょうか? 1920年代製 木造wルーフのデハ1形が、かなりの速度で踏切を通過するカットが2か所あります。
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集電方式をピューゲルに更新したとはいえ、古典的なスタイルで走っていた末期の貴重な姿であります。映画公開直後からデハ80形へと鋼体化改造されてゆき、程なく姿を消してしまいました。

藤崎は妻とは違って家庭的な たか子に惚れ込み、日帰りでの熱海旅行へ出掛けます。先ず東海道本線を行く、80系湘南電車が映ります。
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当時 浜松迄電化されていましたが、沼津迄の各停は全て電車化していました。
余程楽しかったのでしょう 日が暮れ二人は、東京へ帰る列車の予定時刻ギリギリに熱海駅改札前へ駈け込んで来ました。
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しかし有る筈の切符が無く、3番線から出て行く東京行電車に乗れませんでした。
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駅の時計は、20:04辺りを指しています。該当するのは豊橋始発の 338ㇾで、熱海を 20:03発車して品川には 22:10着です(珍しく客ㇾですが)。品川~渋谷 12分程で、玉川線乗換での帰宅予定だったのでしょう。

妻が不在とはいえ たか子の家には母がいますし、世間体があります。それでもあきらめ 翌朝の列車で帰宅することにして、朝 5:05
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待合室で夜明かしした たか子の姿があります。遅れて、藤崎がやって来ました。
預かっていた たか子の荷物と切符を渡し、「僕は一汽車遅れて帰ります」と告げ 別れました。
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改札横には RTO(占領軍鉄道事務所)の文字が有り、占領軍用の豪華な待合室があるのでしょうか。
RTO は 1945年9月と占領直後に設置され、鉄道人を苦しめた制度だそうです。しかしこの映画公開の 5日後には廃止されたので、最末期の姿なのでしょう。(セットでの撮影の様にも見えます?)

やがて 5:17発 東京行の改札放送が有り、たか子は一人 通路から階段を上がって停車中の客ㇾ4号車に乗りました。
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しかし発車ベルが鳴り終わり、動き出した列車のデッキから降りてしまいます。
藤崎と一緒に帰ろうとしたのでしょうか。その後二人はお互いの思いを確かめるのですが・・・

その後にも玉電 デハ20形 木造ボギー車が、同じ踏切を通過するカットが有ります。
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デハ20形も鋼体化改造でデハ80形となり、昭和20年代末には消えてゆきました。





 P S.

二人はゆっくりしすぎて予定の列車に乗れなかったのですが、案内放送では東京行 最終列車とは言ってません。当時の時刻表では、熱海 21:34発 850ㇾ東京行が当日の最終で 23:09着の横浜で降ります。
東急東横線に乗換 23:14発 → 23:59渋谷着 玉川線に急いで乗り換えれば、0:05発の二子玉川園行 終電に間に合います。品川まで乗ると 23:30に到着しますが山手線の乗り継ぎが悪く、渋谷到着が 0:04となり玉川線最終に間に合いません。

現在でも状況はあまり変わらず、22:33発の品川行が最終で渋谷には 0:38の到着です。新幹線を使っても、最終のこだま 684号が熱海 22:28発で品川着が 23:10と帰りが早くなるだけです。
しかし一刻も早く帰りたい当時の二人が、簡単にあきらめるとは不思議です。熱海駅の待合室が一晩中開いていたので、たか子が安宿を飛び出しても夜明かしできたのは当時の国鉄幹線に夜行列車が数多く走っていたからです。

例え当日中の最終に乗り遅れても、大阪始発の 132ㇾ東京行が 2:53発で品川に 4:40着。続いて同じく大阪始発の 134ㇾ東京行が 3:31に発車し、品川到着が 5:10で山手線に乗り継ぎ帰れます。
待合室で夜明かしした たか子が、これら列車の案内放送を聞き漏らしたとは考えられないのですが? 当時この映画を観た人は疑問に思ったのでは?
それとも 一つ屋根の下で一夜を明かすことは出来ないが、藤崎のことを残して一人では帰れないというメロドラマの王道で納得!としましょうか。

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