日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

125. からたち日記

1959年4月 松竹 配給 公開   監督 五所平之助

信州の貧しい農家に生まれた つる(高千穂ひづる)は地主の家で子守し、売られた芸者置屋では下働きから半玉へと苦労するも幸せを掴みきれない女の半生を戦前から戦後へと描いた映画です。

半玉のつるは軍需会社のロンパリ(山形勲)に水揚げされ、3号さんになった。一転 余裕のある生活となったが、時節柄 勤労動員に工場へと働きにでて本山(田村高廣)という軍人といい仲となる。
一時療養から部隊復帰となった本山が、上諏訪駅から出発する日に見送る約束をつるはしていました。夜の上諏訪駅ホーム 時計は 19:27 で本山・妹の民子(島倉千代子)・母親(吉川満子)がいます。
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ホームは出征兵士を見送る一団が送る歌を歌って賑やかな中、本山は つるの姿を捜して目を泳がしています。そんな本山に母と妹は言葉を挟めず、母はオロオロ 民子は不機嫌な様子です。
ところが つる はその夜に限ってロンパリが居座り、駅へ行くことができません。汽車の発車時刻が迫り、つる は落ち着かず 不自然な様子にロンパリは疑い 外出を阻みます。

そうこうするうち、20:07 発 新宿行上り列車の到着を知らせる放送があり、D51 587 蒸機牽引の列車が入って来ました。
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つる は遂にロンパリを振り切って家を飛び出します。
踏切へ近付くと手動式遮断機が下り、汽笛を鳴らしながらスノープロウ付 D51 牽引の列車が つる の前を通過して行きます。つる は「本山さ~ん」と4回叫ぶしかありませんでした。
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この上諏訪駅でのロケを考察してみます。最初のシーンで時計は 19:27 を指しています。ロケ当時 19:17 に下り 417ㇾ長野行・19:22 に上り大月行 420ㇾが上諏訪駅を出発して行きます。
そこで乗降客が居なくなったホームで夜の出征シーンの撮影が行われたと思われます。次に 21:30 到着の長野発上諏訪止まりの 516ㇾを新宿行上り列車として撮影したと思われます。
20:07 発新宿行という放送はアフレコで、戦時中のダイヤでは 長野発 404ㇾで20:57 に上諏訪を発車 翌朝 5:00 新宿に到着します。ロケ当時は 22:36 発 418ㇾが該当し、4:30 新宿着でした。

本山との関係がバレた つるは 諏訪に居られなくなり、芸者時代仲良しだった かるた(水原真知子)を頼って千葉へ弟 忠夫(柴田昭雄)と向かいました。しかし空襲で かるたは死んでしまいます。
戦後 つるは生活苦の中で朝鮮人の松村(殿山泰司)の下で石鹸売りをして、弟を進学させることを希望に頑張っていました。だが弟は病気を苦にして自殺してしまい、諏訪に戻ることにします。
最後の鉄道シーンは、松村達の見送りを受け千葉を離れる時です。ロケ地は不明ですが架線が張られた駅から蒸機に牽かれた列車で、想い出多い地に別れを告げ 諏訪を目指して出立して行きます。
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コメント


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非常に良い映画でしたね

これ、題名が題名なので、まったく評価されていませんが、監督が五所平之助だけあって非常に良い映画だったと思います。

五所は、サイレント時代からの名監督ですが、多くのフィルムが残っていません。
彼は、1980年代以降に小津安二郎が評価されるようになった時、次のように言ったと言われています。
「小津君の映画はヒットしなかったので、フィルムが残っている。私のはみなヒットしたので残っていない」

まあ、冗談でしょうが、昔のフィルムが残っていないのは事実で、小津安二郎はある方とはひどい話です。溝口健二もサイレント時代のはほとんどないのですから。

さすらい日乗 | URL | 2017-05-23(Tue)09:05 [編集]


Re: 非常に良い映画でしたね

 さすらい日乗 様  続けてのコメントありがとうございます。

この映画を観たのは かなり前のことなので、細かい部分の記憶が曖昧ですが 印象深い映画でした。

とりわけ上諏訪駅での場面は、当ブログの第一テーマである「駅での別離」を緊迫感強く 描いています。

そしてまた 主人公つるが駅での見送りに間に合わず踏切で本山の名を悲しく叫ぶ姿が、単なる歌謡曲タイアップ映画とは一線を画していると思います。

テツエイダ | URL | 2017-05-25(Thu)22:23 [編集]