日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

 119.川上哲治物語 背番号16

1957年1月 日活 製作 公開   監督 滝沢英輔

プロ野球 初期の強打者 川上哲治の少年時代から二千本安打を達成するまでを描いた自伝映画映画で、少年期を(信田美弘)中学から青年期を(牧真介)戦後期を本人が演じています。

少年野球で大活躍した川上は家が貧しかったが安西医師(深見恭三)の援助で野球の名門 熊本工業へ進学することになり、1932年春 故郷 人吉から熊本へ向かう場面から鉄道シーンがあります。
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肥薩線 人吉駅1番線 8620形蒸機に牽かれた列車で川上少年は父と妹の見送りを受けて熊本へ向かいます。人吉駅ホーム、機関区の煉瓦車庫共 現在とあまり変化はありません。
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川上が乗ったハコは門モコ(門司鉄道管理局 門司港客貨車区)所属のスハ43形206で、国鉄がはりきって当時としては新しい車を用意してしまい監督の思惑と合わなかった様に思われます。

次に熊本工業野球部 甲子園大会出場が決まり、熊本駅頭で壮行会が行われる場面があります。木造ながら堂々とした造りの先々代駅舎前で、横一列に野球部の面々が並んでいます。
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大正3年完成の二代目駅舎で戦時中の空襲でも残った建物ですが、ロケの後解体が始まりこの映画公開翌年の 1958年に三代目駅舎へ改築されています。

甲子園大会で中京商に敗れた熊工ですが、選抜され明治神宮大会への出場が決まります。今度は熊本駅上り2番ホームで壮行会が行われ、狭いホームは野球部員と在学生でギッシリです。
ところが痔を発症した捕手 吉原正喜(宍戸錠)をリヤカーで迎えに行った川上は、C57蒸機らしきが牽く門司行急行列車が到着しても現れず先生達を心配させますがなんとか間に合います。
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ホームの時計は 14時前なので撮影は 13:38着 12分停車 13:50発の門司港行 124ㇾ普通列車を使い、門司行サボ(現在の門司港駅は当時門司駅)と急行札を取り付け行われたのではと思われます。
隣の3番ホームには気動車らしきが停車していますが、これは当時一日4本鹿児島本線 植木から熊本まで乗り入れしていた山鹿温泉鉄道の気動車と思われます。

1937年秋の設定なので当時のダイヤでは、熊本 17:15発の4ㇾ急行 門司行に乗り門司~下関を所要15分の連絡線に乗り下関 22:00発4ㇾ特別急行櫻号に繋がり東京へは翌日の 16:00に着きます。
学生なので急行で行ったとすると 下関 23:00発の10ㇾ急行 東京行で、やや時間が掛るが 19:45に到着します。何れにしても当時 熊本から上京するのは大変な旅だったのですね。
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そして遂に明治神宮大会で全国優勝した熊工バッテリーの二人は巨人からプロ入りを誘われます。熊本への帰路 セット撮影ながら車内シーンがあります。
次に巨人軍の遠征中 9600形蒸機牽引列車の走行シーンが映った後、川上は車内で監督から金鯱戦での先発を言われるシーンがこれもセット撮影で有ります。

巨人で活躍する川上と吉原ですが、1941年吉原が徴兵され東京駅からの出発を見送るシーンがあります。東京駅8番ホーム スハ32らしき客車のデッキに乗る吉原を巨人軍の面々が囲んでいます。
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やがて電機のホイッスルが鳴り、{行急}と昔表示の札を付けた列車はゆっくり動き出します。ホームには他の出征兵士を見送る割烹着姿の国防婦人会の一団もいて賑やかです。
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