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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

 115. 馬喰一代

1951年12月  大映 製作 公開   監督 木村恵吾

昭和初期の北海道 北見地方 酒と博打に明け暮れる馬喰 片山米太郎(三船敏郎)が女房の遺言で改心し、息子 大平(伊庭輝雄)を育て上げ 札幌の中学校へ送り出すまでを描いた映画です。

この映画の鉄道シーンはラスト近く 大平が父親と別れ札幌へ旅立つ場面にあります。木造客車に乗った大平を見送るのは、父親のことを託した 酌婦 ゆき(京マチ子)たちで片山はいません。
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続いてはC56が牽く列車を後方から後追い撮影したシーンがあります。撮影クルーを乗せた無蓋車を前方に連結した機関車を続行運転してか、保線用モーターカーを使ってロケが行われたのでしょうか?
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次に車内シーンがあります。学帽を被った大平がストーブを前に座り、荷物からお菓子らしきを取り出し食べています。木造客車ホハ24400あたりの車両でしょうか。
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そして上り勾配区間を3両の客車を牽いて喘ぐように低速で走るC56蒸機が短笛を鳴らし、トンネルへ入る走行シーンが続きます。一番後ろの車両はタンバックルが床下に付いています。
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片山は汽車の汽笛をたよりに馬を走らせ、大平が乗る列車を原野広しと探します。やがて列車は 33パーミルの上り急勾配区間をゆっくりと走ると、「大平ヤーイ」の声が聞こえてきます。
大平は2度目の声が聞こえた時、横を併走する父親に気付きました。先頭で牽くのは C56形の143号機で、片山は線路の横を巧みに馬を操り併走しています。
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片山と大平の言葉の掛け合いが何度か続いた後、「分かったら手を挙げて」との大平の言葉に片山が手を挙げた時 バランスを崩した片山は落馬してしまいました。
大平は心配しますが、汽車は淡々と進んで行きます。片山は足を痛めた様で、這うように線路へ近寄りレールに耳を当て去り行く列車の音を聞き「大平~」と叫び別れを惜しんでいる様子です。

この映画の撮影の殆どは北見近くの留辺蘂地方で行われましたが、鉄道シーンはと見ますと小海線で行われた様であります。C56143機は当時 中込区に所属する11両あったC56の1両です。
また33パーミルの勾配標が設置してある線路を登る列車の姿 遠く俯瞰する場面で八ヶ岳連峰らしき稜線が続いています。
撮影当時 北海道で C56蒸機は札幌近郊の苗穂区に少数いた程度で、戦前の様に北海道各地にいた訳ではありません。それも2年程で全機内地へ転属して行きました。
この映画公開の2週間後 小諸~小海の旅客列車がDC化され近代化が始まった小海線ですが、ロケのあった小海~小淵沢がDC化されたのは1960年3月のことでした。


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コメント


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馬喰一代

「羅生門」のグランプリ・コンビ、三船敏郎・京マチ子の隠れた名作。

米映画「駅馬車」を彷彿させる馬群の疾走、本物の元関取を交えた相撲大会のシーン、ほぼラジオ中継放送だけで手に汗握る競馬レースを活写、そして米太郎と酌婦・ゆきの意地っ張りな恋など・・・見どころ満載である。

出番は少ないが、米太郎(三船)をおだてて、下駄をありったけ買わせてしまう行商人の潮万太郎の芸風が光る。

ラストの鉄道シーンは日本映画屈指の名シーンだ。

カメラ割りもカット構成も人物描写も切れ味鋭く、臨場感に溢れている。

煙を吐いてひた走る列車を馬で追いかける、このパターンはこれ以降、馬が車になったり、オートバイになったり、自転車になったりして何度も繰り返されるが、この映画がスタンダードになったのではないか。

大平(子ども)の乗る列車を同じ線路上から後方より後追い、あるいは前方より先駆け撮影したショットがあります。

このような大胆なコンテに出くわしたのは初めてです。以前にどこかで見たことがあったかも知れませんが、テツエイダ様に指摘されるまでこのようなショットは気が付きませんでした。

この撮影はブログに書いてあるように何らかの車両を前または後ろに走らせて行われたようですが、実に経費がかかり、かつ危険なものだったでしょう。
自動車同士なら車間距離を取るのは比較的簡単ですが、同じレール上の全速力の車両同士だったらどうでしょうか。

私も同じ経験があります。
電車(阪神電車&山陽電車)の一番後部で車掌室越しに後ろを眺めていると次の電車が近づいてくるのが見えました。信号待ちなどでお互いに徐行運転しているとはいえ、追突しないかと気がかりでなりませんでした。

赤松 幸吉 | URL | 2018-08-19(Sun)14:13 [編集]


Re: 馬喰一代

赤松様 コメントありがとうございます。

無蓋車に撮影クルーを乗せて牽引し 後方を走る機関車の正面を撮る方法は、1941年の名作「指導物語」他 諸外国作品でもあった様に思います。 鉄道員の熱意無しでは実現しませんね。 「217.赤い殺意」でも近い撮影方法でロケが行われています。

この作品では小海線の木造客車が登場しますが、「83.わかれ雲」が偶然同時期の公開で小海線の木造客車が映ってますね。


テツエイダ | URL | 2018-08-20(Mon)22:21 [編集]


ナハニでしょうか

テツエイダ様、赤松様こんにちは。

どういう映画かは存じませんので(すみません…)、鉄道シーンに関してのみ。

最初のカット、木造車の窓柱の幅が広いですので、二等の格下げ車かもしれません。
一方、少年が窓を見ているカットでは、窓柱(吹き寄せ部)の幅が狭く、後ろの席では窓にカーテンがあったりします(三等車でカーテン!?)ので、これは座席の背刷り形状(縦に板が張られている)も含めてセットであろうと思われます。
2カット目と4カット目は同一車輌のようですが、ナハニかホハニですね。トラス棒を支えるクインポストの形状が古いタイプで、荷物室の扉が見えるのと、荷物室+車掌室側のデッキがオープンデッキです。かなり古いタイプと思われます。また尾灯が無く、赤い円盤で代用していますが、この時代には普通だったのかもしれませんね。

それにしても小海線でこのような「続行ロケ」というのは驚きですが、ATSが無かった時代なので、機関士の腕でなんとかなったんでしょうかねぇ。
今では絶対に許可が下りない撮影法ですね。

すぎたま | URL | 2018-08-23(Thu)16:42 [編集]


Re: ナハニでしょうか

すぎたま様 コメントありがとうございます。

久しぶりに映像を確認すると、車内シーンはご指摘の様にセットです。 当時の小海線は超ローカル線で、オープンデッキの古典車輛を使っていたのですね。 

「続行ロケ」は前から後ろからと、国鉄全面協力の元 ロケが行われた様です。(超閑散ダイヤなので可能だった?)

テツエイダ | URL | 2018-08-23(Thu)23:22 [編集]