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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

 101. 女の園

1954年3月 松竹 製作 公開   監督 木下恵介

京都の正倫女子大に入学した姫路出身の出石芳江(高峰秀子)は学生寮に入るが、封建的な厳しい規則と寮母の五條真弓(高峰三枝子)らによる干渉を受けて学校側と対立 闘争に至る学園ドラマです。

芳江が厳格な父に隠れてつきあう同郷の大学生 下田参吉(田村高廣)は、苦学生で東京で学びながらバイトをして生活費を稼いでいます。
中盤 最初の鉄道シーンは内堀通りの半蔵門付近です。自転車で配達のバイトをしている下田を同級生が呼び止め、その横を都電が走る姿が映っています。10か11系統ですが、判然としません。
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続いて京都 四条通りを大丸百貨店をバックに走る京都市電1号系統の 600型 678の姿が映ります。1941年日車製の 678はまだWポールで走っています。
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車内では芳江が同室の行動的な滝岡富子(岸恵子)に下田への手紙を検閲されたことを話しています。京都のメインストリートを走る四条線は、その後 1971年1月に廃止されてしまいました。

共に正月休みで帰郷している二人が舞子で束の間のデートをする場面があります。待ち合わせの舞子駅でしょうか?ホームで待つ芳子の前をC50型蒸機?らしきが牽く下り貨物列車が轟音と共に通過して行きます。
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待ちわびる芳江の前に上り大阪方面行の国電が到着し、続いて舞子の海岸を歩く二人のシーンへ飛びます。上下列車共に逆光状態で撮影されていて、細部は判然としないのが残念です。

下田が上京する日 僅かな時間 姫路城で会った二人ですが、駅で見送るのが辛くなった芳江は天守閣からハンカチを振るので下田も汽車の一番後ろのデッキからハンカチを振ってほしいと告げました。
15:00 米原行き普通列車が C59102に牽かれて姫路を発車します。
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その最後部に立つ下田はハンカチを力強く振っています。姫路駅構内の先に見える姫路城天守閣から芳江も盛んにハンカチを振っています。
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冬休み中の行動を指摘された学生を処分したことから規則の緩和要求する学生側と突っぱねる学校側の学園闘争になり、更に芳江だけ不均衡に軽い処分に変更されたことから皆から妬まれ 神経衰弱状態になります。
そして寮から飛び出したので、補導監の平戸喜平(金子信雄)は芳江の実家のある姫路へ向かいます。姫路駅手前の市川に架かる鉄橋を渡る列車を遠景で捉えるシーンの後、平戸が下車の支度をする車内シーンがあります。
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芳江は思い切って、東京の下田の下宿先へ来たのでした。しかし思い直した芳江は、翌朝 置手紙を残して消えてしまいます。後を追った下田は中央本線緩行線 千駄ヶ谷駅ホームへ上がって捜しますが、既にいません。
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その頃芳江は東京駅から大学へ戻るべく、初期型EF58電機が牽く東海道本線下り列車のデッキにいました。機関車の次位にはマヌ34らしき暖房車が盛んに黒煙を吹き上げています。
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この列車は途中で急行列車とすれ違いますが、これには芳江の父(松本克平)が特別2等車に乗って下田の下宿先を目指しています。これを含めて車内シーンは京都市電以外の全てがセット撮影の様です。
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下田も後を追って京都を目指しますが、気をもんでも追い付く術がありません。芳江が普通列車でなく 9:30東京発の急行阿蘇に乗ったとすると、後続の急行や特急はと号でも追い付けないのです。




PS.  舞子駅は電化されていますが、西明石までの区間なのでこの頃 長距離列車や貨物列車は全区間蒸機牽引でした。姫路まで電化されるのが 1958年なので、姫路駅構内の空がまだスッキリとしていますね。
列車線と緩行線に分離され複々線となるのは 1965年のことです。
2018年刊行された川本三郎氏著(あの映画に、この鉄道)によると、二人が待ち合わせたのは地上時代の明石駅だそうです。
現在とは駅も周囲もまるで違うので、想像すら出来ませんでした。

下田が姫路から上京する時乗った列車を「3時の汽車」と言い、アフレコの放送もそう伝えています。時刻表を見るとこの列車は姫路着 15:00で 15:10発車の414ㇾ米原行で、東京直通ではありません。
この列車に乗ると大阪着が 17:14で、僅か4分前の 17:10に 134ㇾ東京行が発車してしまいます。大阪 17:30発の準急名古屋行 3406ㇾを使えば、彦根で 134ㇾに追いつけますが苦学生の下田がこの手を使うとは思えません。

下田が最後部のデッキからハンカチを振る場面が最初に映った列車は、C5971が牽き 三ノ宮のサボが掛っていました。この列車が 414ㇾの1本前 14:30姫路始発の 926ㇾ三ノ宮行だとすると都合が良いのですが・・・
926ㇾは 15:55三ノ宮に到着するので、京都方面行の近距離国電に乗り継ぐと 16:30頃には大阪に着けます。そうすると大阪 17:10発の 134ㇾ東京行に乗り継ぎ、翌朝 5:28には帰京でき とてもスムーズです。

安く関西から東京へ行く普通列車はこの時代でも意外に少なく、大阪からは3本のみ。更に姫路から東京直通となると、門司始発の 112ㇾ1本しかなく姫路発 20:50で終着東京へは翌日 13:54に到着となります。
しかし 112ㇾを使ったのでは本編の様な別れのシーンとならないので、この様な脚本となったのでしょう。趣味的には電化前の姫路駅構内の様子や C59の勇姿が割と長く有り、Aランクの作品であります。
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